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2019, 03. 22 (Fri) 18:00

今朝窓を見ると、粉雪が舞っていました。前日までは雪解けもあらかた進み、もう春間近という感じだったのですが、ここにきてお天気は一進一退という感じです。増水した川の流れや路肩に溜まった真っ黒に汚れた雪の欠片、あと一歩で芽吹かんとする草の芽などを見ていると本当に季節の移り変わりというものを肌で実感できます。世界の細部はこんなにも美しさに満ちているのか、という驚き。末期の目というにはいくら何でも早すぎますが、こうした変化を楽しめるようになったのはやはり相応に年を食ってきたからなのかもしれません。

先日は桜の植木を買いました。日当たりのいい部屋に置いているだけなのですが、二、三日たっただけでもうピンクの桜が芽吹いています。今日はどれだけ成長しているか、毎日が楽しみです。

明日 

2019, 03. 11 (Mon) 20:05


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早いもので先の震災から八年が経過しました。
「もうそんなにたったのか」という思いと、「まだそれくらいなのか」という思いとが両方あります。先週の日曜日、東日本の震災についてこどもたちに訊ねてみたところ、「当時二歳くらいでほんのかすかに記憶がある」という子が三人くらいで、残りは「まだ生まれていなかったからよく知らない」という子が大半でした。やはりそれだけの時間が経過していたのですね。でも子ども心にも「なんだか昔すごい大変でいたましいことがあった」という認識は共通して抱いているようだったのが印象的でした。

私事で言えば、あれから八年の間にぼくも身内を二人亡くしました。年齢的なものですからやむを得ない事柄として受け止められますが、それでも時々ふと身辺に隙間風のような寂しさを感じることがあります。歳月を経ても変わらないのは、やはり「人の不在」なのかもしれません。その存在の記憶が大きく輝かしければ輝かしいほど、その不在はある種の形となって長く心の中に残り続けるものなのでしょう。

今こうして日々健やかにすごせること、こどもたちの元気な笑顔が見られること、天気のいい日にお散歩に出かけられること、物事を考えたり書いたり(そしてうまくいかずに七転八倒したり)できること・・・、当たり前のように受け止め、考えている事柄にあらためて感謝しつつ毎日をすごしていきたい、そんな風に思っています。


眼鏡の新調 

2019, 03. 05 (Tue) 20:00

先月のことになりますが、遠視用の眼鏡を新調しました。前使っていたものはなぜかレンズの表面のブルーコートが剥がれてしまい、薄い染みのようになってしまったものですから。自分ではたぶんうがい薬の飛沫が跳ねたのではないかと思っていますが、真相は謎のままです。ううむ。

近視用の眼鏡と遠視用の眼鏡を使い分けするようになって一年ほど経ちますが、さすがにだいぶ慣れてきました。それほど度が進んでいるわけではないので、基本的に近視用の眼鏡で日常生活は送れるのですが、映画を観るときや遠くの物を見るときは遠視用の眼鏡をかけるようにしています。ちなみに遠視用の眼鏡は今流行(?)の丸眼鏡。店員さんが言うには、一回りしてデザインのはやりが昔に戻っているそうで、こういうちょっとレトロなタイプが人気なんだそうです。

ぼくとしては学生時代にかけていた眼鏡そっくりで、懐かしさと共に、いささかの気恥ずかしさがあるのですが、周りからの評判は良く、「なるほどなあ」という感じです。道行く女の子のファッションを見ても、どこか懐かしさを感じますしね。こういう人間が普段身につける物のデザインは案外普遍的で、ただ時代によってくるくると順繰りになっているのかもしれません。

これをかけて、春の景色をながめに外へ散歩に行きたいです。早く暖かくならないかなあ。