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土手の芝 

2018, 03. 31 (Sat) 21:30

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川の土手を散策していて、雪の下に閉じ込められていた枯れ草が緑の芝へと変化するのはいつなんだろうとふと思いました。蕗の薹などはわかりやすいのですが、いつも目にしている土手の色がいつも気がつくとなんとなく緑へと色づいているような感じがして、その「芝が変化する」まさにその瞬間を見てみたいと考えたのです。予想では、干からびた枯れ土の間から若い下草の芽が息吹くように芽生え、徐々に生え出し、その新緑が次第に枯れ芝の茶色い色を駆逐していくのではないか・・・というような気がしますが、にしては変化があまりにも鮮やかで、まるでアニメーションのCG処理を見ているみたいな気分になるんですよね。もちろん綺麗なんですが。ううむ。

こうなったら毎日でも決まった時間に野歩きして、変化の瞬間を見届けるほかなさそうです。

久しぶりに・・・ 

2018, 03. 30 (Fri) 20:30


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陽気が続いたということもあって、先日少し遠出をしてお蕎麦を食べに行ってきました。風はまだ少し肌寒かったですが、暖かい日差しがいい感じでそれを和らげてくれます。思えばこんな簡単なことがここ数ヶ月ずっとできなかったんだなあ、と舗道から左右に目を配ると、雪の溶けた街の情景がありありと目に映えるようでつい歩が前へと進みます。鼻先に漂う、春の兆し。

お店について早速お蕎麦を注文。気温から言うとまだまだ温かい蕎麦がふさわしい感じでしたが、ここはあえて冷たいざるそばを注文。心ゆくまで堪能しました。いやー、美味しかった。我ながらなんでこんなにそばが好きなんだろうと不思議になりますが、まあ、好物なんてそんなものですよね。安上がりな好みのような気もしますが、本人が満足しているんだからいいんです。これからは散歩がてらちょくちょく来たいなあ、と思った三月の末日でした。

Amazonミュージック 

2018, 03. 29 (Thu) 19:30


すごく今更ですが、これまでまったく利用していなかったAmazonミュージックを使ってみました。Amazonプライムにはずっと加入していましたし、Amazonビデオはヘビーユーザーだったわけですから、これも利用しようと思えばいつでもできたのですが、ぼくの頭の中で「音楽はオーディオで聴くもの」という考えが抜きがたくあり、これまでかたくなに使わないでいたんですよね。が、試しに利用してみると、そのあまりの快適さにすっかり驚いてしまいました。パソコンの前に向かっているときに好きなジャンルの音楽を流しっぱなしに出来るというのが、こんなに気持ちいいものだったとは・・・。

これまではタブレットを操作し、好きな音楽やアルバムをいちいちチョイスしていたのが、Amazonミュージックだと特に意識しなくても自然と音楽が流れてきます。(当たり前)「ながら聴き」ができるという点ではラジオに似ていますね。選曲は無限に近いほど出来ますし、名曲や名演集をセットすれば、エンドレスに音楽が流れてきます。レスター・ヤングもベニー・ゴルソンもコールマン・ホーキンスも聴き放題です。(なんかすごく普通のことで感激しているような気も)

正座して真剣に音楽に向き合う時間もいいですが、こうしてニアフィールドでリラックスして聴く音楽も楽しいものですね。でもこうなると、もう少しいいスピーカーが欲しくなってくるから不思議なものです。今はDALIのメヌエットをPC周りに置いてまったり聴いているのですが、そろそろ取り替えようかなあ。


暖かくなって・・・ 

2018, 03. 28 (Wed) 20:30

先日買った桜の植木はその後もすくすくと(?)華開き、白い花弁を枝いっぱいに咲かせるようになりました。やはり部屋で一番日当たりのいい場所に置いたのがいいのでしょうか。いつのまにか朝起きるたびに「今日はどれくらい咲いているかな?」と見に行くのが習慣になってしまいました。お花なんてつい数年前までほとんど興味もなかったのに、これも年齢の変化でしょうか。毎日お水をあげたいところですが、この手の枝は土が乾燥してからからになるまで水分を与えてはいけないそうで(少しぞんざいに扱うくらいの方がいいそうです)、我慢の日々です。これから札幌も暖かくなるそうですし、日の光をいっぱいに浴びた桜の成長が今から楽しみです。

眼鏡を見に 

2018, 03. 27 (Tue) 20:30

眼鏡を新調しに行きつけの眼鏡屋店に。ついこの間換えたばかりだと思っていたのに、もうけっこう経っていたことにびっくり。久しぶりに視力を測ってみると、変わっていないとのことで大いに気をよくする。前回、「もう少しお年を召してからの方が・・・」と言われて断念したラインアートのフレームをかけてみる。こんなときいつも思うのだけれど、目の悪い人間にとっては新しい眼鏡が似合うかどうか鏡で見てみてもわからないわけで(度が入っていない)、意味がないような気が。とりあえず仕事用・書斎用の眼鏡を一つ新調することにしてこの日は終わり。昔買った文庫本がもっと気楽に読めるようになればいいなあ。表へ出ると高く青い空が出迎えてくれました。もう春です。



偉才二人 

2018, 03. 26 (Mon) 20:30


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若山富三郎、勝新太郎兄弟について語った山城新伍さんの『おこりんぼ さびしんぼ』を読了。抱腹絶倒のエピソードの数々に読みながら思わず笑い声が出る。特に若山富三郎のエピソードが面白くてたまらない。シルクハットの大親分の役柄そのままで。もうこんな役者さんは出ないのだろうなあ。続いて勝新太郎さんの自伝、『俺、勝新太郎』を手に取る。こちらもいい。これまで見てきた座頭市や兵隊やくざがもっと豊かなものに思えてくる。毀誉褒貶のあったおひとだけど、やっぱり素顔は天才としかいいようがない。大映作品をもっともっと見返したい、と思った一日でした。

本の季節 

2018, 03. 25 (Sun) 20:30

最近読書がはかどります。時間がなくてずっと読めなかった反動からか、近頃は本ばかり読んでいるような気がします。映画の本が多いですが、こんな時にしか読めない難しくて分厚い本を腰を据えてじっくり紐解くのもいいですよね。その中でも面白かったのはやはり『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ著)でしょうか。上下巻のハードカバーですが、刺激的な読み物で一気に読んでしまいました。大変な学者さんのようですが、文章に通底する辛辣でありながらそこはかとないユーモアと仄かな優しさが胸を打ちます。


望みは選手だけ 

2018, 03. 24 (Sat) 20:30


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先日の日本代表戦、マリ対日本は1-1の引き分けでした。といっても、後半ロスタイムにかろうじて追いついただけの敗北に等しい敗戦です。メンバーもテスト色の強いもので、ゴールを決めたフレッシュな中島選手以外見るべきものはほとんどなかったといってもよい試合でした。以前からそうでしたが、ぼくの中で今回のワールドカップに対する期待値はもうほとんどなくなってしまった感じです。もちろん選手には頑張ってほしいですし、大会が始まれば応援もしますが、予選三試合三連敗で終わっても少しも驚かないほどテンションは落ちています。記念すべき初出場以来、ワールドカップを迎えるたびにこれまで何度となく日本代表を応援してきましたが、こんなことは初めてです。ううん、どうしてこんなことになってしまったか・・・。

一つ言えることは、今の監督さんは選手の適性ポジションというか、その選手が最も得意とするポジションで使うことが好きではない、ということでしょうか。こうした監督の末路はだいたい決まっているわけですが、願わくば日本代表メンバーがこうした逆境に逆に発憤し、一致団結して本大会に臨んでくれたらいいと念じています。結局プレイするのは選手なのですから、いい表情でピッチでボールを追いかける選手たちが見たいと思います。本当に。


一足早い桜 

2018, 03. 23 (Fri) 19:30


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ようやく陽気も仄かに春の兆しを感じさせるようになってきました。風はまだまだ冷たいけれど、路肩の雪もずいぶん溶けた感じです。我が家も冬の間物置に避難させていた瀬戸のお人形やオーナメントの類いを庭に設置し、花壇の間に煉瓦の台座などをしつえらました。土はまだ固いのでシャベルは通りませんが、そのうち種なんかを植えたいと思います。まだ早いかなあ。

先日ホームセンターに立ち寄ったとき、鉢に入った桜の枝の植木が売っていたので思わず買ってしまいました。まだまだつぼみの状態で、当分の間開花はしないだろう・・・と思い、日当たりの良い二階の窓辺に置いておいたら、翌朝には枝の上の方のつぼみが開き、淡くピンクがかった白い花弁が小さく咲いているのを見つけてびっくり。やっぱり日差しの感じられる暖かい場所だとお花の目覚めも早いようです。ただ、桜の開花の様子を週末に子どもたちに見せるつもりで買ったので、若干当てが外れてしまいましたが・・・。

全面的な開花は四月半ば頃でしょうか。今から楽しみです。

美しく、狂おしく 

2018, 03. 22 (Thu) 19:30


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映画評論家、春日太一さんの『美しく、狂おしく』を読了。これは女優、岩下志麻さんのロングインタビューですが、面白くて一気読みしてしまいました。岩下志麻さんと言えばお若い方には一般的に「極妻」のイメージが強いでしょうが、ぼくはどちらかといえば古い作品から邦画の世界に親しむようになったものですから、なんといっても小津安二郎監督の『秋刀魚の味』や中村登監督の『古都』の岩下さんがイメージに強く焼き付いています。とにかくすらっとしていて綺麗な人、という印象ですね。

本書ではいつもの春日さんらしく、本当に丹念に彼女のそのフィルモグラフィーとキャリアを追っていくわけですが、とにかく佇まいだけでなく、性格も内面もとてもしっかりとした端正な女性だったんだなあ、というのが一読しただけでよくわかり、すっかりファンになってしまいました。

類別すれば「憑依型」というのでしょうか、すっかり役柄に入り込んでいまう自分の演じ方を、質問に応じてどちらかといえば淡々とした調子で語っていくその語り口は、内容がすさまじい密度と濃さなだけに、かえって読む者に凄みを与えずにはおかない迫力に満ちています。じっさい、これだけの名作に彩られたキャリアの持ち主は一体何人いるだろう・・・と考えると、その出演作を挙げるだけでそのままここ半世紀の日本の映画史を語ることになってしまうのこの大女優の存在感をあらためて感じずにはいられません。

読了後、あわててまだ観ていない作品をチェックしてAmazonでDVDを注文しましたが、これで当分の間、観る映画に困らずに済みそうです。それにしても綺麗な人っていうのは、いつまでたっても綺麗なままなんだなあ、と改めて感じ入った一日でした。


寒い日は・・・ 

2018, 03. 21 (Wed) 19:30


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天気が悪いのに所用で外出する機会が多く、吹き付ける風に思わず襟を立てる日々です。凍えて通りがかりのコンビニや駅の構内に入るとほっとしますね。どうも日本列島上空に寒気が流れ込んできているらしく、このお天気の悪さは全国的なもののようです。もうすぐ四月ですし、早く暖かくなってほしいなあ。ようやく家に戻ってココアを飲みながら本を読むとほっとしますね。原寮さん(字違いですが)の久しぶりの新刊、『それまでの明日』が今日届きました。沢崎シリーズの最新刊。今から読むのが楽しみですっ。

『ミクと時のひなた』 舞台探訪 その4 

2018, 03. 20 (Tue) 19:30

―――(豊平川)

『ミクと時のひなた』の舞台探訪、三回目は札幌、豊平川です。


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過去にタイムスリップしたこの物語の主人公、ひなたはこの川の畔の草むらで目を覚まします。豊平川は札幌市の市街を貫流する大きな川で、石狩川の支流のひとつです。札幌に住む人間にとってはおなじみの川ですね。街のすぐ横を流れているイメージで、河岸敷は緑地として整備されていて、近くから眺めるといい感じに拓けた風景が広がっています。対岸が見えて。


物語にとってはかなり重要な場所で、ある意味物語の転換・転調はすべてここで行われると言っても過言ではないくらいです。もっとも、ではこの場所がぼくにとってとても馴染み深い場所なのか、と言われればそうでもなく、その意味ではむしろ思い入れは薄い方なのですが、作品を書いていると時々こういうことがあるんですよね。つまりさほど知らないし、詳しいわけでもないのだけれど、ふと登場させた途端、その場所や風景がいつしかその作品にとって非常に重要な要素となってしまっている・・・ということが。『ミクとき』にとってはこの川の土手がそうだったようで、結局、ストーリーの最後までこの土手は登場することになります。

ただ去年の初夏の頃だったでしょうか。こうしてあれこれいっぱい描写しているわけだし、地元民として一度きちんと現場に取材に行かなくては……と思い、カメラを携えて川まで行ってみたことがありました。


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地下鉄バスセンター駅で降りて、川に向かってひたすら歩を進めるとすぐに車道脇の土手が見えてきます。下草の生い茂った急な斜面を降りると、磯の匂いがぷんと漂ってきて、ごうごうという川のせせらぎが聞こえてきます。流れは結構急で、白い波濤が岸辺の石を絶え間なく黒く濡らしており、この川が決して穏やかなだけの河川ではないことを示しています。事実、春の季節は数ヶ月分のたまりに溜まった雪解け水が怒濤の奔流となって一気にこの場所を浸すことになります。そのため河川敷は草野球場などがらくらく数個分取れるほど広々としていますが、のちに物語に出てくるそうした描写の数々は、この辺を歩いたときのイメージを元にしたものとなっています。


個人的にも川はけっこう好きで、うちの近所の川のほとりもぼくにとっては定番の散歩コースとなっています。べつになにをするわけでもないのですが、流れを眺めたり、側を歩いているだけで気分が落ち着くんですよね。いつも折々の季節感を感じることのできるのも、川ならではの光景という感じがします。


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これまたぼく個人の印象ですが、物語ジャンル的に「タイムスリップ」といえばなにやら川の土手のイメージがありますけれど、きっとこれは細田守監督の『時をかける少女』のイメージに依る部分が大きいのでしょうね。あの作品も季節が夏で、白い雲、高い空、そして少女と、タイムトラベルものの清冽で爽やかなイメージを決定づけた作品でした。ぼくも大好きな作品です。

この川の畔で主人公のひなたがどんな出会いを果たすのか。そしてそれが彼女の未来にどんな運命をもたらすのか―――。今後もストーリーを見守っていただければ幸いです。




川べりを歩く 

2018, 03. 19 (Mon) 19:30


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今日は屋内にいても風の音がわかるくらい風の強い日でしたが、がんばって野歩きをしてきました。雪も溶けて、乾いた路面がずいぶん顔をのぞかせていました。

むかい風に首をすくめて通りをどんどん歩いて行くと、長い冬の間、雪の下に閉じ込められていた眺めが露わになっていて面白いですね。もちろん綺麗なものばかりではありません。目を楽しませてくれる黒い下土やほんのかすかに芽吹きかけている緑の兆しに混じってみられるのは汚れたペットボトルや空き缶、たばこの吸い殻、ビニール袋など、ゴミもちらほらと。雪解けを待って住人たちで清掃するので綺麗にはなるのですが、やはりこの時期はこの手の「落とし物」と再会する季節でもあります。たまに子どもの手袋や、酷いときには長靴の片方が落ちてたりしておどろくこともあります。一体どうやって帰ったんだろう・・・と地味に気にかかったり。

川べりは日当たりがいいのか、雪解けも早いですね。真っ先に草木の息吹くのはやはり水辺です。土手をずんずん歩いて行くと、お外を自由に闊歩していた頃の気分を思い出し、つい遠出をしてしまいます。自らのほおの冷たさにふと気づき、あわてて引き返す動作までもが例年通りです。
早くお散歩がしたいなあ。

『ミクと時のひなた』 舞台探訪 その3 

2018, 03. 18 (Sun) 19:30



―――(札幌路面電車)


舞台探訪その3は札幌市電です。


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札幌市民の足としておなじみのこの路面電車は長く路線縮小が続いていましたが、2015年に環状線となり、見違えるように立派になりました。車両も新しくなり、動きもなめらかで、久しぶりに乗ってびっくりしましたが、やはりぼくの頭の中にあるイメージは、くたびれて鈍重になった躯体でよいしょよいしょとたくさんの乗客を乗せて動いていたむかしの「チンチン電車」と呼ばれた古い車両のイメージです。その言葉を聞くと、あの西四丁目の停留所……吹きさらしの長屋の中でとんとんと足踏みしながら電車を待って立っていた頃を思い出しますね。

本作においては1980年のひなたが利用することが多いので、彼女が目にしている市電はあくまで当時の路線図で運行されている過去のものということになります。実際その頃に使われていた、ややずんぐりと丸みを帯びた緑色の車体の方がぼくなどは印象は強いですね。環状線になってから内回りと外回りで進行方向が以前と逆になった関係で、車窓を流れていく風景にちょっぴり違和感があります。ちょっと乗るには便利にはなりましたけれど。


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実は札幌市には交通資料館というところがあって、ここには昔使われていた市電の車両やバス、地下鉄の車両などが無造作にごろごろ展示させているというその筋の方にとっては夢のような場所です。ぼくも夏には生徒たちを連れてよく行きますが、このときの子どもたちのテンションの高ぶりは尋常ではないです。(男の子は特に)展示されている懐かしい市電の車両を見るとなにやらほっこりしますね。そのいかにも「壊れるたびに修繕して大切に使ってきた」という感じに、得も言われぬ味があるというか。


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昭和45年(1970年)の札幌市電の路線図



今作を書くに当たり、むかしの路面図などもずいぶん調べましたが、これを見ているとむかしはずいぶん市内のあちこちに路線が張り巡らされていたのだなあとあらためて感じ入りますね。やはり札幌冬季五輪(1972年)にともなう札幌市営地下鉄の開通が市電衰退の大きな要因だったのかなあと思ったり。あの頃に社会的なインフラが一挙に整備されたんですよね。でも近年は観光客の方たちの急増で路面電車がある種ノスタルジックな形で浮上し、それが再整備化によって現代的に一新されるような感じがあって、ちょっと不思議な気持ちがします。一巡りしてレトロなものが急にモダンになった、みたいな。もっとも先日街中でタクシーを利用したら、「環状線になってから道がすっごく走りづらくなった!」と年配の運転手さんがこぼしておられましたが。

そして札幌で市電と言えばもちろん『雪ミク電車』です。


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これは毎年冬の時期になると車両全体が雪ミクちゃんでラッピングされた電車が運行されるというもので、ぼくも毎年楽しみにしています。実際に間近で見るとけっこうな迫力で、思わず「うわ」と声が出てしまうほどです。車内では広告枠にミクちゃんのイラストが張ってあったりしてすごく華やかですね。ミクちゃんは外国でもよく知られていて、観光客の方にも人気があるみたいです。

作中において、ひなたはこの電車に幼い母といっしょに乗ります。そこで目にしたものが彼女にある重要な決断を下させることになりますが、いったいそれが彼女をどういう未来に導くのか―――、今後の展開をご期待ください


春遠し 

2018, 03. 17 (Sat) 19:30


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ここ数日、いい感じで雪が溶けてきた・・・と思っていたら、あっという間に真冬日に戻ってしまいました。朝、日の光に導かれてブラインドを開けると、あたり一面の素晴らしい銀景色です。ここまで見事に視界が白く染まると、逆に感じ入るしかありません。とくに今朝の光景はもしカメラマンが観たら心を動かされるほどで、裸の枝に白い雪が載り、それが朝のまばゆい曙光を浴びて煌めいているところなどは思わずその場で身動きを止めてしまうほどでした。いや、ほんとうに。

ただ寒いのはもう勘弁、という感じなので早く暖かくなってほしい・・・と念じつつ、赤いストーブに手をかざす毎日です。


日本代表メンバー発表 

2018, 03. 16 (Fri) 20:30


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来月の親善試合に向けた日本代表メンバーが発表されました。ワールドカップ本大会前に行える数少ない強豪国との試合ということで、メンバー選考もかつてない厳しさを帯びているように思えます。本番までもう三ヶ月。ここで落選しては本大会出場はかなり厳しいものとなるとどの選手も理解しているだけに、我々ファンもつい応援している選手に感情移入してメンバー発表を見てしまいます。

結果は本田選手や宇佐美選手が復帰した一方、リーガエスパニョーラで印象的な活躍を続けている乾選手が落選してしまいました。ううん。残念。局面で戦えるいい選手だと思うんだけどなあ。ハリル監督はどうも乾選手のことをあまり好きではないようです。長くサッカーを追いかけていると(特に海外において)彼のような、その特徴を表現するに際し、「天衣無縫」とか「自由奔放」などといった四字熟語が頭につく、ひらめきと創造性を有した選手を嫌うシステマチックな監督が多数いることに気づきますが、ハリル監督はどうやらその傾向を強く持つ監督みたいですね。カペッロやリッピといった「鬼軍曹」とまでは言いませんが、選手の汗と自己犠牲の上に自らが思い描くサッカーをピッチに描いていくタイプの人・・・。

むろん規律は大事ですし、2018年現在のサッカーがインテンシティとハードワーク、前線からの守備なしに成立しえないことは十分承知ですが、乾選手のような颯々とした風をピッチの上に巻き起こすような選手をもうちょっと上手に使ってくれたらなあ、などとつい考えてしまいます。

本大会とその直前のメンバー発表まであと三ヶ月。サッカーファンにとっては気をもむ日々はこの先も続きそうです。




いつもの日々 

2018, 03. 15 (Thu) 19:30



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ぼくの脳内イメージ



ふう。久しぶりに書くいつものブログです。カクヨムサイトでの『ミクとき』の連載の準備にここ数週間ずっと慌ただしかったのですが、それもどうにか一段落し、ここ数日、ようやくいつもの日常が戻ってきました。連載の方もなんとなくですがペースがつかめてきたので、しばらくはこんな感じで行きたいと思います。

あと、読んでいただいた方に改めてお礼申し上げます。物語はまだ序盤、始まったばかりですし、今後も長く続いていきますが、新連載に伴いこうして皆様に興味をもらえたこと、拙作をお読みいただけたことはとても嬉しいですし、ぼくとしても大変励みになります。本当にありがとうございます。今後もよろしくお願いいたします。

さて、ぼくがパソコンの前で慣れぬ作業をしている間に気温の方もだいぶ穏やかになってきたようで、近頃は暖かな日差しを感じる日も多くなりました(まだちょっぴりですけど)。『春』というにはまだちょっと早いですが、この季節は日に日に寒さが和らいでいくのを実感できるのでほっとしますね。まだ路肩に根雪が所々残っているものの、それでもずいぶん乾いた地面が見えるようになってきました。あと少ししたら、お散歩も大手を振って行けるようになるかなあ。今からその日が楽しみです!

『ミクとき』 登場人物たち その1 

2018, 03. 14 (Wed) 19:30


―――御形ひなた(13歳)


この稿では本作の登場人物たちの紹介をしていきます。一回目は御形ひなた。主人公の女の子です。御形は(ごぎょう)と読みます。この春に中学生になったばかりの女の子で、七年前に作家である父親を亡くしており、現在は母親と三つ年下の弟と三人で暮らしています。札幌で震度七の大地震が発生した瞬間、37年前の過去にタイムスリップしてしまうという役柄ですね。施設にいるおばあちゃんをいつも見舞う、優しい性格のちょっとそそっかしい女の子です。

本作は女の子の一人称で、これはぼくにとっても初めての試みということもあり、最初の一行は緊張し、けっこうドキドキしながら書き出した記憶があります。ですがこの子とは相性がよかったのか、ぼく自身すぐに彼女に同化し、作品の色になじむことが出来ました。男女の性差ということもさほど気になることはなく、この子のまなざしを追いかけていくことで、存分にこの作品の舞台である札幌の街をたゆたうことができたと思っています。

それでも、書き進めながら「やっぱり男の子と女の子は勝手が違うなあ」と思うことはたくさんありましたし、その違いは書いていて面白かったですね。たとえば、男の子ならこれほど率直に感情を表に出すようなことはしないだろう……という場面でも、女の子の場合だと可能だったり、行動一つとってもずいぶん思い切りがよかったり。男の子と女の子では、男の子の方が活発・行動的だという思い込みがありますが、実は案外逆なのかもしれない・・・というようなことを書いていて感じました。

なにより女の子の方がその時々の自分の気持ちに対して正直であるような気がします。これは余談ですが、男の子だとそこで変に我慢というか、つっぱってしまうようなこところがありますが、女の子はそのへんは恐れませんよね。これはぼくも自分が男だからわかるのですが、男の場合、理性的に振る舞うことが男らしいこと、自分を相対化するまなざしを持つことこそが内面的な強さの証明である、というような思いこみがあり、自分の感じている感情をあえて軽視するようなところがある気がします。

作家の娘、という役柄に対しては前から一度書いてみたかったので、今回実現できて嬉しかったですね。親父周りの描写やこの辺の日常に対するディティールはぼくの生活が反映されている……のかな? でもさすが道産子だけあって、札幌の街での暮らしぶりは堂に入ったものだと思います。(取材いらず)介護施設でのおばあちゃんとの会話は、ほぼぼくが祖母と実際に交わした通りのままですね。古い預金通帳も何度見せられたことか・・・。でもこのひなたという少女はいつも朗らかなキャラクターで、彼女の明るさにはずいぶん助けられました。

お友だちのカーチャ(ロシアっ子)との関係が書いていて楽しく、もっと書きたいなあ、と思ってしまいました。いいですよね。こういうお友だちがいたら。札幌の街(特に繁華街)を歩いていると、時々ロシアの方を見かけることがあり、地理的に近いことを実感させられますね。

作中内で彼女が住んでいるとおぼしき一帯は先の稿で触れた旧永山邸があるあたりですが、現実ではむろんありえず、すべては架空なわけですが、そのあたりから大通公園へ向かうまでの道のりに関しては、ぼくもよく歩いていますので、ほぼ実在の道すじが描かれているかと思います。こういうのを書けるのが実際の街を舞台としたときの醍醐味ですよね。

彼女は母親の仕事を手伝って小さい子の面倒を見たりしているわけですが、このあたりのくだりはぼくのかつての記憶と体験がそのまま反映されているような気がします。いろいろ学んだなあ。あの頃……(しみじみ)

彼女は大地震を経験したことにより、自分の慣れ親しんだ居心地のいい世界―――2017年の現実からまったくなじみのない、三十七年前の日本へとタイムスリップしてしまうわけですが、そこで彼女が一体誰と出会うのか、その逆境の中、どうやってたくましく生きていくのか……どちらかと言えば平凡な女の子に過ぎないこの子の成長と変化を、今後見守っていただければ幸いです。


『ミクと時のひなた』 舞台探訪 その2 

2018, 03. 13 (Tue) 19:30


 ―――(大通公園)


大通公園は今更あらためて語るまでもないでしょう。札幌市の真ん中にあるおなじみの公園です。

ぼくもこの公園はよく小説の中に書きました。(というか、デビュー作ののっけからこの場所が登場していますね)今度の作品においても、かなりの頻度で物語に登場します。書く際にあまり物事を考えなくてもいい場所として、大通公園はたいへん重宝していますが、札幌市民にお馴染みのこの緑豊かな憩いの場も、よくよく調べていくと凄く面白いですね。もともとは火事が起こった際の防火線の役割を果たしていたとか、終戦後しばらくは進駐軍に接収されて野球場やバレーボールコートがあったとか、戦時中は食糧不足を補うために大半が野菜畑になっていたとか。今のきれいな噴水があり、四季ごとに色鮮やかな花が咲き乱れる花壇がある姿からは想像もつきません。


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今作においてもこの公園は登場しますが、作中の季節が五月ということもあって、ライラック祭りの描写があります。『ライラック祭り』とは、毎年こちらで開催されるお花の祭典です。これはたんにこのシーンを執筆していたのがちょうど昨年の五月だったためですが、今読み返してみると、当時実際に足を運んで印象に残った場面がそのまま記されています。

地元の吹奏楽部の生徒たちがおのおの楽器を持って、緊張気味に自分たちの演奏の出番を待っていたのもその通りですし、野外イベントを待つ人々のどこか開放的な様子、美味しそうな屋台ブースから漂う食べ物の匂いなど、今もはっきりと思い出すことが出来ます。残念ながら時間が合わず、演奏は聴くことが出来ませんでしたが。でもいろんな花が咲き誇っていて、とくにライラックの紫の色がカメラのモニターの中にいい感じで映っていたのを覚えています。


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本作においてこの場所は重要な場所として何度も登場しますので、その時々の時代の変化、そしてひなたの内面の変化にも注目して読んでいただけるとうれしいです。最初と最後の場面において、彼女がどれだけ変化しているか……。緑や自然の豊かな公園というのは、それだけで四季の描写が容易になるという、物書きとしてはちょっぴりありがたい側面もあります。やっぱり文学において季節感は欠かせませんものね。


そんな大通公園も、近年はスーツケースを持った観光客の方が尋常じゃないくらい増えて、いささか賑々しい場所となってしまいました。が、抜けるような青い空と、空を指しながらすくっと聳える赤いテレビ塔の下、のんびり本を読んだり、ひなたぼっこをしたり、そしてリンネみたいな食いしん坊な子は美味しい焼きトウモロコシを食べたりと、ゆったりとくつろげる場所であることに変わりはありません。今度、久しぶりに行ってみたいなあ。お気に入りの文庫本を持って。



『ミクと時のひなた』 舞台探訪 その1 

2018, 03. 12 (Mon) 20:30


―――(旧永山武四郎邸)


この稿では『ミクと時のひなた』に登場する場所や土地、舞台について語っていきたいと思います。

「地元を舞台に物語を書く」ことの楽しさは、自分が実際に知っている場所や行ったことのある場所をそのまま作中に登場させることが出来ることだと思います。実際に自分もその場に立ったことのある場所にキャラクターたちを立たせ、なにかを語らせたり、会話させたり、アクションを起こさせたりすることは(もちろん紙の上でですが)本当にわくわくしますし、こちらもその土地のことを知っている分、自然と描写にリアリティが増す感じがします。

もっとも、これはかつてどこかで述べましたが、地元民というのはあんがい自分の住む街の名所や観光スポット(?)へ行ったことがないというのは、きっと皆さんもご自分がお住まいの街のことを思い出していたければ、思い当たる節もおありになるのではないでしょうか。(ぼくもテレビ塔に最後に上ったのははたして何年前になるか……)


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というわけで、この旧永山武四郎邸です。この建物は本作において主人公の女の子、ひなたのおうちのモデルということになっています。もちろんぼくが勝手にそう思っているだけですが、執筆している間中、ぼくの頭の中にはいつもこの洋館のシルエットがイメージとしてありました。

元々この屋敷は薩摩出身の陸軍軍人、永山武四郎という北海道長官が住んでいたお屋敷らしく、大変立派な建物です。建築方式としては和風の木造建築と洋風の応接間がくっつくという典型的な和洋折衷様式で、1880年頃に建てられた建物だそうです。開拓使長官なんていうのは当時のスーパーエリートというか、支配者階級なわけで(現に永山さんは後に華族になったそうです)、いくら時代が下り古くなったからからと言って、そんな歴史的な住まいに一般家庭の女の子が住んでいるというのは明らかにおかしいわけですが、ここはあえて書く上での「作家の娘の住むお家」というイメージやビジュアルを優先しました。


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ぼくも昔の建物を見るのは好きなものですから、このお屋敷はよく見学に行きました。明治や大正の頃に建てられた古い洋館って言うのは、なにやら胸にロマンをかき立てられるというか、人を惹きつけずにはおかない蠱惑的な魅力がありますね。(これまた全然関係ない話ですが、むかしPCソフトで『琥珀色の遺言』という洋館を舞台にしたアドベンチャーゲームがあって大好きだったなあ)


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場所としては地下鉄バスセンター駅から降りて少し歩いた札幌ファクトリーのすぐ横にあり、とてもわかりやすい場所にあります。もっともツツジやイチイの木が茂る庭園に囲まれているせいか、あまり目立たず、いつ訪れてもひっそりとしていて、見学客と出会うことはまれだったような記憶があります。板の外壁は白く、屋根は緑という大変品のいい、かわいらしい建物です。内部も落ち着いた和室の間が連なり、一見地味ですが細部に贅をこらした造りとなっています。


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一度、なぜかお袋と一緒に行ったことがあり、年配の管理人のおじさんに「お母さんを連れてくるなんてえらいねえ」と褒められたことがあります(笑)が、あれはなんだったのかなあ。

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今回小説を書くに当たって去年の六月頃にあらためて取材に行ったら、敷地全体が高い塀で囲われていて建物を見ることができませんでした。うーん。残念。聞けば、立派な観光名所にするべく大々的な改修工事が行われているらしく、2018年度中に完成するとのことです。つまり、この作品におけるひなたの家のイメージや間取りは直前の厳密な取材によるものではなく、ぼくが数年前に訪れたときのおぼろげな記憶によって描かれたもの、ということになります。まあ、だいたいいつも作品を執筆するときはそんなものですね。

完成まであと数ヶ月。暖かくなった頃には再びその姿が見られるでしょう。どんな風に改修されるのか、ぼくも今から楽しみですが、当時の雰囲気や外観をそのまま残してもらえたらうれしいですね。


『ミクとき』 前奏 その4 

2018, 03. 11 (Sun) 20:30


さて、このお話を書く前に抱いていた3つ思い―――その最後は「自分のことを書いてみよう」です。

先の稿でも少し述べましたが、ここ数年作品を書いているうちにぼくの中で次第にもっといろんな作品に取り組みたい、チャレンジしてみたいという気持ちが高まってまいりました。もちろん、ライトノベルに不満があるわけではありません。ライトノベルというジャンルはぼくが物書きとしてデビューさせていただいた分野でもあり、ぼく自身、今も強い愛着を持っております。

その不思議な懐の広さと雑食性……古今から存在するどんな文学形態もたちどころにその熟れ(こなれ)のいい消化器官に取り込み、瞬く間に自家薬籠中のものとしてしまうその圧倒的なパワーは今日、多くのお若い読者に支持されていますし、今後ますます興隆していくと思います。ぼく自身、駆け出しの頃からこのジャンルによって鍛えられ、その様々なニーズやオーダーを受け入れることによって、ずいぶん成長したと思っております。もしあのとき、角川さんに『リンネ』の原稿を応募していなければ、活字と自分の世界に惑溺し、ひたすら作者兼読者をやるだけで満足していたぼくは、こうして人様の前で作品を発表するような仕事をしているかどうかわかりません。

しかし、こうして書くことを続けているうちに―――以前、「踊り場に出た」という表現を用いたことがありましたが、ここいらで自分が物書きとしてもう一回り大きくなるためには、ここでもういっぺん書くという行為に対して真正面からぶつからなければいけないのではないか、という思いがふつふつと湧き上がってくるようになりました。


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そして地元・札幌の物語を書こう、この街に住む少女の話を書こう、震災やこの風土の歴史、祖母の過去など、自分と地続きの世界……肌で触れられ、切れば血が吹き出るような実在感のあるストーリーを書いてみたい、と思ったとき、「自分のルーツ」というものをテーマにすることはある意味必然でもありました。


ご存じの方もおられるかもしれませんが、ぼくは物書きになる遙か前から、(そして今も)幼児教育という小さなお子さんに携わる仕事に就いており、子どもたちと接してきた時間の長さは、ほとんど自分の半生に匹敵します。いっぱしの文学者気取り(ていうか、単に書き出しただけ)で、高邁な文学理論で頭をいっぱいに詰め込み、自意識ばかり先鋭化させて調子に乗っていた二十歳すぎのぼくは、引き離されたお母さんのぬくもりを求めて声を限りに泣き叫ぶ幼児の絶叫を前に、文字通り粉砕されました。

それは、ある種夢の中で妄想とともに生きていたぼくにとっては現世に舞い戻るきっかけを与えてくれた角笛のようなものであり、以来、ぼくはぱんつ一枚で走り回るおちびちゃんの世話をしたり、ご飯を食べさせたり、字を教えたりすることを通じて少しずつ真人間に戻っていった……というより、「生きる」とはどういうことかを少しずつ学び直していくことができました。

つまり子どもたちの存在はぼくにとって切っても切り離せないもので、ある意味書くことよりも身近なものです。(ぼくが子どもを描くことにこだわり続けているのも、たぶんこのへんに根っこがあるのでしょう。)

自分のそうした半生に対する思いを、今回ぼくはとくにリミットをもうけることなくそのまま物語の中に描くことにしました。むろんぼくが目指すのはエンターテインメントですし、エンターテインメントはまず第一に読んで楽しいものでなければなりません。なのでぼくのこうした個人史的な要素はあくまで作品を構成するエッセンスの一つにとどまるでしょうが、それでも今まで見向きもしなかった「己」というものに対して正面から取り組んでみたことは、ぼくにとってひとつの挑戦となりました。というか、むしろプライベート色の強い物語にトライすることが、ぼくの中で逆にモチベーションに繋がったような気がします。


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こうしたさまざまな経緯の中で全体の構想をまとめ、ぼくはしずしずと―――大海にむかって小舟を漕ぎ出すような、いささか心許ない心境で―――物語を書き始めました。ですが上述のような思いを抱いて創作に向かえば向かうほど、いわゆる「ライトノベル」のカテゴリーから外れていくことは間違いなく、これまでのような作品の方向性とは大きくずれていくことは明らかでした。

ですがぼくは今回、あえてそちらへの配慮は一切行わないことにしました。そのため、文章の質感や肌触りなどはこれまで皆様に親しんでいただいたようなものと異なり、そのことに少し違和感をおぼえる方もいらっしゃるかもしれません。むろん、ひとりの同じ人間が書いているわけですから文体や行間の匂いのようなものはこれまでと変わらない部分ではあるかと思いますが、作品の成り立ち上、今作が生粋のライトノベルではない点はどうぞご容赦いただいて、この作品にお付き合いいただけたら……と思っております。よろしくお願いいたします。



ふう。どうにかやっと前奏が終わりました。少しのつもりだったのですが、やはり書き出すと長くなってしまいますね。もちろん書き手の思惑がどうであれ、作品というのは読んで面白くさえあればいいわけであって、その意味では作家としては中身―――書いた内容がすべてだと思っております。

ただ今作は自分でも思う存分に力を振るった作品でもありますので、その成果を皆様に少しでも楽しんでいただけたらこれに勝る喜びはありません。北の街を舞台にしたこの『ミクと時のひなた』―――ぜひご覧ください!


カクヨムサイト 清野静 『ミクと時のひなた』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885323552



『ミクとき』 前奏 その3 

2018, 03. 10 (Sat) 20:30


前回に引き続いてプレリュードです。
以前の稿では新しい物語を書くのに際し、郷里である札幌の街を舞台にしようと思ったこと、そして女の子を主役とした一人称の物語に挑戦してみようと思ったというところまでお話ししました。今回はその続きです。


さて、そうした経緯の中から誕生した本作の主人公、御形ひなたという女の子ですが、この『ミクと時のひなた』というタイトルを見て、まっさきに不思議に思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか? タイトルにはひなたの前に、もう一人の女の子(?)の名があるからです。


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そう。初音ミクちゃんです。


初音ミクちゃんに関しては、ぼくも地元民の端くれとして応援していますし、大好きなキャラクターです。そもそも札幌の街で暮らしていてミクちゃんのイラストや姿を見ずにすごすことは一日だって不可能なほどで(特に交通機関とか)、それくらい彼女の存在は街中に溢れていますし、この長いグリーンの髪をし、ネギを手に持った(?)歌って踊れるヴォーカロイドの女の子は、ぼくらにとって親しみのあるものとなっています。


ぼく自身、ミクちゃんのねんどろいどをいつも机の前に飾っているほどで(二頭身でかわいい)、その意味では道外のミクファンの方にとってはある意味うらやましい環境にいるのではないかと思うわけですが、それもそのはず、『初音ミク』というヴォーカロイドの生みの親であるクリプトン・フューチャー・メディアさんは札幌市にある会社なのです。


札幌の街を舞台にした物語を書こう。生まれて以来、ずっと半生を過ごしたこの地元の街を題材にした物語を書こう。そう思ったとき、この街のイコンでもあるミクちゃんがお話に登場するのは自分の中でごく自然な流れでした。


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幸い、クリプトンさんは懐の深い会社なのか、それとも単にすごくおおらかなのか、ぼくが大量の原稿を送りつけて、「地元札幌を舞台に、これこれこういう小説を書いているのでぜひ初音ミクちゃんを作中に出させてほしい」とお願い申し上げたところ、快く許諾くださったので、本作はこうして今の形となってみなさまにご覧いただけるようになりました。(本当に感謝しております)


もっとも、本編は全体のうちまだ一章を公開しただけですし、ひなたという女の子の日常と、その平和な日常を破るように突然発生した地震が描かれたばかりで、この物語にミクちゃんがどう絡んでいくのかわからない方も多いかと思います。今後、彼女がいかにして初音ミクちゃんの存在に触れ、そしてその内面を変化させ、成長していくか―――。その経緯を含めて楽しみにしていただけたら幸いです。


カクヨムサイト 清野静 『ミクと時のひなた』
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885323552

『ミクとき』 前奏 その2 

2018, 03. 09 (Fri) 19:30


すいません。その2です。この稿は『ミクとき 前奏』と題しまして、この『ミクと時のひなた』という作品がどういった経緯・企図で書かれるに至ったのかということを作者自らが語っていくものです。

本編は全体のうちまだ第一章を公開しただけですし、この前奏もまたさわりの部分に触れただけですが、自分で書きながら早くも長大なものになりそうな予感がひしひしと漂っています。よろしくお付き合いいただければ幸いです………というわけで、前回の続きです。


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さて、次回作を書く上で、「次に物語を書くときはこうしてみたい」という思いは3つありました。ひとつめは地元・札幌を舞台にするということ。そして二つ目は、「女の子を主人公とした一人称でお話を書いてみたい」という思いです。

ぼくはこれまでの作品において、すべて男の子の視点から物語を書いてきました。より具体的に言うと、ある女の子を主人公に据え、その傍らにいる男の子のまなざしから物語を語っていくという形式です。女の子は明るく元気いっぱいで、目の前に広がっている未来の予感にわくわくと胸を膨らませている一方、男の子の方はより現実主義的で、そこまで素敵な未来を予感しているわけではありません。でもふたりは互いに好き合っており、お互いを必要としているパートナーでもある。やがてふたりは互いの手を取りあって、協力しながら共通の困難に立ちむかっていきます。

この男の子と女の子、ふたりで一対であり一人前、という形は古くから児童文学や物語の定型として存在し、親しまれてきました。ぼくも子どもの頃からこの手のお話は大好きで読みふけってきましたし、そもそも『リンネ』も、ぼくが幼少期に胸を焦がしたこうした物語を現代によみがえらせたい!という企図のもと書かれたものでした。(誰よりも自分が読みたかった、というのもある)

しかし、デビューから年月が経ち、この手のお話はもうずいぶん書いたという思いのほかに、「キャラクターではなく物語を書きたい」という方向へより気持ちが傾いて参りました。さらにこの、男の子より女の子の方が主役であるという構造は、どうしても男の子の側がある種の「狂言回し」の立場に立たざるを得なく、物語を牽引する役割や主導権は女の子の側にゆだねられているにも関わらず、地の文章や語りはあくまで男の子の人称視点に依るという、ある意味、まわりくどい手法をとらざるを得ません。

そこで今回、ぼくは思い切って主人公を女の子に据え、彼女の視点から物語を語っていくことにしました。女の子の一人称は初めての経験でしたし、きっとやりがいのあるチャレンジとなるだろうと考えたのです。


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さらにすでにお読みになられた方はお気づきになったと思いますが、今作においては「震災」というものが物語全体に通底する大きなテーマとなっております。この国に生きるものなら、誰もが我がこととして体験したことのあるこの大きな厄災を正面から描こう。その際、女の子の視線から当事者としてこの街を眺めること。そうすることで、地震というこの未曾有の出来事の一端にかろうじて触れることが出来るのではないか……そう考えたのです。その思いの背景には2011年の東日本大震災や、先年の熊本地震の存在がありました。

もちろん「震災」というこのヘビーなテーマに関しては、果てしてこれを書くことが出来るのか、それだけの筆力や力量が今の自分にあるのか、なによりその資格が己にあるのか、といったさまざまな葛藤や畏れがぼくの中にありました。しかし「もし描くのなら、思い立った今しかない」というほとんど体当たりするような思いで作中世界に飛び込んでみることにしました。このひなたという13歳の女の子が体験する出来事を通して、書き手であるぼく自身が体験し、感じた想いを、読者の皆さんにも少しでも感じ取っていただければ幸いです。

気がつくとまた長くなっていました。ううん。おぼろげにわかってはいたけど、書くことが多すぎて案の定全然進まないですね。でも、別に急ぐ話でもないですし、順々に行きたいと思います。


というわけで、続きはまた次回にまわさせていただきます。




『ミクとき』 前奏 その1 

2018, 03. 08 (Thu) 19:30

というわけで、清野静の新作『ミクと時のひなた』がはじまりました。読者のみなさまにこの物語を少しでも楽しんで頂ければ幸いです。

この稿では『ミクとき 前奏』と題しまして、この物語についてのさまざまなあれこれや裏話などをだらだらと語っていければと思っています。なにせ一年ぶりのお話ですし、その間いろいろと書きたいこと、話したいことが溜まっておりますので、それらを随時こちらに公開していければいければ・・・と考えています。よろしくお願いします

さて、この『ミクと時のひなた』ですが、作品の題材という意味では今流行の「女子高生のタイムスリップもの」に該当します。もっともぼくらしく(?)、「女子高生」の部分は13歳の「女子中学生」ということになっていますけれど。

やっぱりぼくはこれくらいの年齢の女の子を書くときが一番調子が出るみたいで、自然とこうなってしまいます。これはまったくの余談なのですが、ライトノベルを書いていると編集サイドからどうしてももっと上の年齢のキャラクターを求められる(読者年齢を考えれば当然のサゼスチョンです)ことが多いのですが、ぼくの場合、ほとんどアイデンティティーの根幹に関わってくる問題としてこの年齢を選ばざるを得ません。ほんとは小学生くらいの男の子・女の子が一番書きやすいんですけどね。自分なりにこうした心情を分析すると、たぶん自分は「この世代の親子関係や家庭のあり方を描きたい」んだろうと思ったりしますが、これはまあ余談ですね。

いわゆる書くきっかけというのは、今となってはあまり覚えていませんが、やはり自分の中の変化が結構大きかったかなと思います。要するにそろそろ本格的なものを書いてみたい、全力でチャレンジしてみたいという思いですね。こうした言い方をすると誤解されそうですが、この場合の本格というのは「本格的な超大作を書いてやる!」という意味ではなく、自分というものの存在や実存をありったけ注いだ作品を書いてみたい、という意味です。物書きには何年かに一度、あるいは何作かに一度、そうした作品を渾身で書かずにはいられない時期というものがありますが、今回この作品にむかおうと思った経緯には、自分が今、そうした潮流の中にあるという自覚がぼくの内部にあったせいかもしれません。

さらに今ひとつ理由を挙げるとすれば、―――これはいささか個人的な事情の色彩が強すぎる事柄で、読者の皆様には恐縮なのですけれど―――一昨年なくなった祖母の影響があるかと思います。ぼくの祖母は長生きで、享年108でその生涯を終えたわけですが(もちろん明治生まれ)、これがまあ結構な豪傑で、晩年は実に!手のかかるばあちゃんでした。まあ子ども時分はずいぶん可愛がってもらったわけですが、この祖母にまつわる様々な思い出というのは、ぼくの人格形成に結構な影響を与えています。むろんぼくもこの年齢ですから、いい加減そのへんの対象化はできているつもりですが、そうしたばあちゃんの記憶やよすがを含め、ここ数年のぼくの個人史のようなものがこの作品にさまざまな形で影(光?)を落としており、創作にむかう上での大きな動機づけになったことは間違いありません。

さて、それら有象無象の思いの中で徐々に固まりはじめた新作への意欲でしたが、その前からぼくの中には「次に書く作品はこうしてみたい」という漠然とした思いがありました。

箇条書きにするとこんな感じになります。


・札幌の街を舞台にした物語を書いてみたい
・女の子の一人称に挑戦しよう
・自伝的要素を入れる。思い切って自分のことを書いてみよう



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慣れ親しんだ札幌の街


一番最初の「札幌の街を舞台に物語を書いてみたい」という思いは、これはもうずいぶん前から持っておりました。これまでは、例えば『時載りリンネ』などでも大通公園やテレビ塔などが登場し、リンネたちの住んでいる街が暗に札幌市であることを示していましたが、あの頃はぼく自身まだ若く、物書きになって間もないということもあって、無意識というか、それほど深く考えず、自然に筆がむかうままに自分を取り巻く環境や様子を描いていたような気がします。

しかし今作を舞台を札幌にしようと決めたとき、ぼくはこの札幌の街をあらためてじっくり調べてみたいと思いました。ものを書くという喜びの中には、自分の世界を紙の上に現出させるという楽しさがあると思うのですが、考えてみれば、よく知っているようであまり知らない自分の地元(案外、どなたもそうなのかもしれませんが)をこの機会に自分なりに捉え直し、それを存分に作品世界に反映させてみたいと考えたのです。

さらにどうせ書くなら、一度「地元感丸出し」の作品を完成させてみたいという気持ちもありました。もう、地名や地域名がばんばん出てくる、他県の方が読んだら「わかんねーよ」というくらいの、ローカル色の強い『ご当地小説』です(そんな言葉があるのか知りませんが)。




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こうして物語を書き上げた今改めて振り返ってみると、自分がふだんよく訪れる場所や利用する施設、交通機関などがそのまま登場しており、これまでにない満足感がある反面、ちょっぴり気恥ずかしくもありますね。今となっては少しやり過ぎたかなとも思いますが、やはり一番よく知っている地元ですし、愛着もある街ですしね。書いている時はもう観光ガイドとして使えるくらいの細かさで調べ抜きましたので、読者の皆様にはその辺の部分も含めて楽しんでいただけたら……と思っています。

すみません。『前奏』のつもりで軽く済ませようと思ったのですが、思いのほか長くなってしまったようです。続きの部分は次回に回したいと思います。





『ミクと時のひなた』、始まります! 

2018, 03. 07 (Wed) 19:30




『ミクと時のひなた』


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あらすじ


2017年5月。北海道・石狩地方に震度7の巨大地震発生―――。

札幌に住む13歳の女の子、御形ひなたは突如北海道を襲った巨大地震に巻き込まれる。家の倒壊を目撃したその瞬間、彼女は時空を飛び超え過去にタイムスリップしてしまうが、そこで彼女が見たのは彼女が生まれる前の世界、年若い祖母や祖父、そして幼い母が暮らす1980年の札幌の街だった―――。

正体を隠すため、とっさに『初音ミク』を名乗り、37年の前の若き肉親とこの街で暮らし始めるひなた。彼女はあの日の母親の命を救うために歴史の流れを変え、未来に戻る方法を模索する。だが、ある時ひなたは気づく。この時代には七年前に夭折した作家の父、御形陽介がまだ生きているということを……。

「未来の歌姫」の名を名乗る「小説家の娘」が1980年と2017年、二つの時代の間でタイムトラベルを繰り返しながらその時の果てに見たものは……?

震災、未来と過去、謎の少年―――そして『初音ミク』。

清野静が贈る、郷里・札幌の街を舞台に繰り広げられる時間と恋の物語―――。




『カクヨム』サイトにて明日(2018年3月8日)より連載開始! 
毎週日曜日・18時更新





というわけで、お久しぶりです。清野静です。大変お待たせいたしました。『ミクの時のひなた』、紹介させていただきます。

この作品はぼくの一年ぶりの新作ということになります。上記でお知らせしたように、この『ミクと時のひなた』は『カクヨム』サイトにて全編公開予定です! まずスタートといたしまして、第1章をまるごとアップいたしますので読者の皆様にご高覧いただければ幸いです。

実は作品としては少し前から完成していたのですが、なにせ機械に疎い人間ですので準備に時間がかかってしまいました。(実はまだ少しわたわたしている)作品の分量が尋常じゃない上に、ぼく自身、こうしたネット上での「連載形式」は初めてなので、なにかと不備や不手際があるかもしれませんが、そのときはその都度ご指摘いただければ・・・と思っております。

ぼくもこの連載をたいへん楽しみにしていますし、皆様とこの作品を通じて触れあえることにとてもわくわくしております。ぜひお付き合いいただけたら(すごく長丁場ですが)―――と思っておりますので、よろしくお願いいたします!

作品の更新日は原則日曜日を予定しています。これはよほどのことがない限り守れると思いますので、このへっぽこブログ共々がんばっていきたいと思います。

あらすじ、そしてミクちゃんの存在からもおわかりになるように、かなり地元愛、ローカル色を全開にした作品でもありますので、そのへんのところも含めて楽しんでいただけたら嬉しいですね。なにせ積もり積もった書きたいこと、語りたいことは山ほどありますので、『カクヨム』サイトでの連載にあわせ、こちらのブログでも随時いろんなことを語っていければと考えております。

久しぶりの作品、みなさんのお目に触れても決して恥ずかしくないものを、と心に念じてがんばりますので、よろしくおねがいします!






新作 

2018, 03. 06 (Tue) 20:30



こんにちは。清野静です。


一昨年、『さよなら、サイキック』を上梓させていただいて以来、自分の中で物書きとしてひとつ踊り場に出たという実感がありました。言葉にすれば「やりきった」、「ひととおりやったな」という想いです。

十年前、ぼくはひょんな機会からライトノベルというジャンルでデビューし、ありがたいことに以来こうして物語を書き紡いでまいりました。それはとても楽しい作業であり、夢中でここまで続けて参りましたが、いつの頃からでしょうか。日々創作にむかううち、いつしか物書きとして書きたい内容が以前と比べて少しずつ変化している自分に気づくようになりました。

それは年齢的な変化なのかもしれませんし、あるいは人間として作家としてぼくがさまざまに経験を積みつつあるということも関連しているかもしれません。いずれにせよその想いは、ぼくの中にまた新たな野心・欲望を生むきっかけともなりました。


一言で言うなら「もっと違う物語を書いてみたい」という想いです。


もちろん、自分がこれまで書いてきた作品群には愛着がありますし、そのすべてがいい加減な気持ちで書いたわけではなく、ぼくという人間の内的必然から生じたものであることは間違いありません。幸い、これらの作品は (本来であれば、きわめて読者の方々を選ぶような類いの物語であるにもかかわらず)熱心に読み、支持してくださる読者の方たちに恵まれることができました。本当にありがたいことだと思っております。

しかし上述のような時の変化の中で、自分自身、ここいらで思いっきり勝負してみたい、あらためて素裸で世に出たようなまっさらな気持ちでなにか物語を書いてみたい! という強い気持ちが日に日に高まってまいりました。


さらに前々から漠然と抱いていた、郷里を舞台に物語を書いてみたいいう考えもありました。これまでも暗にこの街をモチーフにした作品はありましたが、それとは別に自分が生まれ育ち、今もこうして暮らしているこの札幌の街を舞台にして、なにか大きな物語は書けないだろうか……? 冬には一面純白の世界に包まれながら雪を跳ね、夏には涼を求めて子どもの手を引いて水場へ赴き、秋には赤く色づいた七竈ごしに紅葉を眺め、春には雪解け水で奔流する川のほとりで、かわいらしく芽を出した蕗の薹を摘む……。


それら四季の風景がぼくは大好きですし、当ブログでもおわかりのように、ぼくはそこに文字通りくるまるようにしてすごしてまいりました。そんなこの街を背景に、常日頃接している子どもたちや先年亡くなったばあちゃんのこと、自分の仕事である教育や育児のこと、さらにはここ数年この国で起こった様々な災害に対する想い―――そうしたいわばプライベート的な要素をまるごとひっくるめて、自分と地続きの物語を書いてみたい。今から書けるのではないか……。そうした長年の思いが徐々に形となっていったのは去年の冬のことだったでしょうか。

もちろんそこにどんなに個人的な想いや心情が込められているにせよ、物語というものは決して独りよがりなものであってはいけませんし、何よりエンターテインメントとしてわくわく楽しいものでなければなりません。土地を離れて人はない。でも想像力は大地を離れ、遙か天空へと飛翔することができる―――。そんな漠然とした思いを胸に、2017年、この土地に遅い春が訪れる頃、物語の構想をまとめ上げたぼくは机にむかって少しずつお話を書き始めました。

それから、一年。














『ミクと時のひなた』

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新たな物語の、始まりです!





つるつるの舗道 

2018, 03. 05 (Mon) 23:30


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数日前ですが、この時期の札幌には珍しく日中にずいぶん暖かくなった日がありました。いや、良かった良かったと喜んでいたら、今日になって再び氷点下に戻ったせいで溶けた水が凍り、路面が尋常じゃないことになっています。おかげでご近所に行くのもちょっとした冒険並に。車道も、車の轍ができたままつるつるに凍ってしまっているので目茶苦茶歩きづらいです。子どもたちは気にせず、わいわい歩きながらスリップする路面を楽しんでいますが、大人はこのアグレッシブな環境を楽しむには若干の心の切り替えが必要なようです。彼らを見習って軽やかに道を歩きたい・・・と思いつつも、つい外出をひかえたくなる今日この頃です。

三月 

2018, 03. 04 (Sun) 22:30


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いつの間にかひな祭りも過ぎ、子どもたちが紙皿を丸め、折り紙を貼り付けて作っていた手製のおひな様を見て、「ああ今日はもうそんな日か」とカレンダーの日付をあらためて確認した今日この頃です。びっくりするくらいの大雪もようやく収まり、ようやく過ごしやすいお天気がもどってきました。慌ただしい日々は続いておりいくぶんへこたれ気味ですが、月も変わったことですし気分を入れ換えてがんばります!

なつかしい音色 

2018, 03. 03 (Sat) 23:30


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ちくま文庫から出ている、パブロ・カザルスの『鳥の歌』を読んでいます。彼の言葉や言行、エピソードなどが読みやすく親しみやすい形でまとめられており、とても面白いです。ぼくは子どもの頃、少しだけチェロを習っていたことがありますが、まったく才能がなく、そもそも自分が何をしているのかもわかってはいませんでした。でもCDなどであの弦の音を聞くと、まるで首根っこを捕まれるみたいに一瞬にして子ども時代の感情に引き戻されるから不思議です。あの体よりも大きくて、重くて(運ぶと腕が抜けそうになった)、それでいてお腹に響くような優しい音色・・・。あの頃にこの本に出会えていたら―――きっと幼すぎてよくわからなかったと思いますが―――もう少しこの楽器に興味と愛情が持てたのかなあ。今この年になって聴くカザルスさんの演奏は、全てを慈しむような安らぎに満ちています。

キーボードパット 

2018, 03. 02 (Fri) 20:30

先日、キーボードパット(っていうのかな?)を買いました。以前使っていた
ものが経年劣化でふにゃふにゃになってきたので、サンワサプライのものを購入することに。早速届いたものを使っていますが、なかなかいい感じです。キーボードの下部にくっつくように置いて、キーに指10本を乗せたとき、ちょうど手のひらと手首の部分を乗っけるようにして使うのですが、長時間机に向かっていると、これがあるととても楽なんですよね。だいたい数年で駄目になりますが、もう消耗品だと思って割り切ってます。マウスもそうですが、毎日触れる物は買い換えの頻度が高くなるようです。というわけで、しばらくこれでがんばります。