FC2ブログ

笑顔 

2017, 01. 31 (Tue) 00:30


cake.jpg


先日、子どもたちの写真を撮る機会がありました。友達と遊んでいたり、みんなで勉強したりという、なるべく飾り気のない普段の様子を撮るという企図のもとカメラを構えてみたのですが、いざこちらがレンズを向けた途端どの子もぎこちなくなってしまいます。子どもながらに緊張するのでしょう。さっきまで口を開けて笑っていたのに、急に真顔になったり、思いっきりカメラ目線になったり、借りてきた猫みたいになったり・・・。特に男の子。おい、いつものわんぱくっぷりはどうしたよ。その点、女の子は自意識の置き方、というかやり過ごし方が上手なのか、うまく被写体になってくれます。うーむ。まだ小学校に上がるか上がらないかくらいなのに、男女の間ではかくも差があるものなんですね。

子どもたちと遊ぶのは好きです。渋面をこさえて机にむかっているときとは全然ちがう表情を見せてくれるから。身体を動かしているとどんどん素が出てくるのでしょう。この子にはこんな一面があったのか、とびっくりするような瞬間がたくさんあります。お調子者だと思っていたら、以外としっかりしていたり。活発でやんちゃな子だと思いきや、案外度胸がなかったり。またその逆もしかり。もちろんそのためにはこちらも全力で遊びにつきあわなければならないので大変ですが。実際、子どもたちは遊びに命を賭けているみたいなところがありますので最後は体力勝負になりますね。ずいぶん鍛えられました。

ちなみに上述のカメラの方はためしにイチゴショートケーキを持たせてみると、どの子も急ににっこり笑ったのでなんとか上手くいきました。いやあケーキの力おそるべし。問題は子どもたちがケーキを食べられると固く信じ込んでしまったことです。(ちょっと可哀想なことをしてしまった。)それにしても子どもの頃ってどうしてあんなに甘い物が好きなんでしょうね。ううむ。ぼくにもかつてそんな時代があったんだなあ。

子どもたちの笑顔にふとしみじみ自分の過去を振り返りつつも、今も昔も少しも変わることのない明るく快活な彼らの本質に元気をもらった筆者でした。

あったかい飲み物 

2017, 01. 30 (Mon) 00:30


tea2.jpg


缶コーヒーを飲まなくなってからずいぶんたちました。以前は何か書きものをするときは常にこれが机の傍らになければいられなかったのに、今はどうということはなくなりました。体質の変化と言うほどの大げさなものでもないですが、変われば変わるものですね。もっとも、湧かして煎れるコーヒーの方は今も欠かせないのですが。

ただ缶コーヒーを飲まなくなった代わりに最近よく飲むようになったのがホットの『紅茶花伝』です。コーヒーが紅茶に変わっただけで意味ないじゃん! とつっこまれそうですが、でも寒いとこれが美味しくてコンビニでつい買っちゃうんですよね。これまたレジカウンターの側のちょうど手の届きやすいところに置いてあったりして。早朝や深夜など、外気で身体が冷え切ったところにホットコーナーのあったかい飲み物を飲むとほっとしますよね。ポケットに入れておくと簡易のカイロ代わりになりますし。(すぐ冷めちゃいますけど)あと、ホットレモンとかも好きです。

野外であったかいものをすするという行為は、なにやら郷愁を誘うものがあります。ぼくは常々これをやりたいと思っており、携帯用の魔法瓶とクノールカップスープの元をいつも用意しているのですが、なかなか機会がなく、まだ使ったことがありません。ふきさらしの外で、かじかむ手でマグカップを用意してあつあつのスープを注ぐとかすごくやってみたいんですけどね。

寒気が厳しいせいもあって怠け心が出てしまい、最近はなかなか散歩ができていませんが、明日あたり久しぶりに足を伸ばして神社にお参りに行こうかな。暖かい格好をして、澄んだ空気の中に身をさらしてみれば頭もすっきりするかもしれません。お供はもちろん『紅茶花伝』です。

『クリード』 

2017, 01. 29 (Sun) 00:30


Creed.jpg


『クリード』は好きな映画です。初見のときから大好きになり、以来、折りを見つけては引っ張り出してきてよく見る映画ですね。熱くなります。(深夜に一人で)監督はライアン・クーグラー。まだお若い監督ですが、偶然にもこの人の前作『フルートベール駅で』はDVDで見ていて、後でああ、あの作品の・・・と思い出した次第です。こちらはタイトルの通り、とある駅で警察官に無抵抗の状態で撃たれてしまったある無名の黒人青年の人生を、まさにその死の半日前からドキュメンタリータッチで追うという作品で、どちらかと言えば淡々としたストーリーながらそこで切り取られ、描かれ、露呈する現実が本当に優しくて切なくて(この青年がやがて亡くなると知っているが故に)、瑞々しい好きな映画でしたね。主演はマイケル・B・ジョーダン。この『クリード』でも主演を務めることになりました。かっこいい役者さんです。

「親父がアポロ」(すげーな)という出自が一体どれほどの威光、そしてプレッシャーを与えるものなのかはわかりませんが、この主人公の青年アドニスはその血統と運命に導かれるように恵まれた環境をかなぐり捨て、ボクシングという栄光と修羅の世界に足を踏み入れていきます。そしてそのトレーナーとなるのが言わずと知れたシルベスター・スタローン、ロッキーです。「ロッキーがアポロの息子を育てる」、このコンセプトだけでもはやこの映画は勝ったも同然でしょう。この展開に血が滾らないはずがありません。

アポロと言えばロッキー・シリーズの最も重要なライバルキャラクターにしてロッキーの親友です。(今さらいちいち説明するのも恐縮ですが)ロッキー4で残念ながらドルフ・ラングレンにやっつけられてしまいましたが、彼には一人息子がいて・・・という設定で物語は始まります。ぼくらの世代で言えば「アフロと言えばアポロ」というくらいアポロは大人気でしたので、この設定は嬉しかったですね。わかりやすい陽性のキャラクターとその強烈なルックスは、ぼくらガキンチョの心をがっちり掴んで離さず、「ロッキーのアポロ」と一言言うだけでたちまち笑いがこみ上げてくるような、でもその笑いはとても日溜まり的かつ好意的だという、ある種友達の間だけで通じる符牒にも似た、そんな存在としてアポロはありました。

もっとも息子であるアドニスくんはそんな豪快なアポロのキャラクターを受け継いではいません。というかこの人は親父とは打って変わって、かなり生真面目で内省的な性格の持ち主です。役者であるマイケル・B・ジョーダンの資質故でしょうか。「自分が何者かを証明するためにボクシングで闘う」という求道的なそのキャラクターは、これまでのロッキーシリーズのエッセンスを確かに受け継ぎつつも、どこか新しさと若さと清冽さをもたらしており、すごく良い感じだとぼくなどは思いました。つーかこの子、生意気でいっぱしの口を利くのに随所に「育ちの良さ」みたいなものをを垣間見せてしまうボンクラっぷりがすごくかわいいというか、キュートですよね。(ロッキーのワゴン車の荷物の出し入れを率先して手伝ってしまったり)そうした細かな演出が丁寧に積み重ねられ、この青年が単に勢いだけの物知らずな二世でないことを示すことによって、この映画は紛れもなくロッキーの新章にふさわしい「格」を手に入れていると思います。

個人的に言えば、ラストのタイトルマッチ戦などはやや演出が抑制されすぎていて、もっとかつてのロッキー・シリーズみたいに音楽でベタベタに盛り上げてくれても全然構わないのに・・・と思ったりもしますが、チャンピオンに打たれても打たれても、それでもなお怯むことなく立ち向かっていく主人公の姿はまさに不屈のロッキー・スピリットを体現していると過言ではありません。

『クリード チャンプを継ぐ男』、ぜひご覧になってみて下さい。


星と思い出 

2017, 01. 28 (Sat) 00:30


fosi.jpg


以前、オーストラリアで満天の星空を見たことがあります。それこそ息を呑むような、「満天」という言葉はまさにこういう光景を表すために作られたのだろうと思えるほどの圧倒的な星の海でした。あれから現在に至るまで、あれだけの数の星を肉眼で見たことはありません。

もっともこの星空との邂逅はたんに偶然でした。オーストラリアの西岸部に位置するパースという街からウェーブロックという巨岩がある観光地を見に行った帰り、乗っていたバスが突然停車したのです。なんでも車の故障だとかで、修理が完了するまでの間、岩肌だらけのなにもない荒れ地にぽつんと放り出されぼくら観光客はしばらく手持ちぶさたになりました。そして鼻先をつままれても判らないような真っ暗な夜の闇の中、ふと空を見上げたとき、そこに無数の星が瞬いているのを発見したのです。季節は、晩夏でした。

それからしばらくの間のことはあまりよく憶えていません。ただ荘厳さに打たれて立ち尽くし、目の前の世界を無言で見入っていたことだけは記憶しています。降るような星空は地平線の彼方どこまでも広がっており、震えがこみ上げてくるほどです。時間にすればそれほど長い間ではなかったのですが(わりとあっさり車は直った)、いや、バスが故障してくれて幸運でしたね。おかげてあんな素敵な光景を見ることができましたから。地図で見るとパース~ウェーブロック間一帯は本当に何もない地域で、延々自然の荒野を走るだけです。でも不思議と退屈しませんでしたね。

もうひとつ記憶に残っているのはこのバスツアーの道中で、とある女性と同席したことです。その方はもうご年配の方だったのですが、もう長いこと現地に住んでおられる日本人で、ぽつぽつ過去を話されるうち、その方が映画監督の長谷川和彦さんの大学時代の同窓で、かつての人柄や逸話をたくさんうかがえることができました。長谷川監督と言えば『青春の殺人者』『太陽を盗んだ男』で知られる伝説の人であり、当時ぼくも大好きな監督でしたからたいへん興味深かったですね。みんなから「ゴジ」「ゴジ」と言われていたこと、大変な豪傑だったこと、お酒が好きだったこと・・・。その方は日本から船で(当時の)ソビエト経由で外国に渡ったそうですが(航空運賃が高かったため)、共産圏をヨーロッパに向けて列車で通過していく長い旅の道中、友人たち、仲間たちの表情がどんどん元気がなくなっていく様がとても印象的だったと語っておられました。胸に抱いていた淡い憧憬が「現実」を目の当たりにして変質していく課程―――レモン一個が信じられないくらい高かったり、車両の中でつぶさに目の当たりにする市井の人々の暮らしが本当に印象的だったそうです。ツアーの半日間、隣の席で他にもさまざまなお話を伺いましたが、今振り返っても、あれは本当に現実にあった出来事だったのか、それともそうでないのか、ときどき定かならぬことがあります。

「旅」というのはさまざまな側面がありますが、そのもっとも大なるものはやはり非日常に放り出されることなのでしょう。まったり温泉に入ったり、史跡を眺めたり、行楽地で美味しいお料理に舌鼓を打ったりすることはもとよりぼくは大好きですが、ときにこうして思いも寄らぬ現実にぶち当たったり、神経を逆なでにされたり、力尽くで世界認識を丸ごと交換させられるような体験もまた、やはり旅先ならではのものなのかもしれません。

珍しく雪の絶えた地元の空の下、ふと頭上に瞬く星々を見上げてそんなことを思った夜でした。

こどもたち 

2017, 01. 27 (Fri) 00:18


nec.jpg


子どもたちにとってぼくは一応「先生」になりますが(実際そう呼ばれていますし)、日頃子どもたちと接するときは大抵普段着です。エネルギーの塊みたいな子どもたち相手に一緒に遊んだり駆け回ったりするのにかしこまった服など来ていられません。それでなくてもこの職業は体力勝負みたいなところがありますし、動きやすい服装、子どもたちといっしょに運動できる服装は必須です。

そんなぼくでもごくたまに背広を着ることがあります。そんなとき、子どもたちはきょとんとします。眼鏡を換えた時もそうでしたが、ふだん見慣れているもの、馴染みのあるものが突然変化すると、子どもたちはおどろくと同時に警戒心を抱くみたいですね。先日ぼくがスーツを着て子どもたちの前に現れたときもこの反応が起きました。その日は少しお兄さんお姉さんの小学生が相手だったのですが、ネクタイを締めたぼくの前でみんな少し困ったような戸惑ったような表情を浮かべています。(そりゃそうでしょう)ぼくとしては所用でやむなく背広を着ていただけだったのですが、やはりふだんのモンベルとはだいぶ印象が違ったのでしょうね。まあ、すぐにいつもの感じになりましたが。

子どもたちとはそれこそ物書きになる前から接しているので、子どもたちの存在は完全にぼくの生活の一部に組み込まれているところがります。というか、そもそも子どもたちと接した経験がなければぼくの書いている物はもっと違ったものになっていたはずであり、その意味で彼らはぼくの作家としての方向性を決定づけた恩人と言うことになります。もっともいっしょにのっぱらを駆け回っているときはそんな意識はどこかに消し飛んでおり、(というかたまに自分が先生だという意識すら消し飛んでいる)たんに子どもたちと遊びに夢中になっているときもありますが。まあそんなことなど脳裏に過ぎることなど片時もないくらい、子ども相手の時間はハードなんですけどね。

ちなみに子どもたちはぼくが本を書いていることをうすうす知っているようです。もっとも大して興味はないようで「ふーん」みたいな感じです。(まあ小学生低学年にはむずかしいですよね。)「せんせいは絵をかかないの?」とか聞かれます。漫画家とかならよかったのかなあ。でも身近な人間が自分の書いた物を読んでいるという状況も妙にくすぐったいものなので、ぼくも気が楽ですが。

背広もたまにはいいですが、やはりぼくは普段着で子どもたちといる方が気楽なようです。この季節は外遊びと言えば完全に雪遊びとセットなので体力的にはなかなかハードですが、でも子どもたちは遊び時間を待ちかね、歓声を上げて外に向かって駆け出していきます。(そのエネルギーをもうちょっと勉強に使えよ、と思うくらい)でもこの時期に子どもが目一杯遊ばなくていつ遊ぶんだ、とも思いますしね。彼らのパワーに負けないよう、遊びに勉強にぼくも全力でがんばりたいと思います。(筋肉痛に気をつけつつ)

パソコンあれこれ 

2017, 01. 26 (Thu) 00:30


PASO.jpg


近ごろパソコンの動作が重たくて困っています。ぼくはデスクトップパソコンを使っているのですが、一度にたくさんのブラウザを開いたり、動画を見たり、音楽を聴いたり、ワープロソフトを立ち上げていたりすると、だんだん動作が重たくなってきて、一つのページを開くのにひどく長い時間待たされたりすることになります。さすがにもう限界だなと思ったらすべてのブラウザを閉じて再起動をかけますが、またすぐに重たくなってきて・・・。ううむ。そろそろ買い換えの時期なのでしょうか。それにしても先日の携帯といい、こうした電子機器の調子の悪くなる時期って妙に重なりますね。

ぼくは自他共に認める機械音痴ですが、パソコンそのものに触れたのはわりと早く、小学生の頃にはすでにパソコンが家にありました。以来中・高とパソコンはぼくの常に生活や遊びの中心に位置していました。当時はパソコンゲームの黎明期から絶頂期にかけての時期で、たくさんのパソコンゲームメーカーがしのぎを削りそれこそ毎月のように面白いソフト、野心的なソフトが発売されていました。ぼくらは友達同士、額をくっつけ食い入るようにパソコンゲーム雑誌をのぞき込んでいたものです。また歴史シミュレーションゲームに嵌まったのもこの時期です。生来の歴史好きと相まって、光栄のゲームは長くぼくの学生時代の中心にありましたね。一緒にその時代の小説や歴史書を読んだり文献を調べたりして。ああした時期って、興味と知的好奇心によって努力が一層倍加されますから、その知識の深まり具合たるや凄まじいものがありますよね。

もっともそうした歴史の知識は深まる一方、肝心のハードの方の知識はさっぱり深まることなく現在に至ります。一応仮にも商売道具(?)ですから一応の使い方は心得ていますが、どちらかと言えばハードそのものへの愛情はむしろ淡泊なような気がします。最悪、動いてくれればいいというか、ワープロソフトさえ使えれば事足りますからね。とはいえふだんの使用感にストレスを感じてくるとそこは人情、新しいものに取り替えたいと思ってしまいます。そんなに高性能じゃなくてもいいんですけどね。きっと今の最新モデルはすごいことになってるんだろうなあ。今度ヨドバシカメラに行ってみような。

去年のいつでしたか、突然ネットにアクセスできなくなり、数日間ひどく困ったことがありましたが、ふだんこうして何気なく使っている身近な機器にぼくらは自分で自覚している以上に依存しているのでしょうね。

となにやらしみじみしつつ、今回はふだん使っているパソコンの話でした。

服とアウトドア 

2017, 01. 25 (Wed) 00:30


MAINA.gif


寒いです。こちらに戻ってきてからも厳しい冷え込みが続いていますが、何でも今日は北海道の占冠村(しむかっぷと読みます)で、この冬最低の-32.8℃を記録したとのことで、シロクマさんもびっくりの壮絶な気温となりました。もうニュース映像を見ているだけで寒さが伝わってくる感じですが、現地の様子などを見ていると、この寒さの中で明け方からワカサギ釣りをしている方がおられるんですね。すごいなあ。(「凍えて顔が痛い」とおっしゃっていました)でもテントを張ったり野外で温かいものを食べたりと、ちょっと楽しそうだなとも思ってしまいました。ぼくもワカサギ釣りは一度やってみたいんですよね。氷に穴を開けて釣り糸を垂らすとか超面白そうです。もちろん実際にやってみるといろいろ難しさもあり、楽しさだけでないのでしょうけれど。

氷点下なにがしという気温はともかく、こうした冬の時期に重宝するのがモンベルなど所謂アウトドア・メーカーの衣類です。こうしたメーカーは冬山登山用のウェアだけでなく、民生用というか、普段日常でも着られるパーカーやフリース、トレーナーなども販売しているので着ると本当に暖かいです。ぼくももう長いこと愛用し、たいへん助かっていますが、ただひとつこれの難点は、この手のアウトドア・メーカーの衣類一式で身を固めて外を歩いていると、かなりの高確率で「どこの山を登られているんですか?」と聞かれるということです。

たぶん先方はぼくの格好を見てそれなりに経験を積んだ登山経験者だと思われるのでしょう。ただ、ご存じのようにぼくはといえば部屋の中でまったりだらだらすることをこよなく愛する究極のインドア人間ですから、話しかけられるたび「い、いやあ、その・・・」となんとも間の悪いことになります。いや、ホントは登ってみたいんですれどね。お話を伺っていくと、彼らの経験の凄いこと。「この間○○岳を登った」「外国の××山脈は一度行った方がいい」等々、ダイナミックなストーリーが聞けます。でも、ふだんからアウトドアに親しんでいる方は気持ちのいい方が多いですね。お話ししていて面白い方が多いです。

冬山登山はさすがにハードルが高そうですが、気候や天候のよい季節に山登りは一度やってみたいですね。昨年もそう思いつつ果たせませんでしたので、(幸い衣類はすでにあることですし)今年は横着していないで、なんとしてもどこか近くの山を登ってみたいと思います! そのためにはまず足腰を鍛えないと・・・というわけで今から(冬ですけど)野歩きを頑張りたいです。

感謝会 

2017, 01. 24 (Tue) 00:30


SANSO.jpg


先日、角川さんの主催する新春感謝会に参加させていただきました。ぼくにとっては久しぶりの東京です。

会場はホテル椿山荘でした。いや、たいへん華やかなパーティで、会場内は大勢の人で一杯でしたね。作家さんをはじめ業界関係者の方がたくさんおられ、まさにアニメやライトノベル・エンターテイメント界の最前線という感じで、活気と熱気に溢れていました。椿山荘はぼくも以前スニーカーで賞をいただいたときに授賞式が行われた場所でしたので、なにやら思い出深かったですね。確かあのときは選考委員に冲方先生がおられたような。豪奢ながら落ち着いた建物の内装の雰囲気が懐かしかったです。

乾杯の音頭は水野良先生がなさいました。水野先生と言えば『ロードス島戦記』の著者として有名ですが、ぼくは遙か以前、月刊コンプティーク(袋とじのある奴です)誌上でロードス島戦記のD&Dリプレイを連載していた頃からその熱心な読者でした。学生時代は友人とテーブルトークRPGを本当によくやりましたね。学校で毎日やっても全然飽きませんでした。キャラクターを作って、ダイスを振って、DMがいて・・・。ぼくの中には所謂『ファンタジー成分』が結構な量含有されていると自分では思っていますが、それらは人生で最も多感であるこの時期に培われたことは間違いありません。久しぶりにお目に掛かりましたが、水野先生はいつもお若くてお変わりになられませんね。

またスニーカー文庫でお書きになられている先生方とも親しくお話しさせていただきました。(その節はありがとうございました)料理の方は・・・あまり食べなかったかな。ああいうパーティでは腹一杯食べられるものではないと既に学んでいるので、事前に軽い食事を済ませていましたから。あと、ちょっぴりビールをいただきました。

ただ東京は寒かったですね! いくらなんでも東京なんだしこっちよりは暖かいだろうと羽田空港に降り立った瞬間、寒気に思わず足がすくみました。(一体何度目だよ)吹き荒ぶ風に凍えながら空を見上げると、なにやら白く懐かしいものがちらほら・・・。わーい、雪だあ。って、こっちでも降ることないのになあ。

というわけで、旅から戻ったあと妙に寒気がします。まあ風邪を引いたのは誤算でしたが、感謝会では多くの方にお目に掛かり、たくさんの刺激を受けることができました。ぼくもがんばりたいと思いますっ。

サッカーと愛 

2017, 01. 23 (Mon) 00:30


IENA.png


Jリーグの各クラブの陣容が固まってきました。

活発だった今年冬の大型移籍もどうやら落ち着いてきたようで、それぞれのチームの戦力がだいぶ見えてきましたね。早いところでは開幕に向けキャンプをはるなどすでに始動を始めているクラブもあるようです。大久保選手はFC東京に、元レイソルの工藤選手は広島に、家長選手は川崎に、茨田選手が大宮に、ベルギーから小野選手が鳥栖に、J2では闘莉王選手が京都サンガにそれぞれ移籍しました。名古屋グランパスの降格とダ・ゾーンとの契約という大きな変動があったせいか、近年にない活発な選手の移籍が行われたようです。あとは神戸。ポドルスキ選手は本当に来るのでしょうか。来たら嬉しいけど、ちゃんと真面目に働いてくれるのかなあ。などなど興味は尽きません。

自分でも何でこんなにサッカーが好きになったのかわかりません。本来ぼくみたいな文弱の徒(?)と荒っぽいサッカーとは相性が悪そうですし、またそう思われがちだからです。もっとも必ずしもそうとは限らないのはまさにサッカーの母国にして本場イギリスにニック・ボーンビィという作家がいるからで、この人なんかまさに「キング・オブ・文弱」とでも呼べそうな繊細な内面と感性を抱えた持ち主なのに、なぜかアーセナルというロンドンのポンコツチーム(注・昔のです!)に入れあげ、人生を台無しにし、チームの好不調がそのまま自分の人生の軌跡と直結・重なってしまうという、あたかもそのへんの虎キチや巨人ファンのおじさんたちのような半生を送ってしまった人物で、そのひりひりと殺伐としていながらどこか豊かで甘美な生きた事例を見るにつけ、ぼくなどは自分などまだまだと思ったりするわけです。(この人の奇妙に倒錯した半生については『ぼくのプレミア・ライフ』という自伝本を読んで下さい)

ぼくはこの人の本(というかその自己言及的な文章)が好きでときどき引っ張り出しますが、それを読むとこんなに賢い人がサッカーなんていう(いわば)しょーもないスポーツに入れあげている様、贔屓のチームの選手がゴールを決めただの外しただので一喜一憂し、時に死の絶望の淵まで落ち込む自分に対する自嘲と諦念、そして、それでもなお汲めども尽きぬサッカーという競技への愛情―――それらを感じてなにやらじーんときたりします。とゆーか、何かを応援するという気持ちは基本「からまわり」を要求されるものであって、それ自体に見返りを求めてはいけないのだと思います。それでもなお人は応援したり熱くなったりするのを止められない。そこには紛れもなく『愛』の形が存在するのでしょう。

ぼくはもうサッカーという競技にその手の愛を感じることはなくなりました。もちろん今も好きですし、時に応援もするでしょうが、若い頃の実存を賭けたようなのめり込みや熱情はもうありません。でもテレビで中継がやっているとうれしいし、つい見ちゃいます。だってそこには必死に、真摯に、生きようとしている22人の人間が映っているから。

春~秋制を導入しているJリーグにとって、冬のこの時期はささやかなオフシーズンの時期です。この時期しっかり休養し体調を整え、選手達には暖かくなる春にまた活躍している姿を見せてほしいと思います!(ぼくも今年はやっと生観戦でJ1が見られます)

方言 

2017, 01. 22 (Sun) 00:30


hogen.jpg


先日、六時のローカルニュースを見ていたとき、家の前の雪かきしていたおじいさんがテレビのインタビュアーに対し、「こんなに降られたら、雪をなげる場所もない」と答えておられました。

この場合の「雪をなげる」とは「雪を捨てる」という意味です。つまり「なげる」は北海道の方言で、このおじいさんはたんにインタビューに対し大雪が続く天気を嘆いただけなのですが、もしこのニュースを他県の方が見ていたら、ボールみたいに雪を投げるのか、と誤解されるでしょうね。(地元のローカルニュースなのでその可能性は少ないと思いますが)そして、ぼくの耳にもこのおじいさんの言葉は妙に耳新しく聞こえました。その背景にはたぶんぼくらが方言をどんどん話さなくなっていっているという現状があるんでしょう。

むろんぼくもけっこう方言を使います。もっとも長いこと地元にいるので、なにが方言なのかよくわからなくなっているところがありますが。(周りの人がみんな同じ話し方をしていたら気づきませんよね)でもそんなぼくも、以前に比べると自分がずいぶん方言を使わなくなったなと思いますね。たとえば北海道の代表的な方言で言いと、「しゃっこい」とか「めんこい」という言い方がありますが、(ちなみに前者は「冷たい」、後者は「可愛らしい」を意味します)こうした言葉はもう長いこと使っていません。意味と内容は理解しても音声で発することはないという、ちょっとした古語みたいなポジションにおさまってしまっています。

子どもたちも同様のようで、最近うちにきている小さな子どもたちでもこうした方言を話している子を見たことがありません。ご両親やお友達が話していなければ方言を学ぶ土壌はありませんからね。ということはやはり北海道の方言は(少なくとも都市部では)どんどん廃れていっている傾向にあるのかもしれません。うーん。これも時代の流れでしょうか。

でも方言のちょっと丸っこいところ―――きついことや辛辣なことを言っているのにどこか耳柔らかく聞こえるとか、角の立たない感じとか、方言にも良いところがたくさんあってぼくは好きなんですけどね。ぼくらが旅先でその土地の方言を現地の方が何の気なしに話されているのを聞いて、ぐっとくるあの感じ・・・ああした風土はこれからも残っていって欲しいなと思います。

ちなみにぼくがその手の言葉で最近ぐっときたのは、昨年京都に旅行に行ったとき、小粋な料亭でお食事をいただいたときの女将さんの話し方でした。もうご年配の方でしたが、そのなめらかな京都弁にはその韻を含めて本当にうっとりさせられました。(夜の鴨川、綺麗だったなあ)

というわけで、今回は方言のお話でした!


スマホと携帯 

2017, 01. 21 (Sat) 00:30


smf.jpg


最近、携帯電話の調子がおかしいです。通話の時の音声ががさつくというか、若干聞き取りづらいときがあります。そろそろ買い換えの時期なのかもしれません。ぼくはスマホと携帯の二台持ちですが、最近使うのはもっぱらスマホの方ばかりになってしまいました。震災など、万が一の災害時に頼りになるだろうと(充電の保ちも長いですし)一応、携帯の契約もそのままにしてあるのですが、使う頻度はだんだん減っていますね。でも、解約してしまうほど踏ん切りもつかないんですよね。うーむ。

スマホは便利で、ぼくも出先で手持ちぶさたになったときなどつい見ちゃいます。これではいかんと移動するときはなるべく本も持ち歩くようにしていますが、周囲を見るとやはり電車を待ちつつスマホをのぞいている方の姿がよく目に付きます。中にはけっこうなご年配の方までスマホを使いこなしたりしていて、お年寄りもずいぶん変わったなあと思いますね。逞しいというか、一度便利なものと理解したら習得するのも早いのかもしれません。

一方小さな子どもたちも侮れません。というか、彼らのこの手の電子端末を使いこなす力はすごいですね。以前うちにきた2歳くらいの子がタブレットのお絵かきアプリで指で絵を描いているのを見たことがありますが、まるでよどみなく、大人より巧みに使いこなしていました。親御さんは手が掛からなくていいですけど(たぶん使い方を教えてはいないと思う)、反面ちょっと凄味すら感じます。彼らが大きくなったときにはいったいどんな技術が発達しているんでしょうね。

ぼくはといえばスマホの付属アプリすら十分に使いこなしていない感じなので何も言えませんが、携帯やスマホ、さらにはそれを超えた情報端末(?)が広く共有されたとき、そのときいったいぼくらはどんな感じで日常を送ることになるんでしょう。・・・などと遙かな未来に思いをはせつつ、とりあえず最寄りのdocomoショップに壊れた携帯の修理に行く清野でした。

ばあちゃんち 

2017, 01. 20 (Fri) 00:30


batn.jpg


子どもの頃、祖母の家によく遊びに行きました。

ぼくの祖母の家は商店でした。田舎ですので、そこに行くだけで大抵のものは揃うような食料品のほか日常雑貨などが置かれた小さな店です。ぼくはこの祖母の家に行くのが楽しみで小学校が休みになるたびによく通っていましたが、これにはちゃんと訳があり、というのも祖母の家に行けば必ずお店で売っているお菓子が食べられるからです。

お店はガラガラと引き戸を開けると土間に商品の陳列棚がそのまま置かれているような昔ながらの造りで、子供心にも古さを感じるような建物でした。店の奥はひと続きの居間になっていて、のれんが下がっているだけなので自由に行き来できます。このどこかほんのりと暗い店の内部の光景を、その当時の匂いや空気感も含めて、今もありありと思い出せますね。子どもの目にはお店の中はそれこそ宝の山に見え、どれだけ探検しても飽きませんでした。駄菓子も食べ放題でしたしね。(ご飯を食べないでお菓子ばかり食べているとばあちゃんに怒られましたが)

もっとも、この店(というか祖母の家)は別の顔も持っており、夜になるとすごく怖いのです。なにせ昔の建物ですから。使われなくなった部屋や普段人の立ち入らない部屋がたくさんあり、日中はわいわい騒いでいたぼくらも、日が落ちてからは決してそこには近づかなかったものです。特に怖かったのがお店で使わなくなった品が押し込んである二階の一室で、積み重ねられた段ボールに混じって古いマネキンが手が取り外された状態で置かれており、その物言わぬ姿が滅茶苦茶怖かったですね。しまいには古い壁のシミまでもがまるで意味ありげな輪郭を帯び、お化けや悪魔に見えてきたりして。

もっともこの家もぼくが高校生に上がる頃取り壊され、新しい設備の整った立派なお店になりました。一方でかつてのお店が持っていた独特の魅力みたいなものが失せたような気がして、少し残念だったおぼえがあります。思えば子供心に感じたあの「闇」や「恐怖」も含めて、昔の日本家屋には少年のぼくの内面を育み、想像力を養うに足るなにかがあったのでしょうね。

今はこの店も人手に渡り、「ばあちゃんち」はぼくの記憶の中にあるのみでもうどこにも存在していません。しかしガキンチョだった頃のぼくの思い出とともに、ここで過ごした記憶や体験はいつまでも胸に留めておきたいし、大切にしたい―――そんな風に思っています。

というわけで今回はなつかしい田舎のお話でした。

牛乳あれこれ 

2017, 01. 19 (Thu) 00:30


milk1.jpg


あれはいつの頃でしたか、以前「宅配の牛乳を取ることにした」とこちらで書いたことがありますが、その後もとり続けております。初めの頃はどーせすぐに飽きて飲まなくなるにちがいないと思っていたのですが、なんだかんだ言いつつ毎日真面目に飲んでいる自分がいます。うーむ。意外な展開。もし仮に宅配をお願いしていなかったら自分から進んでこれだけ牛乳を飲むことはなかったでしょうから(わざわざ買いに行かなくてはいけませんしね)、とすればやはり健康のためにはよかったのでしょうね。

ぼくは牛乳はもちろん好きですが、よく飲むのは実はコーヒー牛乳の方です。それこそ子どもの頃から好きです。最近知ったのですが、コーヒー牛乳って栄養が豊富なんですよね。とすれば食の細かった子ども時分のぼくは案外コーヒー牛乳あたりで栄養素を補給していたのかもしれません。まあ、それからほどなくしてすぐに「コーヒー牛乳」から「牛乳」の文字が取れたただのコーヒー好きになり、一日3~4杯のカフェインをメインエネルギー源とする不健康な生命体へとクラスチェンジするわけですが。

牛乳はお料理に使えるのもいいですよね。この季節はクリームシチューなんかが定番ですが(お野菜とか入れるとおいしいですよね!)、ぼくはキャンベルのコーンスープが好きでよく作ります。封を切り、お鍋に中身を開けた後、その缶の中に同じ容量分の牛乳を入れてかき混ぜるだけでいいので楽ちんです。味もおいしいですしね。ただコストコで何十缶かまとめて買ってくるので、一度買ったら最後、使い切るのが大変ですけど。クラムチャウダーもすごく好きです。・・・ううん。こうして書いていくと、ぼくはたんに飲み物さえ飲んでいれば幸せなのかも。

話を戻しますと、ぼくが地味に好きなのが朝、家の前に置かれた牛乳箱に牛乳を取りに行く時間です。玄関扉を開けた瞬間、冷気がどっと押し寄せ、身体がたちまち引き締まります。息を白く染め、あたりの雪景色を眺めながら清澄と呼ぶにはあまりに厳しい寒気に全身を浸す時、一日の始まりを感じます。

最近の出来事 (思いつくままに) 

2017, 01. 18 (Wed) 00:30


BENA1.jpg


おかげさまで体調はほぼ恢復し、元の日常に戻りました。子どもたちも冬休みが明け、三学期がはじまったようです。(北国は夏休みが短い代わりに冬休みがかなり長い)ようやく落ち着いてきた近況を、例によって思いつくままに書かせていただきます。


・ベン・アフレックにはまっている

最近、なぜかベン・アフレックにはまっています。元々好きな俳優ではあったのですが、このところ見た映画作品に妙に彼が出演していて、あらためて観てみようという気に。『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』『偶然の恋人』『アルゴ』『ザ・タウン』『ゴーン・ガール』・・・どれも好きな作品ばかりです。ぼくはこの人が醸し出す独特の「線の細さ」が好きで、かっこいいし、男らしいんだけど、どこかマッチョになりきれない感じ(仄かに人柄に文学性を垣間見せてしまう感じ)に親しみを持ってしまいます。改めて昔の作品を見返してみても、この印象は若い頃から変わっていませんよね。一頃、作品に恵まれず評価を落としていた時期もありましたが、最近はまた返り咲いてきたようです。良い感じに年齢を重ねていますし、陰ながら(?)応援している俳優さんです。


・『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』が届いた

先日、配送業者の方が重い段ボールを玄関先に届けてくれました。なんだろうと箱を開けてみると、中から巨大なこれが。去年の夏、Amazonで注文していたのを自分でもすっかり忘れていました。で、でかい。そのあまりの迫力に封を切るのをためらわれるほどです。

『シン・ゴジラ』は言うまでもなく2016年の大ヒット映画になりましたが、ぼくが初見で観たときは客席もまばらで、まさかこんなに人口に膾炙するメジャーな映画になるとは思ってもみませんでした。この本は庵野監督のインタビューやイメージボード、絵コンテなど内容が充実しておりますので眺めていて飽きません。すごいなあ。映画ってこうして作られるんですね。


・名刺を作った

知人にお願いして名刺を作ってもらいました。『清野静』名義のものです。すごくかわいらしくデザインして作っていただき、大満足。この歳になるとだんだん名刺をいただく機会が増えますが、これでようやく先方にお渡しすることができます。何パターンか作りましたが、どれも気に入っています。


・今年は寒冬? 暖冬?

ここ数日は日本列島に寒波が流れ込み、猛烈な寒さと大雪が続いています。もっともこちらでは冷え込みはさほどでもなく(もちろん寒いことは寒いのですが)、テレビのニュースとのギャップを感じています。雪かきする回数も少ないですし。でも、かと思えば突然何の前触れもなく何十年かぶりの積雪が襲ってきたりするので油断できません。どうも今年は大気が安定していないようで、寒冬か暖冬かこの時期になってもいまいち把握できないんですよね。ううむ。

実際に暮らす側としては寒いなら寒い、例年並みならそう、とある程度気温が一定してくれた方が身体も慣れますし過ごしやすいのですが、こればっかりはどうにもなりませんね。やはり人間の側が日々の気温に合わせてこまめに厚着をしたり体調管理をするほかなさそうです。もっともぼくはもう一度風邪を引いてしまった後なので免疫はできている(?)と思いますので、この調子でなんとか春までしのぎたいです!

というわけで、忍び寄る寒波に備えてお部屋を暖めつつこのところの近況をお届けしました。


立ち食いそば 

2017, 01. 17 (Tue) 00:30


SOBA.jpg


学生の頃、駅の立ち食いそばを食べるのが好きでした。

列車の停車する各プラットホームに設置されている立ち食いそば屋さんで、安価でおいしいんですよね。ぼくは月見そばが好きで、日を置かずに飛び込んでは学生時代の旺盛な食欲(ぼくにもそんな時期があったんです)を満たしていたものです。なぜか記憶に残っているのは夏よりも圧倒的に冬の光景ですね。時に氷点下にもなるふきさらしのホームの端で(一応屋根はありますが)吐く息に口元を染めつつオーバーやコートの襟を立てながら列車を待っていると、白い湯気と共に食欲をそそる美味しそうな匂いがぷうんと漂ってきて・・・。冷え切った身体で勢いよくすする温かいそばは、学生だったぼくらにはそれはそれは堪えられない味がしたものです。

もっともこれを「むかしの懐かしい記憶」と呼んで追想の彼方に追いやることができないのは、ぼくが今でもこの駅の立ち食いそば屋をちょくちょく利用するからです。なにかの折りにJR駅まで用があったりすると、無性に食べたくなり軒に駆け込んでしまいます。駅前ですから、おいしいレストランや高級な飲食店などそれこそ選び放題のはずなのですが、なんか寄っちゃうんですよね。卵にネギが乗っかっているだけのふつうのお蕎麦なのですが。

見ていて面白いのは、利用する客の90パーセントが勤め人や観光客らしき男性だということです。それはそうですよね。女性はああいう場で立ったままおそばをすするのはやはり抵抗があるでしょうし、人目にも付きますしね。まれに小さいお子さんを連れたお母さんが子供に食べさせている姿は見たことがありますが、女性、特にお若い女性が食べているのを見ることはまずありません。(でもホントは食べたいと思っていると思うんだけどなあ)

前にすごく微笑ましかったのが、ぼくの横で若いカップルのうち、男の子の方が立ち食い蕎麦を食べたがり、なんと彼女を残して自分だけがおそばを食べ始めたことです。(一応許可は取っていましたが)幸せそうにそばをすする彼氏の横で、女の子の方は「しかたないなあ」みたいな顔で彼が食べ終わるのを待っています。やがて男の子は食べ終わり、ふたりでなかよく肩を並べてホームを去って行きましたが、その女の子の優しさと包容力に感心するとともに、「男ってほんとに子どもだなー」と思いましたね(笑)。でも仮に同じ立場に立ったら、案外自分も同じことをやりかねないかも・・・いや、さすがにそれはないかな。

なんかこんな話を書いていたらおそばを食べたくなってしまいました。この寒い季節の風物詩としておなじみの立ち食いそばですが、もし観光などで札幌駅に立ち寄られる機会があれば、みなさんも是非一度味わってみて下さい!

旅の憧れ 

2017, 01. 16 (Mon) 00:30


onsn.jpg



我が家はなぜか新聞を取っているので、毎日朝刊とともにチラシが届きます。チラシっていいですよね。若い頃は見向きもしませんでしたが、最近その有り難み(?)がわかってきました。スーパーの特売日がわかりますし、今なにが旬なのかなども知ることができて結構面白いです。一時期新聞を取っていない時期があって、そのときはその手の情報を得るのに苦労しました。タブレットにチラシを見られるアプリを入れたりもしましたが、結局ほとんど使わなかったですしね。

チラシで最近よく目にするのが旅行の広告です。主に国内が多いでしょうか。新幹線開通後はやはり需要があるのか東北地方への観光案内を多く見かけます。温泉でゆったりしたあと、豪華なお食事など魅力的なプランが一杯です。価格も手ごろで、ぼくでもふつーに「行きたいなあ」と思ってしまいます。以前もどこかで申しましたが、ぼくは海外はわりと行っている方なのですが、国内はからっきしなので日本全国の各地がすごく魅力的に見えるんですよね。昨年京都にやっと行きましたが、すごく楽しかったなあ。

旅で憧れるのはいわゆる「ベタな旅」です。観光地を適当に巡って、地元の温泉に入って、夜は宿でおいしい食事に舌鼓を打つ・・・。風光明媚な観光地でゆったり寛ぐのってリラックスできていいでしょうね。東北はこの季節雪景色でしょうが、それもまた素敵だなあと。もっとも雪景色に関してはこちらも同様ですが。

反対に南国にも憧れます。雪のない地方で太陽の日差しを浴びて観光するのも楽しそうです。四国、九州、沖縄、どこも楽しいだろうなあ・・・。と、幻想に胸を膨らませて薄着で現地に降り立ってみると低い気温と冷たい大気に迎えられるというのをこれまで何度も体験しているので、やはり旅をするなら暖かい衣類を持つのは鉄則でしょうね。でもまあ、旅先ではそのつらさや困難でさえ、思い出になるのですが。

長い冬、ずっと家に籠もっていると、想像もの翼は際限もなく羽ばたいていくようです。風邪もだいぶ良くなってきたので、明日は久しぶりに表へ出かけたいと思います。(あったかい格好をして)

ベッドで読書 

2017, 01. 15 (Sun) 00:30


fuku.jpg


少し前になりますが、ベッドを新調しました。以前のベッドは長年愛用していたのですが、それこそ寝返りをうつたびにぎしぎし軋み音を立てるようになっていたので思い切って交換することに。取り替えて数日は多少不安でしたが、幸い、新しいベッドは快適で(カリモクのベッドです)自分でも違和感なく眠れるようでほっとしました。店頭でよさげでも、こればっかりは実際に使ってみないとわからないですからね。まさか、家具屋さんにお布団持ち込んでほんとに寝てみるわけにもいかないですし。

なぜ急にベッドの話題になったかと言えば、風邪を引いてからというもの、このところこのベッドに横になってばかりだからです。ぼくは寝るのは大好き人間ですが、それはあくまで「自分が健康状態にあるとき」のことであって、こうも横になってるとしまいには飽きてきます。好きな本でも読めればまだ気も紛れるのでしょうが、それもできないし。もっと生産的なことをしたいと思いつつお水ばかり飲んでいます。早くよくなりたいなあ。

いま振り返ると、子どもの頃はよく風邪を引いていた気がします。あの頃は風邪を引くことさえ一大イベントで、熱を出して親から「学校を休んでいい」との許可をもらうとめちゃくちゃ嬉しかったものです。もう熱なんか半分そっちのけで、突如降って湧いたこの自由な時間をどう過ごすかわくわくし、そうだ本でも読もうと、姉の部屋の書棚にある福音館書店の古典童話シリーズ(おわかりになる方はいますでしょうか?)を箱だけ書架に残して中身だけ抜いてベッドまで持って行き、夢中で読みふけったものです。あの大人びた表紙や装幀が、当時小学低学年のぼくには憧れだったんですよね。『三銃士』『トム・ソーヤーの冒険』『二年間の休暇』『神秘の島』『アーサー王と円卓の騎士』―――今でも内容を諳んじられるほど繰り返し読んだ懐かしい思い出の本たちです。(もっとも後でその所行がばれ、ねーちゃんにはさんざんとっちめられましたが)

あの頃だってべつに仮病を使っていたわけではないでしょうに、きっと「活字を追いたい」という強い気持ちが熱をも吹き飛ばしていたんでしょうね。ううむ。それを考えると、今のぼくもこうして風邪を理由にだらだら過ごしているわけにはいかない! と、読書欲と向学の志に燃えていた往年の自分(?)を振り返り、ちょっぴり気合いを入れる清野でした。ひー、とりあえずご飯食べてポカリ飲んで動けるようにならないと・・・というわけで、早く体調が戻るように頑張ります!

『シャーロック』 

2017, 01. 14 (Sat) 00:30


sherlock1.jpg


油断するとすぐふらふらするので、薬でだましだましの日常です。こういうときこそ栄養のあるものをがっつり食べて体力と抵抗力をつけなければならないのでしょうが、例の喰うの面倒くさがり病が出てしまい、いまいちしゃきっとしません。最近、家の近くに美味しいとんかつ屋さんがオープンしたので行ってみようかな。でも外は近年にない大寒波のようで、出歩くのもなんとなく億劫なんですよね。

そんなときは部屋にいるに限るというわけで、最近妙に活躍しているAmazonプライムで初めてドラマ『シャーロック』を見ました。これはイギリスのBBCが制作したシャーロックホームズの物語を現代に舞台を置き換えて翻案したドラマで・・・って、こんなこと今さら説明するまでもありませんよね。てゆーか、今さら『シャーロック』を見たってお前どんだけうといんだよと言われそうですが、まさしくその通りで、数年ぶりに(書くことを離れて)現実に帰ってきたぼくにしてみれば、本当に目にするものすべて(ダウントンアビーもそうですが)が目新しく映るような状況です。ちょっとした浦島太郎状態ですね。いやー、面白いエンターテインメントってあるものですね。などとしみじみ。

というわけではじめて観直した『シャーロック』ですが、すっごく面白いです。まだシーズン1の途中ですが、見ていてわくわくします。今調べてみたら制作は2010年とのことで、2017年現在シーズン4まで進んでいるとのことで当分楽しめそうです。ホームズ役のベネディクト・カンバーバッチが素敵です。この人、『裏切りのサーカス』に出てたんですね。あの作品は大好きなので、なんだか嬉しいです。ぼくは「実写」で「ホームズ」というと、『ヤング・シャーロック ピラミッドの謎』を連想してしまうような人間ですが、でもこの現代に甦ったシャーロック、その明晰な頭脳とエキセントリックな人柄はそのままに、良い感じに現代風にモダナイズされていてすごく格好いいですよね。ロンドンの街を闊歩するホームズ。立ち姿もすらりと端正で素敵です。

そしてワトソン役のマーティン・フリーマン。ホームズに翻弄される役を演じるこの人、『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』にも出てたんですね。(ていうか、サイモン・ペグ&エドガー・ライトの作品に全部出ているらしい)ぼくは『ショーン・オブ・ザ・デッド』で彼らがストーン・ローゼズのセカンドアルバム『セカンド・カミング』のレコードをゾンビに向かってぶん投げるのを思いとどまったときからのファンなので(書いててよくわかりませんが)、これまた嬉しいです。一話のラスト、窓越しに拳銃を放ってホームズを救うワトソンの姿にはしびれました。

ロンドンは大昔、一度行ったことがあります。(ライアン・ギグスが紅顔の美青年だった頃)ぼくもまだハナタレのガキンチョでしたが、当時ミステリー・ファンだったということもあってホテルからベーカー街まで行き、実際にホームズが下宿していたと言われる(という設定の)家を訪ねたことがあります。もうその当時から世界中のシャーロキアンが訪れる「聖地」となっており、やや観光スポットの匂いがしましたね。部屋はテーブルや書棚、家具に至るまで、ホームズが実際に寝起きしていたという当時の(設定の)ままで、すごく楽しかった記憶があります。壁の一角にはホームズが撃ち込んだという拳銃の弾痕までついていました。そこで働いていた金髪の可愛い女の子と一緒に写真を撮らせてもらったのも思い出です。

そんなわけで、なにやら個人的な懐かしさと記憶と体験、嗜好や好みなどがジャンルや時代を超えて思いおこされるこのドラマ『シャーロック』。今さらぼくごときが言うのもなんですが、お勧めですのでぜひご覧になってみて下さい!

『帰ってきたヒトラー』 

2017, 01. 13 (Fri) 00:30


kh.jpg


風邪はだいぶよくなってきました。

昨日飲んだ甘酒が効いたのか、はたまたドクペが効いたのかは定かではありませんが、とりあえず立ち上がって動けるくらいにはなってきたので、終日家ですごしていました。そんな中、久しぶりに見た映画が『帰ってきたヒトラー』です。

この映画は第二次世界大戦の末期、ベルリンで死んだはずのヒトラーが現代のドイツに甦ったら……という設定の下書かれた風刺小説を映画化したもので、昨年話題になりました。ぼくもずっと観たいと思っていたのですが(原作は読んでる)、ようやく実際に観ることができました。

で、肝心の映画ですけれど、なかなか面白かったですが映画としてはやや中途半端な印象を受けましたね。すでに指摘している方もおられるかもしれませんが、ヒトラーが現代に甦り、その物議を醸す言動と容姿が逆に人気を博し、そのことによって現代のドイツが抱えている病巣や問題を浮かび上がらせていく―――という下りは大変面白いのですが、それ以外のパート、ヒトラーと最初の頃に知り合い、彼を取材しカメラを回すバック・トゥ・ザ・フューチャーのマイケル・J・フォックスそっくりの格好をしたTVマンの青年が画面に登場する場面になると急に退屈になるんですよね。映画のテンポが停滞するというか、だれるというか。映画の構成的にこうした狂言回しのキャラクターが必要なのは理解できるのですが。個人的にはもっと現代にタイムスリップしたヒトラーがどんなことをするかという「if」の部分や、彼の妄執や野望の具体的な展開の部分をもっと見たかったような気がします。

それにしてもこのヒトラーを演じたオリヴァー・マスッチさんという役者さんは凄いですね。よく見ると顔は全然ヒトラーに似ていないのですが、(背も高くてがっしりしているし)でも、途中からそんなことがまったく気にならなくなるくらいしゃべり方や雰囲気、挙措動作に至るまで本物そっくりのヒトラーになりおおせていました。あと、たぶん隠しカメラでゲリラ撮影をしているのでしょうが、じっさいに彼をドイツの街角に立たせ、ヒトラーとして一般人と対談させると、彼らが国内政治や移民問題についてふだん隠しているであろう本音をぽろぽろ漏らすところが面白かったです。

あとはブルーノ・ガンツさん主演のネット動画等でおなじみの『ヒトラー 最期の12日間』のパロディシーンがあったり(ちくしょーめーのあの人です)、考えさせられる結末であったりと、なかなかの意欲作である事は間違いありません。風邪を引いたお陰で興味深い映画を観ることができました・・・というわけで、今回は久しぶりに映画についてのお話でした。

風邪を引いた 

2017, 01. 12 (Thu) 00:30

久しぶりに風邪を引いてしまいました。

昨日あたりからなんか身体の調子がヘンだな、とは思っていたのですが、今日の昼過ぎくらいに本を読もうとページを開いても内容がまったく頭に入ってこず、そのうち活字を目で追っているとしきりに息が切れるようになり、やがて身体がまったく動かなくなってしまいました。うう・・・。典型的な風邪の症状です。

このところ長いこと風邪など引いていなかったので、そのせいでどこか自分に油断があったのかもしれません。(腰痛の代わりに風邪がきた)部屋をあったかくして一時間くらいベッドで横になると少し動けるようになりましたが、本格的に熱が上がりだし頭がふらふらします。お水がやたらとおいしいく感じられるのでせっせと飲んでいると、ふと買ってあった経口補水液を思い出しました。風邪を引くとよくお医者さんからポカリスエットを勧められますが、経口補水液も飲みやすくていいですよね。ついでに甘酒があったのも思いだし、ついでにドクペも飲みたくなったので、この際だとばかりさっき全部まとめて飲みました。これでよくなってくれればいいけど。

というわけで今日はまとまった文章が書けなくて申し訳ありません。月並みですけど、やはりこうして体調を崩すと健康の大切さを改めて感じますね。早いところなおして、もとの自分に戻れるようにがんばります。

遙かなり、そり滑り 

2017, 01. 11 (Wed) 00:30


sori.jpg
子どもたちの脳内の自分


先日、子どもたちといっしょに遊ぶ機会がありました。新年を迎えて最初の外遊びです。

もっとも年明けにあらたまった気分を感じるのは暦やカレンダーに従って生きている大人だけであって、子どもたちにとって日付は何の意味もありません。久しぶりの遊びにいささかブランクを感じるぼくに対し、子どもたちの元気と笑顔はいつもの通り。というわけでぼくも全身スキーウェアで防寒し、近くの川原でいっしょに遊んで参りました!

降雪地のこの時期の子どもたちの遊びの定番と言えばやはり「そりすべり」です。もう少しお兄さんやお姉さんになればスキーやスノボという選択肢も出てくるのでしょうが、まだちっちゃいですしね。その点、そり滑りは小さなお子さんがやっても危なくないですし、手軽にできるので人気があります。(路上にまで滑っていってしまうと危険なので遊ぶ場所には注意が必要ですが)

子どもたちはめいめい「マイそり」を持って(北国の子にはこういう概念がある)、楽しそうに土手を上から下にをすべります。幸いぼくんちの近くには緩やかな傾斜の土手があり、冬になると雪が積もりそこが良い感じの坂になるのでいわば貸し切りゲレンデ状態となります。そりと言ってもなかなか侮れず、傾斜のきつい冬山を滑降(?)すればアルペン競技さながらの大人でもかなりの恐怖を感じるほどスピードが出たりしますが、でも子どもたちはすぐに慣れ、三、四歳の子でもちょこんと腰を下ろし、すいすい滑っていきます。

滑り終わった子どもたちは満足げに坂をよちよちのぼってきますが、これがそり滑りの難点で、一度下まで滑ったら自力で上まで登ってこないといけません。(なにせスキー場と違ってリフトがないので)おまけにまだ足が短いので、四つん這いで坂を登っていても、いったん腰まで雪に漬かると嵌まって動けなくなってしまいます。それをぼくが救援部隊として彼らを掘り起こして、おんぶして上まで連れ戻すのですが、息をつく間もなく子どもたちは次々にすぐにそりに乗って下に・・・。って、ちょっと待てい。人力リフトはきつい!

数時間たっぷりそりで遊び、子どもたちは大満足のようでしたが、一方その横でぼくは完全にへばっていました。腰痛は絶賛先行予約受付中・・・という感じですが、でも子どもたちに喜んでもらえたのでよかったとします!(というか、これだけやったのだから、将来この中から名高いスキーヤーがひとりくらい出てきて欲しい)

というわけで、今回は久しぶりに外で(全力で)身体を動かしたお話でした。

『ダイヤモンドは砕けない』 

2017, 01. 10 (Tue) 00:30


JOJO41.jpg
ジョジョと言えば魅力的なポージング


ちょっと前の話になってしまいますが、昨年12月にアニメ『ジョジョの奇妙な冒険 第四部 ダイヤモンドは砕けない』(長いですね)が最終回を迎えました。や、すごく面白かったです。最終回に至るまでの怒濤の展開とちょっぴりほろ苦い決着、そして開かれた希望に向かっていくエンディングには本当に感動しました。(アニメオリジナルの追加シーンもありましたしね)

以前申し上げたように、ぼくはどちらかというと第二部と第三部に深い思い入れがある人間で、(承太郎と老ジョセフが大好き)第四部はその反動からか原作の連載からも少し離れていた時期でした。それだけにアニメは逆に学生時代の記憶が甦るというか、観ていて懐かしさがこみ上げてくる作品でしたね。コミックスもあえて読み返さないようにして、仗助や康一くんや億泰の活躍を毎回わくわくしながら観ていました。もちろん承太郎の活躍も期待していましたが、あまり彼の出番を多くしてしまうと、仗助ら新しい魅力的なキャラクターたちの出番がなくなってしまいますからね。最強キャラの難しいところです。(でも最後に吉良をやっつけたのでよしとします!)

第四部の魅力的なところは、それまでのロードムービー的なストーリーから一転して犯罪サスペンスタッチの物語になっているところです。すごく凶悪で危険な悪党を敵として配しているのに、読んでいるうちにいつの間にか敵役である吉良にしっかり感情移入させられているところも凄いですよね。正直申しまして絵柄は第三部の頃の絵の方がいかにも少年漫画っぽくて好みなのですが、でも後半どんどんスタイリッシュに洗練されていく第四部の絵もとても素敵だと思います。

さて第五部ですが、はたしてアニメ化はされるのでしょうか? まだ公式のアナウンスはないようですが、ここまでくれば是非とも放映していただきたいですね。(そして声の付いた動くブチャラティを見てみたい)その日が来るのを楽しみにしつつ、とりあえず第五部を読み返して予習しておきたいと思います!

久しぶりにサッカーの話 

2017, 01. 09 (Mon) 00:30


SN10.jpg


横浜マリノスの中村俊輔選手がジュビロ磐田に移籍しました。背番号は10番だそうです。

去年の暮れあたりから中村選手が移籍するのではないかと噂にはなっていましたが、いやー、このニュースを聞いたときはぼくも驚きましたね。でも中村選手にとってもジュビロにとってもいい移籍ではないかと思います。名波監督がずっとラブコールをしていたとのことですし、同じレフティー同士、日本代表の10番を背負った者同士、きっと通じ合うものがあったのでしょう。中村選手には頑張ってほしいです。

ジュビロは着々と補強をしていますね。ジェイ選手はいなくなりましたが、川又選手を獲得しましたし、DFでは高橋祥平選手、ボランチではムサエフ選手、川辺選手もレンタル延長だそうですし、ずいぶん活発に動いているという印象です。それにしても、監督名波の下、松井大輔と中村俊輔が一緒にプレイするなんて、サッカーファンとしてはなにやら感慨深いものがあります。こんなことをいっても、十年前は誰も信じないだろうなあ。でも、そんなことを言うならあのアントニオ・コンテがユーヴェを経てチェルシーの監督をしているなんてあの当時思ってもみなかったですからね(しかも結構名将)。うーん、時の流れは早いものです。

それにしてもこの時期の移籍動向は面白いですね。毎年のことながら、冬のオフシーズンのこの時期の移籍関連の情報はぼくも楽しみにしています。最近は欧州リーグの選手の移籍よりも、むしろJリーグの選手の移籍の方が面白いくらいです。このところ中国のリーグが派手にお金を使ってしきりに有名選手を獲得しているニュースを見聞きしますが、でもJリーグのクラブだって上手に予算を使いながら的確でいい補強をしていると思います。

中村選手は最近少なくなりつつある、ボールを持っただけで華になるというか、見る者を惹きつけずにはおかない選手です。この移籍の決断の背後には、きっと本人の「サッカー選手として完全燃焼したい」という想いがあるのでしょう。まだまだ老け込む年ではないですし、中村選手の今シーズンを期待と共に応援したいと思います。

というわけで、今回は久しぶりにサッカーのお話でした。

七草粥と今年の目標 

2017, 01. 08 (Sun) 00:30


nnk.jpg


七草粥を食べてお餅を食べて、例年になくお正月を満喫していたぼくですが、それも今日で(昨日で)終わりのようです。皆さんはどのようなお正月をお過ごしだったでしょうか? ぼくは自宅でのんびりまったりとすごしていました。雪も少なかったですし、(気温は低かったですけど)本当に何年ぶりかというくらい穏やかなお正月でした。ここ数日ちょっと食べ過ぎたかな? と思い、さっき体重を量ってみましたが、幸い去年と変わっていなかったのでほっとしました。でも年末年始っておいしいお料理が身の回りにたくさんあって、あまりその気がなくてもなんとなく食べ過ぎてしまいますよね。で、あとで我に返って後悔するわけですが。

先ほど「お餅」と書きましたが、実は子どもの頃ぼくはお餅が苦手だったんですよね。(味がしないのがイヤだった)それがいつの間にか食べられるようになり、今ではふつうに好物のひとつになっているのですから、人間の味覚というものはあてにならないものです。ぼくは子どもの頃はわりと偏食で(今は違う)、他にも食べられないものがたくさんありましたが、おせち料理などもあまり好んで食べたいとは思いませんでしたね。今思うとすごくもったいないことをしていたかも。ううむ。

そんなぼくですが、昨年暮れくらいからひとつ止めた、というか断っているものがあります。それは「缶コーヒー」です。

元々大のカフェイン党で一日何杯もコーヒーは飲んでおり、その手軽さから缶コーヒーもけっこう飲んでいたのですが、ちょっと飽きてきたというか、少なくとも缶コーヒーはもういいかなという気分がしてきたのできっぱり止めることにしました。煎れて飲むコーヒーの方は今後も手放せないでしょうけれど、缶はもう長いこと口にしていません。机などで書きものをしていると、物足りなさにふとヘンな気分になることもありますが、でも、せっかく年もあらたまったことですしね。なにかを始めるにはいいきっかけですし、今後も続けていきたいと思います! 

というわけで2017年、ささやかながらひとつ目標を立てた清野でした。(しかしうーむ。缶コーヒーを飲まなくなるとなると、夜中にコンビニに行くための理由をなにか考えなくては・・・)

『サイキック』を書き終えて 

2017, 01. 07 (Sat) 00:30

この『さよなら、サイキック』という作品はぼくにとってもいろいろ思い出のつまった作品です。

昨年末に書き上げた直後はうれしさと、なにより安堵の気持ちでいっぱいでしたけれど(なにせ締め切りがきびしかったものですから)、新年をまたぎ、今少し冷静になってあらためて振り返って見ると、ぼくのキャリアの中でもかなりプライベートな色彩の多い作品になっていると思います。書いている当人としては、もうちょっとエンターテインメント的な方向に寄りたかったのですが、作品自体が内包しているテーマにぐいぐい引っぱられるように最後はああした結末になりました。もっともすでにご説明したように、元々この作品は「超能力少年の一人称語り」というスタイルの短編からスタートしているので、こうした流れになるのはある意味必然だったのかもしれません。瑕疵の多い作品ですが、もし読者の皆様に気に入っていただけたら作者としてこれに勝る喜びはありません。

さて今後ですが、年頭のご挨拶でも申し上げたように、まったく新しい作品に取り組んでいきたいと思います。自分としてもここ数年、物書きとして少し狭いところ狭いところに行っていたなという思いがありますので(いや、こういうキャラクターの内面に焦点を当てた作品も大好きですし、こっち方面にも素晴らしく豊かな世界が広がっていると思うのですが)次はもっと開かれた、ダイナミックな方向に創作の舵を切りたいと思っています。

人間、年齢と共にだんだん肩の力が抜けてくると言いますが、ぼくも年々リラックスし、とうとうこうしてブログを書けるくらいにまで成長(?)しました。(おめーはもうちょっとしゃきっとしろと言われそうですが)その意味でも、もう少しくつろいだ感じで書くという行為と向き合えるような気がしています。これも年の功かなあ。

まあ、今後もぼくらしくこつこつやっていきたいと思っておりますが(ぼくは書くことに関しては一貫して真面目なんです)、なにか思いついたり、お知らせがありましたら、その都度またこちらでちょくちょく話させていただきますのでよろしくお願いします!

キャラクターあれこれ・蒔田ヒルガオとゲオルグ・カヴァルカンティ編 

2017, 01. 06 (Fri) 00:30

キャラクターあれこれ、三日目はファング使いの元・超能力者、蒔田ヒルガオとゲオルグ・カヴァルカンティ、通称じいちゃんです。

第二巻に「かつて超能力を持っていた女の子」を登場させようと思ったとき、当然そのキャラクター像をどのようなものにするか考えました。そのキャラクターは、ログや軍乃の抱える悩みをすでに通過しており、そうである以上、必然的にその作劇中の役割は彼らを導き、手助けするようなポジションを務めることになります。しかしぼくは、いかにもすべてを心得え、彼らに助言を与えるような大人びたキャラを出したくありませんでした。―――こうして登場したのが蒔田ヒルガオです。

このちょっと不思議な名前のキャラクターは、以前ぼくが何の気なしにこしらえ、「いつか機会があるときに出そう」くらいに思っていたキャラクターでした。結果的に彼女はこの作品の重要な場面で、この役柄をきっちり果たしてくれました。実際、彼女がいてくれたおかげでこの作品の雰囲気は明るくより開かれたものになりました。その意味ではチヅル同様、ずいぶんと助けられたキャラクターですね。

欲を言えばもう少し活躍の場を与えてあげたかったですが、でもこれまでにいなかったタイプの女性キャラクターとして、なによりログ、ロンド、軍乃の三人を相手に一歩も引くことのない一極の雄として、この物語に「時間の流れ」というものをもたらしてくれたと思っています。ぼく自身、書いていてとても楽しかったです。

もうひとりはカヴァルカンティ老人です。これまでぼくの作品を読んでこられた読者の方は、ぼくがかなりの「じいちゃんキャラ」好きであることはご承知だと思います。実際、ぼくは『リンネ』の頃からお年寄りキャラクターを作中に出すのが好きで、そのむかし担当さんに怒られたこともあるくらいです。「清野さん、ライトノベルですよ。読者が読みたいと思っているのは若い子なんです!」と。(いやー、その節はご迷惑をおかけしました)たしかにおっしゃるとおりですし、そのアドバイスはもっともだとぼくも今となっては思います。ですがその一方で、書き手としては、子どもや青年、目の醒めるような美少女を描くのと同じくらい、お年寄りや老人を描くことも重要なことだと思うんですけどね。

さて、この隠れひょうきん者のじいちゃん導師ですが、これまた書いていてたのしい人物でしたね。役割としては必然的に方向性が限定されてしまうような「狭い」役柄にもかかわらず、そんなことお構いなしに好き放題に動いてくれました。(JJとか普通にナンパしてましたし)ロンドとも相性がいいようで、なんとなくその後の未来や展開が想像できるような、解釈の幅のある味わい深いキャラクターになってくれたと思います。機会があれば、またこうしたご年配のおじいちゃんを(そしておばあちゃんも)書いてみたいですね。

今作は、執筆を通してキャラクターというものは本当に生き物だとあらためて実感した作品でした。作者が感じたその実感の一端を、読者の皆様にも感じ取っていただければうれしく思います!

というわけで今回は、蒔田ヒルガオ&ゲオルグ・カヴァルカンティのキャラクター造形についてでした。

キャラクターあれこれ・木佐谷樹文哉編 

2017, 01. 05 (Thu) 00:30

前回に引き続き、新キャラクターのお話です。今日は軍乃の兄、木佐谷樹文哉です。

軍乃はログ、ロンドと並んでこの作品におけるメインキャラクターであり、物語の根幹に関わる大変重要な存在です。また複雑な内面を抱えた女の子でもあり、本編の中で軍乃の話がすすむにつれ彼女の物語をどのような形でストーリーに着地させるか、ぼくも様々に考えるようになりました。そんな折、担当編集者さんがぽつりと「軍乃のお兄さんを出す必要がありますね」とおっしゃいました。(その時点では会話の中に出てくるだけだった)その瞬間ぼくの中で腑に落ちるものがあり、なにより兄妹二人の関係がぱっと見えたような気がしました。こうして彼は作品内で重要な役割を担うこととなり、満を持して本編に登場することとなったわけです。

もっともその以前から一応キャラクター設定はできており、大まかな人物像も考えていましたので、キャラクター造形に関してはわりとスムーズでしたね。「あの軍乃におにいちゃんがいるとしたら、いったいどういう人だろう?」ということから考えた結果、軍乃のような輪郭のはっきりした女の子には、逆にふんわりした雰囲気の優しいお兄さんがいるにちがいないと思い、ああいった性格の青年になりました。書いている間はこの兄妹の間柄はとても面白く、楽しんで執筆することができました。二人のやりとりを書き進めるうちに、軍乃がどんどん年相応になっていったりして。

ぼくは男ですから男の子の気持ちはわかります。また長年子どもたちと身近に接する職業に携わってきたため、思春期以前の子どもたちが(男の子、女の子ともに)どういう存在なのか、どんなことを考えているのか、理屈をこえて肌身で実感してきた部分があります。ですが今回、物書きとしてはじめて「思春期」というテーマを扱うに際し、ぼくは執筆中なにかわからないことがあったら登場人物たちと一緒に考えていこうという選択肢を選びました。(そうじゃなきゃ書いていて面白くないと思ったからです)今でもその考えは変わっていませんが、そんな執筆作業のさなかにあって、彼―――軍乃のおにいさん、文哉は作中に登場する大人の男性として、ログら迷えるキャラクターたちを導く役割を果たしてくれた・・・そんな風に思っています。

超能力者の妹を持った一般人の兄。そんな役割を大きな過去を背負いながら淡々とやってのける彼こそ、実のところ、作品内でもっとも強い人物なのかもしれません。

というわけで今回は軍乃の兄、木佐谷樹文哉についてでした!

キャラクターあれこれ・朱音儀チヅル編 

2017, 01. 04 (Wed) 00:30

物書きが作品を作る楽しさのうち半分くらいはキャラクターを作る楽しさにありますが、まれにこちらの企図した以上にキャラクターが生命を持ち、動き出してくれることがあります。よく言われる「キャラクターが勝手に動き出す」という状態ですね。

もちろんこれは一長一短で、決していいことばかりではありません。キャラクターが魅力的になり、生き生きと活躍するのは良いことですが、その結果作品全体の構成が変わってしまったり、当初予定していた物語の結末が変化してしまっては元も子もありません。(古来名作と呼ばれる漫画などでは、そうした結末になってもなお作品の完成度が損なわれないどころか、一層素晴らしくなるという事例もありますが)理想としてはキャラクターが存分にその魅力を発揮しつつも、説話の流れは損なわることなく、あくまで書き手の側が厳正に作品をコントロールしている、という状態が望ましいのでしょうね。もっとも作り手としてはそのバランスに苦労し、知恵を絞るわけですが。

本作の二巻において、朱音儀チヅルという名のテレポート能力を持つキャラクターが登場しますが、彼女もまた作品中、こちらの企図せぬ大きな存在感を放ってくれたキャラクターでした。ちょっとヤンキーっぽい、ざっくりした性格の不良少女というのが最初に考えた設定でしたが、(実は読書好きの物静かな美少女というパターンも考えていた)役柄がはまったのか、それともログら主人公たちと相性が良かったのか、物語にたくさんの余慶をもたらしてくれました。ぼくは自身の作り上げたキャラクターにはあまり「えこひいき」をしないたちだと(自分では)思っているのですが、中でもチヅルは特に気に入っているキャラクターですね。

能力についてはとても便利なぶん、多少制限を加えなければなりませんでした。(なにせテレポーターですから)でも作者として手を加えたのはそれくらいで、あとはほとんど「地」のままというか、彼女が自由に動くのに任せました。本来ならチートキャラになる素質十分の彼女が、能力でではなく、人柄でチートになるという(?)荒技を見せてくれたのも、この女の子の性格故でしょう。でもそのおかげでこの物語にさまざまな綾や艶が生まれたことをうれしく思います。主人公たちもずいぶん助けられましたしね。(というか、さきほど余慶をもたらしてくれたと書きましたが、その意味で彼女がいたお陰で一番恩恵を被ったのは軍乃ですね。いやー、友達が出来て本当に良かった)

彼女は書いていてどこか懐かしい気持ちにさせられるキャラでした。自分の中にいない(というかこれまであまり積極的に書いてこなかった)キャラクターを書こうという挑戦は前作から試みていますが、チヅルはぼくにとっても未知の存在でありながら、不思議な既視感となつかしさを与えてくれるキャラクターでしたね。こうしたキャラクターと出会えたことをうれしく思います。

というわけで今回は新キャラクター、朱音儀チヅルについてのお話でした!

寝正月 

2017, 01. 03 (Tue) 00:30


ted2.jpg


お正月です。

元旦も過ぎてようやく休日の雰囲気にも慣れてきたのか、ぼくも例年になくお正月を楽しんでいます。あたたかい格好をして外に出ることさえも、お正月の空の下ですとなにやらイベントめくから不思議です。最寄りの神社に何回も行っちゃったりして。帰りは決まってスーパーや近くのショッピングモールをのぞくのですが、滅茶苦茶混んでますね。「正月三が日は休み」など何処の世界のルールだとばかり、何処のレストランも商店街もお子さん連れ、家族連れの方たちでごった返しています。でもこれはこれでお正月、って感じがしていいですね。

お正月と言えばテレビです。ぼくはふだんほとんどテレビを見ないのですが、(テレビ自体は嫌いではないのですがCMが耐えられない)このお正月はいつになくテレビを見ています。BSのドキュメンタリーとか一度見だすとふつうに二時間とか見ちゃいますね。やはり制作費が掛かっている番組は見応えがあります。

Amazonプライムの方は年末はフル稼働で、うちのPS4も存在意義が生まれたことを喜んで(?)います。これまで埃を被り、ゲームソフトは一度も稼働させたことのない不憫な奴ですが、メディアプレイヤーというか、映画受像器として新たな人生を満喫しております。これでDAZN(ダ・ゾーン)も映るようになれば最高なのですが。

『ジェイソン・ボーン』シリーズを久しぶりに見返したり、『テッド』シリーズを見返したりと、(最近、ぬいぐるみを買って枕元に置いている)のんびりしたお正月を過ごしています。一作目に比べていまいち評判の悪い『テッド2』ですが、ぼくは好きです。

というわけで、控えめに言ってもかなりだらだらしている清野でした。

『さよなら、サイキック 0.夢と出会いの塔』 

2017, 01. 02 (Mon) 00:30

お正月、皆さんはどう過ごされていますでしょうか?

ぼくは十年ぶりくらいに地元でお正月を過ごしています。自宅でまったりと新年を迎えるということが久しくなかったため、なんだか凄く新鮮です。今日はとりあえず神社に初詣に行った後、お買い物をしてきましたが、こんなにのんびりしていて怒られないかな、みたいな感じです。でもこうして穏やかなお正月もいいものですね。皆さんはもう初詣に行かれましたか?

天皇杯決勝のお話はまた改めてするとしまして、本日はお知らせがひとつあります。すでにご存じの方もいらっしゃると思いますが、小説投稿サイト『カクヨム』にて、拙著『さよなら、サイキック』の前日譚、『さよなら、サイキック 0.夢と出会いの塔』という作品を公開させていただいています。小説をお読みになり、もし興味を持たれた方がいらっしゃいましたら読んで戴けたらうれしいです。
(リンク先はこちらです。)

https://kakuyomu.jp/works/1177354054882092780

この作品について少し説明させていただくと、これはもともと『重力青春ドリーマー』という名の200枚ほどの短編でした。ぼくが書いたログを主人公とした初めての作品であり、『さよなら、サイキック』の前身にあたります。ストーリーとしては本編の約一年前―――ログとロンドが偶然出会い、ロンドの病が明らかになり、やがてその病が恢復するまでを描いたお話です。書いた時期としては数年前でしょうか。ふと「超能力少年のお話を書いてみたいなあ」と思い立ち、一気に書き上げましたが、そのときはこの物語に続きがあるとは夢にも考えていませんでした。その後、『サイキック』をあらためて執筆するとなり、いわばログとロンドふたりの過去として眠っていたものを、今回大幅に改稿した後、スニーカー編集部さんのご協力をいただきこうして発表させていだくことになりました。

すでに書き上げてから時間が経過しているため、今になって読み返すと少し気恥ずかしい感じもしますし、ログのキャラクターが本編とは若干違っている部分もありますが、でもすごく懐かしいですね。当時の自分としては、「過去に問題を抱えていた自意識ばかりがとんがった年若い少年が(自分が既にそれを通過したと信じて)饒舌に己の過去を語る」という若書きの文体を狙って書いたつもりでした。(サリンジャーみたいな!)いささか拵えた語り口と読みやすさの間で文章が揺れている感じもありますが、本編の頃とはひと味違う、この暑苦しいまでに前のめりなログの体温を感じていただけたら幸いです。

なにより、こうして未発表だった作品を発表できて本当に嬉しいです。ぼく自身、前々からこの「カクヨム」をはじめとする小説投稿サイトには興味があったものですから、今回利用させていただけて楽しかったです。(サイトのフォーマットに合わせるのに、一回の文章の量を短く調節しなければならないのには苦労しましたが)また是非利用してみたいです。

この『サイキック』という作品は自分でも「若い」作品だと思います。今になって思い返すと、『時載りリンネ』の方が処女作にもかかわらずずっと老成した作品でしたね。(主人公達の年齢は若いのに不思議ですよね)きっと、それは今作の方がぼくにとって未知の風景を描いた作品だからだと思います。むろんぼくにとってはどちらも愛着のある作品ですが、こうしてその過渡期に記したこのエピソード0―――『夢と出会いの塔』という作品を皆さんに読んでいただけたら幸いです。