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外はお天気 

2018, 04. 30 (Mon) 22:30

朝から雑用ばかり片付けていました。日中全てを机の前で費やし、気がつけばこの時間。夕飯にお好み焼きを食べて一日が終了。恨めしくなるくらいお天気はいいのに。また明日がんばります・・・・。



新一年生 

2018, 04. 29 (Sun) 18:30


新一年生もようやく学校に慣れてきたみたいで、久しぶりに会うと顔つきもすっかりふてぶてしくなっていました。いい傾向です。やっぱり幼稚園に通っていた頃とはひと味違うというか、はじめはさぞドキドキしていたことでしょう。でも一週間がたち、二週間がたつうちに少しずつお友だちができはじめ、教室の風景に慣れ、学校の先生の顔も覚えて、いつのまにか毎日元気に学校に通うようになっている・・・。ぼくにも身に覚えがありますが、不安な景色がある日を境にちっとも怖くなくなっている、というには誰しもが通る道なのかもしれません。もっとも、慣れてきたら慣れてきたで目茶苦茶騒がしくなるので、少しは緊張してろよ、と言いたくもなるのですが。

そんなわけで、子どもたちといっぱいに遊んだ日曜日。いつにもまして活発な彼らに付き合って体の方はボロボロですが、逞しくなった顔が見られて嬉しかった四月の終わりの一日でした。

『ミクと時のひなた』 舞台探訪 その5 

2018, 04. 28 (Sat) 20:30

 ―――伊達市開拓記念館


今回の舞台探訪は伊達市の開拓記念館です。作中の舞台となっているわけではありませんが、ひなたの持っている蒔絵の貝殻はこちらで見た貝合わせと貝桶がモデルとなっています。


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この開拓記念館に初めて行ったのはぼくが小学生低学年のときでした。伊達にはぼくの祖母が住んでおり、夏休みや冬休みになると帰省し、そこで過ごすというのが長年の習慣となっていました。ふだん札幌に住むぼくにとって伊達は小さな街であり、子ども心に「なにもないところだなあ」などと思っていました。もっとも緑や自然が多いぶん、遊ぶ場所には事欠かなく、またばあちゃんちはやたら広い上に雑貨屋を営んでいるということもあって居心地が良く(いい子にしているとお菓子が食べ放題だったということもある)なによりばあちゃんのぬくもりに接することがうれしくて、そこを訪ねることをいつも楽しみにしていた記憶があります。


そんな小さな伊達の街にあって、ガキンチョのぼくが好んで訪れた場所が、祖母宅から歩いて数分のところにある伊達市開拓記念館でした。すでに作品内でも書きましたが、伊達市はもともと奥州仙台藩の伊達家がルーツということもあって、この博物館には奥州伝来の伊達家にゆかりのあるたくさんの武具や甲冑、火縄銃などが展示されていました。歴史好きの子どもの目にはそれらはまるで宝物のように見えました。


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もっとも建物自体は緑の敷地の中に建つ無骨なコンクリート製のいかにも素っ気ないこしらえで、それと知らなければそのまま素通りしてしまうようなかなり地味な外観をしています。以前ネット上のどこかで、この博物館のことを「店構えは小さくて汚いが、入ってみると味は特上の寿司屋」という風に例えた紹介の記事を目にしたことがありますが、まさにそんな感じで、建物は古くて暗くてどうひいき目で見てもあまりぱっとしません。ところがいざ一歩館内に足を踏み入れてみると、歴史的・文化的に貴重な文物が無造作にごろごろ展示されており、知る者ぞ知る逸品が直接触れられそうなくらい間近で眺めることができるまさに「穴場」と呼ぶにふさわしい記念館でした。


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ふさふさの前立て



展示物の中でも有名なのはやはり伊達成実着用の甲冑でしょう。伊達政宗の家臣、伊達成実は片倉小十郎景綱と並んで伊達政宗の創業を支えた両翼として知られています。知恵者で参謀役の景綱に対し成実は猛将として有名で、そのかぶとにはふさふさした大きな毛虫の前立てがついています。これはよく言われているように毛虫が身体構造的に後ろに下がれない特性を持っていることにちなんで、「戦いで決して退却しない」という意味を持たせているとのこと。まさに戦場を往来した歴戦の武人である成実らしい意匠です。


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こっちはゲームの中の成実さん


実際に間近で見ると胴具足の表面には生々しい弾痕ががっつり残っていたりと、その力感に満ちた造りは一見の価値があります。(もっとも弾痕は戦場でついたものではなく、試射、つまり甲冑の制作時にどれほど防弾耐久力があるか実際に火縄銃で撃ってみた痕であるそうです)


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ちなみにこっちは蒔絵の貝殻です。一枚一枚丁寧に絵が描かれており、大変な作業であることが偲ばれます。輿入れの際の花嫁道具として重用された由緒ある品です。実際に貝に百人一首の歌が記されることはないのですが、インスピレーションの源にさせていただきました。


他にも様々な逸品・珍品がある博物館ですが、ぼくがなぜこうしたことを知っているかというと、ネットで調べたわけではなく、小学生時分、館内にいたおじいさんに展示物についての故事や由来を直接聞く機会があったからです。たぶん地元の名士か誰かだったのでしょう、当時すでに初老だったおじいさんから聴くお話はどれも面白く、ぼくら小学生はわくわくしながらその語りに耳を澄ませていました。その記憶が長い年月を経た今でも残っており、今回この作品を書くときに大きな力となってくれました。



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この作品を書くに際し、これら文物を眺めたくなり、昨年ぼくは久しぶりにこの博物館を訪ねました。建物は以前のままで、入場料を払って入った内部もさほど変化した様子はありません。ただ展示物を説明をしてくださる方は年配のおじいさんではなく、すでに若い女性の館員の方に変わっているのが印象的でした。時はやはり流れているのだな……と、先年祖母の葬儀を終えたばかりのぼくは改めて感じ入りました。帰り道、同じ敷地内にある迎賓館の変わらぬ朱の屋根と、その地に落ちた影の端で空を差して伸びる松の木の枝振りに、ふと少年時代の面影を見た想いがしました。



※その後、開拓記念館は平成29年11月に閉館したとのこと。展示物は新たに総合文化館として近年リニューアルオープンするそうです。開館したら是非行ってみたいですね。



インドカレー 

2018, 04. 27 (Fri) 22:30

久しぶりに本格カレー店でカレーを食べました。インドテイスト溢れるお店の中で食べるカレーは格別なものがありますね。心なしか、味まで本場インドのテイストが漂っているような。といってもぼくは辛いものが苦手で、いわゆる辛さはベリー・マイルドといった甘口・お子様レベルなのですが。食後にまったりと呑むマサラティーもすごくおいしかったです。また行きたいな。


徘徊 

2018, 04. 26 (Thu) 23:30


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川べりを歩いていても心地よい風が感じられる陽気になってきました。芝はもうすっかり緑に生え替わり、木々の枝にも今にもほころびそうなかわいらしい芽がのぞいています。去年の同じ時期と比べても、今年がどれだけ暖かいかわかりますよね。去年の今頃はまだコートの襟を立てて歩いていたからなあ。

ぼくのクローゼットの中ももうとうに冬物は姿を消し、春物が並んでいます。この時期は夜に突然冷え込んだりして、「あ、まだあれいるや」と、外出時にしまい込んだばかりの上着をまた引っ張り出したりすることも多いわけですが、今年はそういうことはないようです。おかげさま(?)で深夜の散歩もはかどります。


キング 

2018, 04. 25 (Wed) 20:30

最近スティーブン・キングを読んでいます。キングはこれまであまり縁がなくて、というかなんとなく心理的に距離があって読んでこなかったのですが、先日映画の『IT』を観てから原作も読んでみたくなったものですから。『呪われた街』なんかも以前買ったものがあったので試しに読み出してみたのですが、やっぱりすごく面白いです。ぼくが好む文体ではないのですが、その圧倒的な筆力の前にぐいぐい引き込まれていくという感じで、やめどきが見つかりません。当分楽しめそうです。


読書が楽 

2018, 04. 24 (Tue) 20:30

筋肉痛でしばらく寝ていました。うう、情けない。昼前にだいぶ楽になってきたので、起き上がってしばらく書き物と雑務。買ったままずっと積みっぱなしだった岡田暁生さんの『西洋音楽史』を読む。これがめっぽう面白くて一気に読んでしまいました。やっぱり眼鏡を変えてから読書がずんと楽になった気が。この調子で今月中にもっとたくさん本を読みたいです。


音楽と聴くために 

2018, 04. 23 (Mon) 20:29



オーディオの入れ替えで腰が酷いことになっております。この数日間でメインのアンプを何度も入れ替えしたせいで、今はようやくセッティングが完了して落ち着きましたが、久しぶりの重労働(?)はけっこう堪えました。やっぱり30キロ近い重量のものを人力で上げ下げするのはきついですね。「いい音のする製品は重い」という哲学がオーディオ世界では根強く存在しますし、ぼくも漠然とそれを信じていたですが、少なくともここ数日の間は宗旨替えをしたい感じです。しかもその直後に子どもたちとお外でフルパワーで遊んだので精根尽きてしまいました。いや、とても楽しかったんですけど。

ぼくは音楽を聴いている時は一にも二にもまったりしたい性分で、対峙すると言うよりはリラックスしながら楽しみたいと思っているのですから選ぶ機材もおのずとそうしたものになります。やっぱり音楽は楽しいのが一番ですよね。これから毎日クラシックを聴く時間が楽しみです。

出会いの四月 

2018, 04. 22 (Sun) 20:33


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新学期が始まり、新しい子と出会う機会が増えました。どの子も目をきらきらさせていてすごく可愛いです。もっともかわいいのは第一印象までで、実際に言葉を交わしたり、遊んだりお勉強させてみると、これまで「学ぶ」という体験をしていない分、その破天荒ぶりたるや尋常ではありません。とくに最近の子はご両親に大切に育てられていますしね。まあ、元気や覇気がない子よりよっぽどいいのであまり気にしていませんが、今年もさぞ手のかかることでしょう。そのぶん鍛え甲斐があると思うことにして、出会いの四月、こちらもふんどしを締めて一年間がんばります。

春の日々 

2018, 04. 21 (Sat) 19:30

明け方まで読書。今日はお天気でしたが風の強い日でした。午後からちょっとだけ歩きに出かけましたが、風にあおられるように帰ってきてしまいました。日中ずっと書き物をしていたらさすがにへこたれたので、夕方素麺を茹でて晩ご飯代わり。疲れたので休みます。また明日がんばります。

クロッカス 

2018, 04. 20 (Fri) 20:30

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晴天が続くようになったので、庭にお花を植えようと近くのホームセンターへ行きました。ぼくの欲しかったのはクロッカスです。最近、背の低い花が可愛いな、と思うようになったんですよね。軒先の売り場へ行くとビニールの鉢に入ったかわいい苗がたくさん並んでいおり、見ていて飽きません。色とりどりのパンジーを眺めていると、鼻先にぷんと良い香りが漂ってきます。

白いクロッカスを見つけ、いくつか買いました。まだ土からほんの少し芽を出したような状態です。たいした重さではなかったので手で持って帰ることに。土手の周りは日差しが暖かで、もう初夏と言っていいくらいの陽気でした。蕗の薹がぐんぐん芽を出しているのを眺めつつ、久しぶりに外の散歩を楽しみました。この陽気が続くとうれしいですね。

物語と地震のこと 

2018, 04. 19 (Thu) 20:30



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この作品は地震から物語がはじまります。地震はとても怖いものであると同時に、ぼくら日本人にとってはいつ我が身に降りかかってもおかしくない災難として、常に身近な存在であり続けてきました。そんな地震に対する思いとこの作品が描かれるようになった経緯を、この稿ではかんたんに述べていきたいと思います。

あれはいつだったか。地元の町内会で、「有事の際の避難態勢の確認のための集会」という、やたら長い名の会合の案内が回覧板で回ってきたことがありました。

その日ぼくは子どもたちにお勉強を教えていたのですが、なんとか時間に都合をつけて抜けだし、小走りで会場にむかいました。正直、「めんどうだなあ」という思いを抱きつつたどり着いた会場(近所の区民センターですが)ではすでにご近所さんが集まっており、粛々と集会は始まりました。

年配の町内会長さんのあいさつのあと、地域の最寄りの避難所の確認や有事の際の緊急連絡網の整備、要支援者のお年寄りの安全や避難をどう確保するかなどが議題となりました。たぶん、このいささか唐突な「有事の際に備えるための集会」が企画された背景には、その半年ほど前に起こった熊本地震の影響があったのでしょう。九州熊本から遠く離れた北海道の地でも、地震は決して人ごとではないという思いはぼくらの中にありましたし、そうした危機感を共有する意味あいにおいても、この集まりに対する意識はみなさん高かったように思います。

集会はほどなく終わりましたが、この集まりに参加したことはぼくにとっても震災―――さらにそれにともなう避難や厄災後の日常―――についてあらためて考える契機となりました。ぼく自身、小さいお子さんをたくさんお預かりする立場ですし、災害時における避難や対応は人ごとではありません。「有事のことを、もっと真剣に考えないとな」という思いを強くしたぼくは、地元の区役所に行き、札幌市全域のハザードマップをもらうと、それを広げて暇さえあれば眺めていました。


ハザード中央区2



ご存じの方もおられると思いますが「ハザードマップ」とは、もし地震が起こった場合の避難所や避難先が記されているほか、その地区はどれぐらいダメージを受けるか、地図全体がドットによって細かく色分けされ、その色の濃淡によって地域の被害の軽重がわかるようになっているものです。これがけっこう面白いのです。いや、面白いと言っては語弊があるのですが、万一、大震災が起こった場合の街の様子や被害状況をありありと脳内でイメージできるように作られており、見ていて飽きません。なにより、これを眺めているだけで自然と防災意識がわいてくるから不思議です。おそらく市や自治体もそういう企図の下、作成しているのでしょう。

この辺の経緯は以前ブログに書いたことがあるのですが、このハザードマップを手に入れたことで、ぼくは地震についてさまざまに想像を巡らせるようになりました。もしこの街で、大地震が起こったらどうしよう? どこへ逃げる? 小さな子どもたちを連れて、親や家族や身内を連れて、いざ実際にそういう目に遭ったとき、一体自分はどうするだろう……? いざ助かったとして、その後自分はどうやって暮らすのだろう。家は? 住まいは? 仕事は? 地図の上で、想像は際限もなく広がっていきます。

震災というのはべつに一瞬で終わるわけではなく、その後に延々と続く日常こそがどうやらその本質らしい―――。半年前の熊本地震、さらにそれ以前からこの国で繰り返し報道されてきた避難所など被災地の様子によって気づかされた現実に思いをはせつつ、ぼくは妄想を続けました。もし札幌近郊で震度七の地震が起こったら我が家は持ちこたえられるかな? 地盤は結構緩いっぽいし、冬だと洒落にならないな。まじで凍死するかも。てか、保存食の賞味期限って切れてないっけ。モンベルの寝袋、たしか押し入れにあったよな……。


白石区



地元の区役所の総務企画課にもらった一枚のハザードマップから始まった妄想の種は大きく膨らみ、気がつけばぼくの中ですでにこの物語は始まっていました。主人公は札幌に住む13歳の女の子にしよう。女の子にはおばあちゃんがいて、数年前に夭折した父がいる。父は作家で、この子は父と十分に会話することなく死別することになった過去の自分を残念に思っている。そこへ地震が起きて、過去へ飛んだ彼女は若き日の肉親たちと再会する……。

つい先日祖母の死を経験し、なにやらぽかんとしていたぼくの胸にこの物語はすんなりと染みこみました。なにより、なんら特殊な能力をを持たないふつうの女の子が、悪戦苦闘しながら哀しみと苦難を乗り越えていくという筋立てがぼくは気に入りました。そしてそこまで考えたとき、そのストーリーの根っこに「震災」があることは、もはや自分の中で揺らぐことのない必然となっていました。

むろん先の稿でも書きましたが、震災というこの重いテーマを書くに際してはぼくの中にも葛藤がありました。けっして興味本位で書くわけではない。でもこのテーマに正面から取り組み、書き切るだけの力量や文章スタミナが今のぼくにあるだろうか。失敗して無残なことにならないだろうか。地震や震災というものが、少しも劇的でないことはわかっていました。でもそこからこぼれ落ちていく膨大なものを、自分の筆は果たして拾い上げることができるだろうか……?

結局、ともすれば怯みそうになるそうした気持ちを抱いたまま、ぼくは少しずつ物語を書きはじめました。別に自信があったわけではありません。自分はなにか回答めいた結論にたどり着くことはないだろう。でも実際にそれを体験するこのひなたという女の子のまなざしに寄り添うことで、ともに悩んだり悲しんだりすることはできるだろう―――そんな風に考えたのです。ただひたすら一人称の持つ力を信じて文字と言葉を煉瓦のように積み上げていくこと。そのことのみを念じて書き出した物語は一年後、結末を迎えました。


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物語の冒頭、ひなたは震災に見舞われ、悲しみとともに世にも不思議な体験をします。そして、その後のさまざまな変遷を彼女とともにくぐり抜けていく都度、ぼくは何度も「なるほど、これが一人称の力か」と、あらためて物語があたかもひとりでに紡がれていくような自同律を噛みしめることになりました。ぼくのこれまでのキャラクターにしては珍しく、この子はほんとうによく泣く子で(まあ、それだけつらい目に遭ったのだからとうぜんですが)、困難に出会うたびに泣きっ面で棒立ちになります。でもそれは、いざほんとうに災難や不幸に直面したときのぼくらの真の姿なのではないだろうか・・・。

いまなお被災地には苦しんでおられる方たちがいらっしゃいますし、その意味でじっさいにそこに起こった事実は少しも風化しておりません。そんなことを思うにつれ、あらためてこの国を襲った災害の大きさを思い、同時に自分の中で捉えなおす一年となりました。

この物語に挑戦することができて、そして彼女に寄り添うことができて、ほんとうによかったと思っております。





ホラーな季節 

2018, 04. 18 (Wed) 20:30


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久しぶりにまたにホラー映画をみたい気分になってきました。どうもこの気分にはブームというか変な周期があるらしく、定期的に無性に怖い映画を観たくなる時期が来るんですよね。ふだんはすごく怖がりなのですが。

観る映画は別に何でもよく、そのときの最新作でも流行の映画でも何でもかまわないのですが、やはりホラー映画の「文法」や「文脈」を押さえているというか、作り手がきちんと「わかっている」作品が好きですね。作り手の映画愛が画面から溢れているような作品は観ているだけで幸せな気分になります。ホラーなシーンを観て幸せになるとはまた妙な話ですが、こればっかりは脳の中で感情を処理する部分が違うのか、驚いたり怖がったりすることと、作品を「読み」、鑑賞することは並列して処理することが可能なのかもしれません。映画好きなら程度の差こそあれ、次第にそうなっていくのでしょうが・・・因果な性分ですよね。

といっても、血がどばーっと出るようないわゆるスプラッターな映画はちょっと苦手なので、ほどよい感じで心臓がドキドキするようなそんな映画が観たいですね。深夜、布団に半分隠れながら観るホラーは格別(?)です。

久しぶりの餃子 

2018, 04. 17 (Tue) 21:30


久しぶりに餃子の王将へ食べに行きました。食べたいときに食べる餃子は何物にも代えがたい美味しさがありますね。回鍋肉を食べながら、こんなお店が近くにあったら、食欲があっても財布は心許ない高校生はさぞ助かるだろうな・・・などとつい考えてしまいました。ぼくが学生時代はこんな安くて美味しいお店はありませんでしたから。(北海道は店舗が出来るのが遅かった)でも、もしあったら今頃食べ過ぎで太っていたかも、なんて思うのは考えすぎかな。今度また食べに行きたいです。

サンドイッチマン 

2018, 04. 16 (Mon) 21:30


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最近、サンドイッチマンのコントに嵌まっています。お笑いは不勉強であまり詳しくなく、お笑い系のテレビ番組などもほとんど知らないのですが、たまたまYouTubeで見た彼らのコントに興味を持ち、いろいろ見ているうちにすっかり好きになってしまいました。東北・仙台出身のサンドイッチマンですが、調べてみると北海道でも活躍しているんですね。(すごい今更で済みません)

ぼくが二人の笑いで好きなところはその空気感です。コンビの仲がいいのが伝わってきて楽しい気持ちになるのと、テンポのいい掛け合いの心地よさですね。あと笑いの中にどこか優しさがある部分・・・一見攻撃的に見えて人なつっこいというか、その実なんとも言えない丸みを帯びた情感のようなものが含まれているところが好きです。あと世代ネタ(男塾とか)やお菓子や食べ物ネタもつい笑ってしまいますね。やっぱり世代が近いせいかなあ。

チケットを手に入れるのは大変かもしれませんが、いつか生でライヴを見てみたいな。

レゴと世界情勢 

2018, 04. 15 (Sun) 20:30


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今日は雨で子どももたちと外で遊べませんでした。うーん。残念。この時期は地面がすぐぬかるむので、外で遊ぶとなると泥だらけになるのを覚悟をしなければなりません。仕方がないので子どもたちはおうちでレゴで遊ぶことに。

小さい子たちですが、その想像力はなかなか侮りがたく、おのおの面白い作品を作り上げていきます。発射台付きのすばらしいロケットを作った子がいたので「何を作ったの?」と聞いてみたら、真顔で「北朝鮮のミサイル」とのこと。その出来のあまりの精巧さとタイムリー(?)な作品に思わず絶句してしまいました。まだ小さいだの、子どもだのと思っているのは大人だけで、子どもは彼らだけが持つ繊細で鋭敏なアンテナで世界を捉え、社会の出来事をちゃんと理解していることに今更ながらに感じ入りました。・・・と、ちょっぴり物騒な作り物に今時の子どもたちのあり方を考えさせられた一日でした。

運動と買い物 

2018, 04. 14 (Sat) 20:30


仕事のあと、玄関の電球が切れていたので買いに行きました。今時珍しいくらいの白熱球なのですが、これを機会にLEDにしようかと売り場を見てまわりましたが、結局買ったのはいつもの白熱球。まあ柔らかい光が好きだということもありますが、こういうときはなんとなく保守的になってしまいますね。帰り道にコーンフレークと牛乳を買って今日の外出は終了。うーん。もっと運動しないと駄目ですね。早くもっとあたたかくなってほしいな。


スポーツサイト 

2018, 04. 13 (Fri) 20:30


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大谷選手が連日のように活躍しているので毎日スポーツサイトを見るのが楽しみです。昨日はバッターでホームラン、今日はピッチャーでノーヒット、とまるでマンガの中のキャラクターのように活躍を続ける大谷選手。今朝はスリーベースヒットで足の速さまで披露していました。将棋の藤井六段(ですよね?)もそうですが、お若くてこんなにのびのびと活躍をする青年たちがいるんですね。すごいなあ。

一方でぼくの好きなサッカーの方はいまいちぱっとしないところが残念です。代表関連のニュースもあまり明るいニュースが耳に入ってきませんし、どこか後ろ向きな話題が多いような。しかし、こんな時こそ踏ん張る力を見せるのがかつての日本代表だったはずです。学生時代、胸を焦がして熱く応援したあの頃の姿を六月に見せて欲しい・・・と思いつつ、仕事の合間にネットをのぞき込む今日この頃です。

『ミクとき』の登場人物たち その3 

2018, 04. 12 (Thu) 19:30


―――久我家の人々(祖父・祖母・叔父・叔母)


この稿では主人公であるひなたの家族について語っていきたいと思います。家族と言っても、物語が始まった時点ですでに彼女の父は亡く、母もまたすぐに死ぬことになる(少なくとも通常の時間軸の中では)ので、実質的にひなたは両親不在の状況に置かれます。これは児童文学(特にイギリスの)の世界では定型と言いますか、たびたび見られるシチュエーションであり、主人公が十全にその役割を果たすための、いわば舞台装置となります。両親が健在で、主人公が何不自由ない生活を送っているのなら、彼や彼女が旅立ったり、自ら物語を作り出していく余地や必然性がありませんものね。この作品においてもひなたは計らずして天涯孤独の身となり、見覚えのない世界にたったひとり放り出されることになります。

そこで登場するのが、久我家の面々です。「久我」はひなたの母親の旧姓ですね。この表札の掲げられた我が家を彼女は発見することになるわけですが、なにしろ四半世紀以上も前の世界ですので、自身の記憶と実際に目の前にいる若き日の肉親たちの姿の差に彼女は面食らうことになります。このへんの現実の光景と己の記憶を照らし合わせる際のギャップの面白さは「タイムスリップもの」の醍醐味であり、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をはじめとしてわくわくする場面の一つですね。(ぼくも大好きな映画です)

ではこうして登場した彼らの人物像はといえば、これは大半、というかほとんどすべてが架空のものであり、あくまでフィクション上のキャラクターと言うことになります。以前お断りしたように、この作品はぼくの体験から引っ張ってきた……というか、根っこになって描かれた部分が多い作品ですが、身内のキャラクター像―――とくに過去(1980年)の部分はすべてフィクションと言っていいかと思います。べつに意図したわけではないのですが、書いているうちに自然とそうなっていきました。

ひなたのおじいちゃんに関しては人柄のいい、優しい人物をイメージしました。ぼくは祖父の記憶がほとんどないので、逆に描きやすかったですね。むしろぼくの中には少年期に読んだお話に出てくる、いわゆる「面白いおじいちゃん」―――いろんなことを知っていて、経験値と世間知に溢れ、優しくて、寛大で、両親のそれとはひと味違う不思議な世界を孫に垣間見せてくれる水先案内人のようなイメージ―――が創作の土壌にあるような気がします。「こんなじいちゃんがいたらいいなあ」という。憧れですね、一種の。リンネに出てくる久高のじいちゃんもこの延長にある人物のような気がします。

一方、ひなたの祖母に関してはわりと複雑な内面を持つ人物として登場します。これはやはりぼくのプライベートが影響していると思います。作中に登場する四人の家族の中ではもっとも実在の人物に近いキャラクター、というかぼくの記憶の陰影の濃い存在ですね。もっとも物語世界の自同律といいますか、書いているうちにキャラクター自身がどんどん実在感を持ち始め、最後にはきちんとした物語世界に独立するキャラクターとなってくれましたが。「若い頃の祖母を書く」なんていう贅沢はこの先一生なさそうなので、その意味ではいい経験が出来たと思います。

叔父と叔母は年若いひなたをさりげなく支えるような役回りですね。若いと言ってもタイムスリップした先の過去においてでさえ二人はひなたより年上なわけで、ひなたはそんな二人の姿から一家のあり方や変遷を絶えず遡行していくことになります。この過去の風景にくるまれる中、不断に時間を遡行し、やがて現代へと辿り着いていく感覚が、書いていてとても楽しかったですね。

ちなみにこの節子おばさん……節子おねえちゃんはわりとお気に入りのキャラクターで、書いているうちにどんどん筆が乗っていったのを憶えています。こういう非の打ち所のない優等生キャラっていいですよね。ただ唯一困ったのが80年代ファッションですが、彼女をストイックなキャラクターにすることで、なんとかその辺は凌ぎきることにしました。

生死不明の母の幼き姿を含め、過去で目撃するかつての幸せな一家の肖像は、ひなたにある決断を下させます。彼女がどうやって時間を改変させ、未来を変えようとするのか、その顛末を見守っていただければ幸いです。



食生活 

2018, 04. 11 (Wed) 22:30


最近、二日続けて焼き肉を食べました。ぼくにしては珍しいことで、自分でも不思議です。べつに心境の変化があったわけでも食事の嗜好を変えたわけでもないのですが、たまには脂ののった分厚いお肉もいいものですね。美味しいですし、パワーが出る感じがしますし。

でも、これが連日続くのはちょっときついかな。朝、海苔と味噌汁と納豆ご飯を食べつつ、その見慣れたメニューにどこかほっとしている自分に気づきます。


西野新監督 

2018, 04. 10 (Tue) 22:30


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ハリルホジッチ日本代表監督が解任され、西野朗新監督がチームを率いることになりました。ここ数試合低調な試合が続いていたということもあって、正直監督が解任されるのは予想できましたが、新監督に西野さんが就任されることは想像の外にありました。でももう、とやかく言えるような状況でもありませんし、本大会に向け、なんとか頑張って欲しいと願うしかありません。ぼくも腹をくくって応援することにしました。口ではなんだかんだ言っても、やっぱり日本代表には勝って欲しいですもの。

西野監督と言えばやはりガンバ大阪を率いていた時代が一番印象に残っています。攻撃サッカーを標榜し、遠藤・二川・アラウージョ・フェルナンジーニョ選手などボールスキルに長けたテクニシャンをずらりと揃え、そこから織りなされる凄まじい得点力と破壊力は完全にJリーグを席巻した感がありました。(ぼくもこの頃のガンバは好きでよく見ていました)

反面、たしかに失点も多いチームでしたが、「三点取られたら五点取り返す」というような、自分たちの技術に裏打ちされたその攻撃哲学は傍目にも格好良かったですし、そうした魅力溢れるチームを作り上げたのは間違いなく西野監督の手腕だったと思います。

ではこの西野監督、今回の監督就任に際して日本代表もまた超攻撃的なチームを作り上げるのか・・・と問われれば、必ずしもそうとは言い切れないのがこの人物の少々変わったところです。実は西野さん、かつてU-23の日本代表監督に就任し、超守備的なサッカーを実践し、ブラジル代表を破るという金星を挙げるという過去も持っているのですよね。中田英寿、前園真聖といった名だたるテクニシャンを揃えながらリアリストに徹し、我慢の末に歴史的一勝を挙げた監督。

超攻撃スタイルを貫き、麻薬的なパスサッカーと凄まじい得点力を追い求めたクラブ監督の顔と、あえてサンドバッグになることも辞さず、超守備的な布陣を敷くことで目の前の一勝をもぎ取った代表監督の顔・・・。二十年を超える歳月の後、ついに日本代表監督にまで上り詰めた西野監督がロシアワールドカップでいったいどちらの顔を選ぶのか、代表の一ファンとして楽しみに見守りたいと思います。



生あくび 

2018, 04. 09 (Mon) 20:30


今日は終日書き物。雑務というのは片付けられるときに片付けておかないと、後からつらくなるとわかってはいるのに・・・。この時期はやはりなにかとありますね。夕方になって遠視用の眼鏡を取りに行く。限りなく宵に近い夕暮れの舗道を歩いていると、なにやら子どもの頃懸命に家路に急いだあの頃を思い出します。本に向かおうとするとあくびが湧いてきて仕方がありません。『津波の霊たち』といういくぶん重めの震災の本を買いました。早く落ち着いて本が読めるようになりたいなあ。

駆けっこと怪我 

2018, 04. 08 (Sun) 21:30

子どもたちと久しぶりに駆けっこをして遊びました。そのあと鬼ごっこと盛りだくさんのメニューです。やはり雪が溶け、乾いた地面の上を思いっきり走るのは気持ちいいのか、どの子も元気いっぱいでした。張り切りすぎて派手に転んだ子もいましたが、新学期がスタートしてちょっぴりお兄さんになったのか、がんばって涙はこらえていました。ただ家に帰って手当てをしてあげると、がっつり膝をすりむいていたのでよほど痛かったと思います。でも、男の子はこれくらいでないと。

外気はまだ冷たく、風を切るとほっぺが赤くなるほどでしたが、やはり外遊びは気持ちがいいですね。付き合うぼくもいよいよこの時期が来たか、という感じです。子どもたちの風の子パワーに負けないよう、体を鍛えて今年一年がんばります。


目が慣れてきた 

2018, 04. 07 (Sat) 20:30

先日作った眼鏡ですが、目の方もだいぶ慣れてきました。遠視用の眼鏡も併せて作ったのですが(すごい出費)、こちらの方はできあがりにもう少しかかるそうで、それまでは古い眼鏡を使うほかないようです。でも掛け替えるのが億劫で、ちょっとした外出の時などはつい中近用の眼鏡をかけたままで出かけてしまいますね。新しい眼鏡ができあがったら、久しぶりに映画館に行って大スクリーンで映画を観たいなあ。


『ミクとき』の登場人物たち その2 

2018, 04. 06 (Fri) 21:30

―――黛司(探偵)


人物紹介、第3回目は主人公であるひなたがタイムスリップ先の1980年で出会う私立探偵、黛司(まゆずみつかさ)です。自分がいた世界ではすでに亡くしている生前の父を捜すために彼女は黛に人捜しを依頼するわけですが、このいささか風変わりな名前と一見若いチンピラにしか見えないこの人物が思いのほか有能だったことで、彼女の未来は大きく変化していくことになります。その意味で黛は物語の中盤のキーマンといっても過言ではありません。年齢は27歳。トレードマークはふわふわの天然パーマと長身痩身。煙草と競馬と食べることをこよなく愛する不良青年です。(地味に歴史好き)

性格は口が悪い割に年少者への面倒見はいいようで、ミクを名乗るひなたの持ち込んだ無理難題にもぶつぶついいながらちゃんとつきあってくれるところをみると、どうも口先と行動が正反対なタイプというか、自分を悪く見せようとする露悪的な傾向があるようです。描いていてとても楽しいキャラクターで、この人物が登場すると物語が動き出す感じがありました。ひなたとの相性も良く、このコンビは作者が思っている以上の「相棒感」を示してくれました。

書く上でモデルとなるような人物やキャラクターは特になかったのですが、痩身・ふわふわパーマという外見的なイメージで言うと『探偵物語』の頃の松田優作さんが少し近いかもしれません。(時代的にもちょうど重なりますし)風貌がというより、あの時代の自由な空気感や探偵という職業が持つアウトサイダー的な雰囲気が。でも最近連載しながら改めて読み返してみると、どこか大泉洋さん的な要素もあるような気が・・・。(や、ぼくが単にどうでしょう好きだということもあるのでしょうけど)書いているときはけっこう本気で二枚目のつもりで書きましたね。

ぼくはこうしたざっくばらんな言葉遣いをする―――もっと言えば口の悪いキャラクターはこれまで描いたことがなかったのですが、書いてみるとすごく面白いことがわかって楽しかったですね。いやー、等身大の「大人の男を書く」ということがこんなに楽だったとは。いえ、もちろん子どもを描くのも大好きなのですが。

もっとも自分もそれなりに長く生きてきて、子どもの頃にもの凄く大人に感じたこの20代という年頃の男がどれだけ若くて青いかということは自分の身を振り返ってしみじみと感じることでもあります。しかし、であればこそ彼に対する思い入れが湧きましたし、人物像を掘り下げていくこともできました。その意味で、この黛は書き手であるぼくと主人公であるひなたの間を繋いでくれるキャラクターであったと思います。

ひなたはこの人物との捜査や推理を通じて少しずつ自分の過去を知り、そのルーツを辿っていくわけですが、それは同時に自分自身を知ることにも繋がっていく・・・。その導き手である年長者の役割はやはり彼のようなキャラクターでなければ難しかったでしょう。

ちなみに黛という名字は感覚と直感で決めました。読みづらい感じですし、滅多にない名字だと思うのですが、この小説を書いていた頃、交通機関を利用していて帽子を忘れて後日落とし物センターに取りに行ったとき、受付をしてくれた窓口の綺麗な女性の名字が「黛」であったことを妙な偶然として憶えています。

物語はまだ中盤、ひなたはいまだ過去に留まり父親を捜している最中ですが、彼女とこの風変わりな探偵の調査が一体どんな結末を迎えるのか、そしてそのとき彼女がどんな決断を下すのか、楽しみにしていただけたら幸いです。


目は大事 

2018, 04. 05 (Thu) 22:30


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先日注文した眼鏡ができあがったとのことで、朝から眼鏡屋さんに取りに行く。大谷選手が二試合連続のホームランを打ったとの嬉しいニュースをスマホで眺めつつ待っていると、眼鏡が運ばれてくる。このところ本がやや読みづらくなったことを踏まえて、今回の眼鏡は中近両用の眼鏡にすることに。早速かけてみると、案外遠くもきちんと見えることに一安心。これならお散歩に出歩くときも掛け替える必要はなさそう。

店員さんのすすめで、一応これまでかけていた眼鏡も予備として持っておくことにする。以前は気に入った眼鏡があったら、それひとつをずうっと使い続けていたけれど、このところだんだんと眼鏡のコレクションが増えつつあるような・・・。これも年齢による変化でしょうか。とりあえず読書に対する不安は一切なくなったので、これからはたくさん本が読めそう。早速半藤一利さんの『漱石先生ぞな、もし』を引っ張り出してきて読む。ああ、本が読めるって素晴らしい。

大谷選手 

2018, 04. 04 (Wed) 22:30


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すでに皆さんもご存じだと思いますが、海の向こうで、ロサンゼルス・エンゼルスの大谷翔平選手が地元初打席で初ホームランを打ったそうです。すごい! 先日は投手として初勝利を挙げたばかりですし、二刀流の名の通り、投打両面で活躍しているみたいです。オープン戦当初はあまり調子が上がらず心配するむきもありましたが、そこはスター。開幕早々、己の実力を結果で証明している感じです。まだ若い選手なのにすごいなあ。

今でこそサッカーがメインになりつつありますが、青春時代はぼくも野球はよく観ていたので野球という競技に対する関心は続いています。(というか、日本のスポーツ界を長年にわたって席巻し続けてきたスポーツですものね)我々が野茂やイチローが活躍する姿に胸を躍らせていたように、今の野球少年たちは大谷選手が活躍する姿を憧れとともに眺めることになるのでしょう。札幌は野球がさかんな地域ですが、こうした目標になるような一流選手がいるということは野球少年の励みになりますよね。道で会うたび、いつも礼儀正しく挨拶してくれる近所のユニフォームを着た男の子をふと思い浮かべた朝のニュースでした。

たまの雨 

2018, 04. 03 (Tue) 22:30


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たまには雨もいいですね。特にこの季節は。冬の間に汚れていたものをすべて洗い流してくれるような気がします。そんなわけで終日うちにいるつもりでしたが、夕方になって我慢しきれず表へ出てしまいました。コート一枚を羽織って歩き出したら、やっぱり寒かった・・・。今震えながら書いてます。『ラ・ラ・ランド』観ながら。今日は紅茶を飲んで暖かくしてすぐ寝よう。

お天気四月 

2018, 04. 02 (Mon) 22:30


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そりやかまくら、雪だるまを作って遊んでいた季節も去ってみればあっという間に終わり、暖かな陽気が続くようになりました。これまでは「お昼休みにお外で遊ぶ」というと自動的にウェアに着替えて帽子と手袋をして雪原に向かって飛び出していく……という感じでしたが、これからはもっと春らしい意向の遊びが増えそうです。きっといままでの鬱憤を晴らすように、公園の遊具や広場を駆け回るようになるんだろうなあ。共に遊ぶ身としては、これまでとはまた違って意味で(心肺能力を要求されるという意味で)体力勝負となりそうです。

早くも筋肉痛の予感が漂っていますが、「お外に出かけるぞー」という言葉に反応し、目を輝かせて我先へと表へ飛び足していく子どもたちの表情や笑顔を見れば少々の体の痛みなど吹っ飛んでしまいます。

四月、たのしい新学期の始まりです。

気がつけば 

2018, 04. 01 (Sun) 22:30

久しぶりにせわしい一日でした。気がついたらこの時間。雑務というのは不意に湧いてくるものですね。Jリーグが再開しましたが、まだ一試合も見られていません。札幌の初勝利はいつかなあ。また明日頑張ります。