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物語と地震のこと 

2018, 04. 19 (Thu) 20:30



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この作品は地震から物語がはじまります。地震はとても怖いものであると同時に、ぼくら日本人にとってはいつ我が身に降りかかってもおかしくない災難として、常に身近な存在であり続けてきました。そんな地震に対する思いとこの作品が描かれるようになった経緯を、この稿ではかんたんに述べていきたいと思います。

あれはいつだったか。地元の町内会で、「有事の際の避難態勢の確認のための集会」という、やたら長い名の会合の案内が回覧板で回ってきたことがありました。

その日ぼくは子どもたちにお勉強を教えていたのですが、なんとか時間に都合をつけて抜けだし、小走りで会場にむかいました。正直、「めんどうだなあ」という思いを抱きつつたどり着いた会場(近所の区民センターですが)ではすでにご近所さんが集まっており、粛々と集会は始まりました。

年配の町内会長さんのあいさつのあと、地域の最寄りの避難所の確認や有事の際の緊急連絡網の整備、要支援者のお年寄りの安全や避難をどう確保するかなどが議題となりました。たぶん、このいささか唐突な「有事の際に備えるための集会」が企画された背景には、その半年ほど前に起こった熊本地震の影響があったのでしょう。九州熊本から遠く離れた北海道の地でも、地震は決して人ごとではないという思いはぼくらの中にありましたし、そうした危機感を共有する意味あいにおいても、この集まりに対する意識はみなさん高かったように思います。

集会はほどなく終わりましたが、この集まりに参加したことはぼくにとっても震災―――さらにそれにともなう避難や厄災後の日常―――についてあらためて考える契機となりました。ぼく自身、小さいお子さんをたくさんお預かりする立場ですし、災害時における避難や対応は人ごとではありません。「有事のことを、もっと真剣に考えないとな」という思いを強くしたぼくは、地元の区役所に行き、札幌市全域のハザードマップをもらうと、それを広げて暇さえあれば眺めていました。


ハザード中央区2



ご存じの方もおられると思いますが「ハザードマップ」とは、もし地震が起こった場合の避難所や避難先が記されているほか、その地区はどれぐらいダメージを受けるか、地図全体がドットによって細かく色分けされ、その色の濃淡によって地域の被害の軽重がわかるようになっているものです。これがけっこう面白いのです。いや、面白いと言っては語弊があるのですが、万一、大震災が起こった場合の街の様子や被害状況をありありと脳内でイメージできるように作られており、見ていて飽きません。なにより、これを眺めているだけで自然と防災意識がわいてくるから不思議です。おそらく市や自治体もそういう企図の下、作成しているのでしょう。

この辺の経緯は以前ブログに書いたことがあるのですが、このハザードマップを手に入れたことで、ぼくは地震についてさまざまに想像を巡らせるようになりました。もしこの街で、大地震が起こったらどうしよう? どこへ逃げる? 小さな子どもたちを連れて、親や家族や身内を連れて、いざ実際にそういう目に遭ったとき、一体自分はどうするだろう……? いざ助かったとして、その後自分はどうやって暮らすのだろう。家は? 住まいは? 仕事は? 地図の上で、想像は際限もなく広がっていきます。

震災というのはべつに一瞬で終わるわけではなく、その後に延々と続く日常こそがどうやらその本質らしい―――。半年前の熊本地震、さらにそれ以前からこの国で繰り返し報道されてきた避難所など被災地の様子によって気づかされた現実に思いをはせつつ、ぼくは妄想を続けました。もし札幌近郊で震度七の地震が起こったら我が家は持ちこたえられるかな? 地盤は結構緩いっぽいし、冬だと洒落にならないな。まじで凍死するかも。てか、保存食の賞味期限って切れてないっけ。モンベルの寝袋、たしか押し入れにあったよな……。


白石区



地元の区役所の総務企画課にもらった一枚のハザードマップから始まった妄想の種は大きく膨らみ、気がつけばぼくの中ですでにこの物語は始まっていました。主人公は札幌に住む13歳の女の子にしよう。女の子にはおばあちゃんがいて、数年前に夭折した父がいる。父は作家で、この子は父と十分に会話することなく死別することになった過去の自分を残念に思っている。そこへ地震が起きて、過去へ飛んだ彼女は若き日の肉親たちと再会する……。

つい先日祖母の死を経験し、なにやらぽかんとしていたぼくの胸にこの物語はすんなりと染みこみました。なにより、なんら特殊な能力をを持たないふつうの女の子が、悪戦苦闘しながら哀しみと苦難を乗り越えていくという筋立てがぼくは気に入りました。そしてそこまで考えたとき、そのストーリーの根っこに「震災」があることは、もはや自分の中で揺らぐことのない必然となっていました。

むろん先の稿でも書きましたが、震災というこの重いテーマを書くに際してはぼくの中にも葛藤がありました。けっして興味本位で書くわけではない。でもこのテーマに正面から取り組み、書き切るだけの力量や文章スタミナが今のぼくにあるだろうか。失敗して無残なことにならないだろうか。地震や震災というものが、少しも劇的でないことはわかっていました。でもそこからこぼれ落ちていく膨大なものを、自分の筆は果たして拾い上げることができるだろうか……?

結局、ともすれば怯みそうになるそうした気持ちを抱いたまま、ぼくは少しずつ物語を書きはじめました。別に自信があったわけではありません。自分はなにか回答めいた結論にたどり着くことはないだろう。でも実際にそれを体験するこのひなたという女の子のまなざしに寄り添うことで、ともに悩んだり悲しんだりすることはできるだろう―――そんな風に考えたのです。ただひたすら一人称の持つ力を信じて文字と言葉を煉瓦のように積み上げていくこと。そのことのみを念じて書き出した物語は一年後、結末を迎えました。


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物語の冒頭、ひなたは震災に見舞われ、悲しみとともに世にも不思議な体験をします。そして、その後のさまざまな変遷を彼女とともにくぐり抜けていく都度、ぼくは何度も「なるほど、これが一人称の力か」と、あらためて物語があたかもひとりでに紡がれていくような自同律を噛みしめることになりました。ぼくのこれまでのキャラクターにしては珍しく、この子はほんとうによく泣く子で(まあ、それだけつらい目に遭ったのだからとうぜんですが)、困難に出会うたびに泣きっ面で棒立ちになります。でもそれは、いざほんとうに災難や不幸に直面したときのぼくらの真の姿なのではないだろうか・・・。

いまなお被災地には苦しんでおられる方たちがいらっしゃいますし、その意味でじっさいにそこに起こった事実は少しも風化しておりません。そんなことを思うにつれ、あらためてこの国を襲った災害の大きさを思い、同時に自分の中で捉えなおす一年となりました。

この物語に挑戦することができて、そして彼女に寄り添うことができて、ほんとうによかったと思っております。