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『ミクとき』の登場人物たち その3 

2018, 04. 12 (Thu) 19:30


―――久我家の人々(祖父・祖母・叔父・叔母)


この稿では主人公であるひなたの家族について語っていきたいと思います。家族と言っても、物語が始まった時点ですでに彼女の父は亡く、母もまたすぐに死ぬことになる(少なくとも通常の時間軸の中では)ので、実質的にひなたは両親不在の状況に置かれます。これは児童文学(特にイギリスの)の世界では定型と言いますか、たびたび見られるシチュエーションであり、主人公が十全にその役割を果たすための、いわば舞台装置となります。両親が健在で、主人公が何不自由ない生活を送っているのなら、彼や彼女が旅立ったり、自ら物語を作り出していく余地や必然性がありませんものね。この作品においてもひなたは計らずして天涯孤独の身となり、見覚えのない世界にたったひとり放り出されることになります。

そこで登場するのが、久我家の面々です。「久我」はひなたの母親の旧姓ですね。この表札の掲げられた我が家を彼女は発見することになるわけですが、なにしろ四半世紀以上も前の世界ですので、自身の記憶と実際に目の前にいる若き日の肉親たちの姿の差に彼女は面食らうことになります。このへんの現実の光景と己の記憶を照らし合わせる際のギャップの面白さは「タイムスリップもの」の醍醐味であり、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をはじめとしてわくわくする場面の一つですね。(ぼくも大好きな映画です)

ではこうして登場した彼らの人物像はといえば、これは大半、というかほとんどすべてが架空のものであり、あくまでフィクション上のキャラクターと言うことになります。以前お断りしたように、この作品はぼくの体験から引っ張ってきた……というか、根っこになって描かれた部分が多い作品ですが、身内のキャラクター像―――とくに過去(1980年)の部分はすべてフィクションと言っていいかと思います。べつに意図したわけではないのですが、書いているうちに自然とそうなっていきました。

ひなたのおじいちゃんに関しては人柄のいい、優しい人物をイメージしました。ぼくは祖父の記憶がほとんどないので、逆に描きやすかったですね。むしろぼくの中には少年期に読んだお話に出てくる、いわゆる「面白いおじいちゃん」―――いろんなことを知っていて、経験値と世間知に溢れ、優しくて、寛大で、両親のそれとはひと味違う不思議な世界を孫に垣間見せてくれる水先案内人のようなイメージ―――が創作の土壌にあるような気がします。「こんなじいちゃんがいたらいいなあ」という。憧れですね、一種の。リンネに出てくる久高のじいちゃんもこの延長にある人物のような気がします。

一方、ひなたの祖母に関してはわりと複雑な内面を持つ人物として登場します。これはやはりぼくのプライベートが影響していると思います。作中に登場する四人の家族の中ではもっとも実在の人物に近いキャラクター、というかぼくの記憶の陰影の濃い存在ですね。もっとも物語世界の自同律といいますか、書いているうちにキャラクター自身がどんどん実在感を持ち始め、最後にはきちんとした物語世界に独立するキャラクターとなってくれましたが。「若い頃の祖母を書く」なんていう贅沢はこの先一生なさそうなので、その意味ではいい経験が出来たと思います。

叔父と叔母は年若いひなたをさりげなく支えるような役回りですね。若いと言ってもタイムスリップした先の過去においてでさえ二人はひなたより年上なわけで、ひなたはそんな二人の姿から一家のあり方や変遷を絶えず遡行していくことになります。この過去の風景にくるまれる中、不断に時間を遡行し、やがて現代へと辿り着いていく感覚が、書いていてとても楽しかったですね。

ちなみにこの節子おばさん……節子おねえちゃんはわりとお気に入りのキャラクターで、書いているうちにどんどん筆が乗っていったのを憶えています。こういう非の打ち所のない優等生キャラっていいですよね。ただ唯一困ったのが80年代ファッションですが、彼女をストイックなキャラクターにすることで、なんとかその辺は凌ぎきることにしました。

生死不明の母の幼き姿を含め、過去で目撃するかつての幸せな一家の肖像は、ひなたにある決断を下させます。彼女がどうやって時間を改変させ、未来を変えようとするのか、その顛末を見守っていただければ幸いです。