FC2ブログ

『バッファロー'66』 

2016, 11. 30 (Wed) 00:30


b66.jpg


とつぜん私事で恐縮ですが、最近ようやくAmazonプライム・ビデオというサービスの存在に気づきました。

これはAmazonプライムというサービスに加入していると、Amazon内で登録されている映画や番組が視聴し放題になるというサービスで、うかつなぼくは長年Amazonプライムに登録しているにもかかわらず(なにせAmazonのヘビーユーザーですから)、つい数週間前までこのサービスの存在にまったく気づきませんでした。ああもったいない。というかさっさと気づけよ、俺!

でも、ずっと気づかなくてラッキーだったという面もあるかもしれません。というのは試しに利用してみたらすごく便利だったからです。購入以来使われることなくずっと埃をかぶっていたPS4経由でAmazonプライムビデオの設定を済ませてからためしに部屋のテレビで『ゴッドファーザー part1』の冒頭を観てみると、ぜんぜん普通に観られます。すごい! 昔の作品から比較的新しい作品まで自由に観られますし、新作も有料で観られます。これならわざわざDVDレンタルショップに行く必要がありません。(今さらのようにこんなことで驚いているぼくが、よほど疎いのかもしれませんが)でも、本当に便利な時代になったものですね。それにしても執筆中に気づかなくて本当に良かった・・・。

「うーむ。いい映画がいっぱいあるなあ」と、突如リモコン一つで映画が見放題になってしまったこの状況に嬉しさを覚えると同時に多少の警戒感を抱きつつ(自分の克己心が試されるという意味で)、画面内に表示される映画のリストを眺めているうちに、ふと目に留まったタイトルに懐かしさを感じて、思わずボタンを押してしまいました。そのタイトルは『バッファロー'66』。

ヴィンセント・ギャロ監督・脚本・主演、クリスティーナ・リッチも出演しているこの映画は公開当時、何の気なしに入った映画館で観て、すごく幸せな気持ちになってそこを後にした記憶がある好きな作品です。その後何度か見なおしましたが、ここ最近はずっと観ていなかったので思い切って視聴してみることにしました。や、面白かったですね! 物語冒頭から中盤まで、よくもまあこれだけ自分勝手な男がいるもんだな、と観ていて腹立たしさすら憶える主人公に対して、ラストではちゃんと共感し、感情移入できる構造になっているのですから。それにしてもこのダメ男をこれだけペーソスたっぷりに演じることができるのはこの多才な監督の力量でしょうね。(というか、単にこの人の「地」なんじゃないかと思わないでもないですが(笑)作品は自伝的な要素が濃いそうですし)

そういうばこの頃はこういうちょっと脱力した感じのオフビートな映画がたくさん作られていたなあ、と当時を思い出しつつ、それでも「いい映画」は結局きちんと残っていくんだな、と改めて感じた一作でした。

さて、次は何を見ようかな、と思わずタイトルを探しているところがプライムビデオの恐ろしいところですね。ううん。気をつけないと。……と自戒したところで今日は久しぶりに観た映画のお話でした。

日常あれこれ 

2016, 11. 29 (Tue) 00:30


SP.jpg


このところ、少しずつ日常に復帰しつつあります。

前のめりにつんのめるようになっていた意識がようやく元に戻ってきたというか、身の回りのいろんなことが考えられるようになってきました。久しぶりに部屋に掃除機を掛けようとか、溜まっていたコップやお茶碗を洗おうとか、近くのスーパーにキャベツと白菜とクリープの詰め替えパックを買いに行こうとか、そういうことです。(所帯じみた話で申し訳ありませんが)でもこういう雑事を黙々と行っていると、少しずつ自分が真人間に戻っていくのを感じますね。ようやく帰ってきたというか。

でも若い頃ってこういう雑事が死ぬほどイヤだったんですよね。思う存分書くことに浸っていたいのに、そういう自分を煩わせる「下界の日常」が鬱陶しいというか、遠ざけたいというか、吐き気がするくらい嫌いでした。そんなぼくが、今では締め切り明けにエコバッグを片手に嬉々としてスーパーにお野菜を買いに行くのですから、人間変われば変わるものだと思います。でもたまに、あの書くこと以外何の余念も無かった、ただ錐のように意識を尖らせて机に向かっていた自分がふと懐かしく思い出されるときもあります。(もっとも、根っこの性格というか生活自体は今もあまり変わっていないような気もしますが)

しかし人間、この手の「現実」なしで生きていくことはできませんからね。文学に関するいっぱしの能書きで頭を膨らませていた若造のぼくが初めてそのことに気づいたのは仕事でちっちゃい子どもと生まれて初めて接したときでした。母親を恋しがって腕の中でぎゃんぎゃん泣きわめくたくさんの幼児と悪戦苦闘する十年を過ごすうち、文学にむかう姿勢はすみやかに変わり、アホなぼくにも朧気に人生のなんたるか、その片鱗がわかってきたような気がします。(高邁な理論を学ぶよりも三歳の子どものおしっこの世話をしてた方が人間は遙かに鍛えられる)そして不思議なことにその頃から自分の書く物のレベルが一段も二段も上がったような。のちに角川さんに送ることになる原稿、12歳の女の子を主人公にした物語を書き出す直前のことです。

日常の雑事もじっさいに向き合ってみるとなかなか大変ですが、日々のディテールは生活の基本です! ……というわけでクラムチャウダーなるものに生まれて初めて挑戦しつつ、久しぶりにキッチンの前に立つ清野でした。

ビフォーアフター 

2016, 11. 28 (Mon) 00:30


lf.jpg


『劇的ビフォーアフター』が一旦終了するそうです。

最近このニュースを知り、びっくりしています。ぼくもこの番組は大好きでよく見ていたものですから、残念ですね。またいつか再開してくれると嬉しいのですが。

この番組の面白いところは、やはりなんと言ってもすごく古かったお家がリフォームで新しくなり、依頼者の家族がすっかり見違えた我が家を見てよろこぶところでしょう。ああいうところを見ていると、なんとなくこっちまで嬉しくなりますね。それにしても日本には本当にいろんなお宅があるんだなあとこの番組を見ていて思います。北海道・東北から九州・沖縄まで、気候や風土によって住宅のなりたちが地域ごとに特色があるのだとあらためて気づかされますね。(たとえばこちらでは瓦屋根は殆ど見かけませんしね)

ぼくは古民家とか結構好きなので、そういうお宅がリフォームされるときは思わず見入ってしまいます。ああいうお家に一度住んでみたいなあ。最近は歴史やゆかりのある古い建造物がどんどん減っているので、古くなったお家を取り壊さず、その雰囲気を留めるように手を入れていくのって素敵ですよね。でもそれも、外部にいる人間の勝手な言いぐさであって、実際にそこにお住まいになっている方にすれば、「もっと快適に暮らしたい」と思われるのも当然なのかもしれません。

我が家ももう何度もリフォームしているので、リフォームするときの気持ちはよくわかります。やっぱりお家が綺麗になるとすごく嬉しいですよね。うちはもう手を付けるところがないくらいリフォームしてしまったので直せませんが、また機会があればやりたいと隙あらば思ってしまうところがリフォームの怖いところです。費用や設備のことを考えると新らしくお家を建てる方がかえっていいくらいかも。でも住み慣れたお家を建て直すのって勇気が要りますよね。

もし望みが叶うのなら、ぼくはやはり壁一面、天上まで届くような本棚が四方を飾る専用の書庫が欲しいですね。そこにソファーかなんか持ち込んで、日がな一日、(コーヒーを飲みながら)本を読めたら幸せだろうなあ。しみじみ。

さいごは若干妄想が入ってしまいましたが、そんなわけで長く楽しませてもらった『劇的ビフォーアフター』、いつかまた再開してくれたらうれしいです。

遠出と風景 

2016, 11. 27 (Sun) 00:30


w3.jpg


今日、久しぶりに自転車に乗りました。

徒歩で行くにはちょっと距離があるところまで用事があったためです。気温も低くかなり風が冷たかったですし、自転車はどうかな、と少し迷いましたが、「これがたぶん、今年最後の機会」と思い切って使うことにしました。数ヶ月前に買ったママチャリです。いや、凄く気持ちがよかったですね。文字通り風を切る感覚で乗ることができました。

たまに遠出すると、気持ちがあらたまっていいですね。当たり前ですが、いつも見慣れた近所の場所とは風景が一変するため、目に映る物すべてが妙に色鮮やかに、そして新鮮に見えます。家並み、街路、ビルや建物、信号機の点滅する交差点、公園で歓声をあげて遊ぶ子どもたちや買い物袋を提げたお年寄り……。こういうとき、自分で「あ。今、脳が開いている」と自覚します。なんというか視覚の情報量が一時的に飛躍し、脳に一斉に流れ込んでくる、あの感じです。あらゆる物の細部の細部までがくっきりと見渡せるというあの感覚。たぶんこれはぼくが作品を書き上げた直後だからでしょう。(もちろん自転車に乗っていたので車には十分気をつけていましたけれど。)

逆に言うとこれは、人はふだんいかに「脳に蓋をして」、目から入ってくる情報を一定量に制限しているか、ということなんでしょうね。でもそれは正しいのかもしれません。こんな感覚全開で毎日生きていたら、命がいくつあっても足りませんからね。人間はこの世の事物や現象すべてを受け止めることはできません。ぼくらはせいぜいその一部を眺め、自分が理解しやすいように加工し、世界の断片を世界そのものとして認識しているのでしょう。

途中、お腹がすいたので見知らぬパン屋さんに入ってパンを一個買い、その焼きたてふわふわのパンを食べつつ、寒空の下でいろ蓮のもも味を飲んでいるとようやく人心地が付きました。世界を認識するのも良いけど、こっちも同じくらい大事だよな、とパンを食いつつ衒いなく思えるようになったのは年のせいでしょうか。でも今のぼくは素直にそう思います。(そのわりには相変わらず「食」をおそろかにしがちなのがぼくのダメなところですが)

ともあれ、久しぶりに乗った自転車。思わぬ発見と共にさまざまな景色に出会えた冬の一日でした!

休日 

2016, 11. 26 (Sat) 00:30


ws1.jpg


先日、丸一日自由な時間がとれました。やったあ!

ここ数ヶ月、取り組んでいた作品がようやく一段落したためで、考えてみれば本当に久しぶりの休日です。(まあ、年中休日みたいな人生ですが、そのぶんサボっていたら自分の身に降りかかってくるので)。このところひたすら原稿にむかう日々を送っていたので、一時的に解放されるとなんというか妙な気持ちになりますね。弾けきらないというか、まだ自分がどこか鎖に繋がれているような気分というか。時間が自由になったらあれもしたい、これもしたいと思っていたのですが。

一日中ベッドで寝ていようかとか、ひたすら部屋でジャズを聴き続けてだらだらしていようかとか思ったのですが、お天気も良かったですし、ちょっともったいない感じがしたので気合いを入れて起き、映画を観に行ってきました。(正直、眠かったですけど)そのタイトルが『この世界の片隅に』なのですが、その内容は昨日のブログを読んでいただくとして、いや、行ってきて良かったですね。怠け心に負けていたら、あんな素晴らしい映画をあやうく見逃してしまうところでした。

あとは病院へ行ってお薬をもらったり、その帰りにずっと食べたかったお蕎麦を食べたりと、大変充実した(?)休日を過ごしてきました。いやあ、当たり前の日常って素晴らしい。としみじみ。(自分の慎ましさに自分で書いていて思わず涙が出てきますが)丸二ヶ月ぶりぐらいに行った近くのショッピングモールなどすっかり様変わりしていて、まるで自分が浦島太郎になった気分でした。なんせここ十日ばかりは歩いて100メートル先のコンビニにすら行けなかったものですから。

久しぶりの外はもうすっかり冬になっていて、ぴりっとした寒気がほおを刺します。でも空は澄んでいて何処までも青く、高く、道を歩きながら見上げていると飽きません。もっとも、この空だけは変わらない―――などと格好つけているとあっという間にどか雪が押し寄せてくるのが北海道の空なわけですが。

まあ多少はリラックスできましたし、仕事はまだ続くので、ここ数ヶ月で落ちた体重を戻すためにもなにか御馳走を食べよう! と思ってもイマイチその肝心の御馳走の名が思いつかない自分が悲しいですね。せめて焼き肉でも食べてスタミナでもつけようと思いますがいったいいつになりますことやら―――ということで、ささやかな休日をすごした清野でした。

『この世界の片隅に』 

2016, 11. 25 (Fri) 00:30


ks.jpg


とても素晴らしい映画でした。ぼく自身、今日、この映画を劇場で観てきたばかりで、いまだ頭の中が整理できていませんが、少しこのブログで語らせていただきたいと思います。

『この世界の片隅に』は広島県・呉市を舞台に、そこのある家に花嫁として嫁いできた「すず」という一人の女の子(女性)が敗色が濃くなった当時の日本の戦時下を、その夫や家族とともに懸命に生きていく姿を描いた作品です。……などとあらすじを書いてもこの映画の場合、その尋常じゃない美しさを説明したことにはならないわけですが。監督は片渕須直監督です。

※ すみません。以下は映画の内容に触れてしまっている可能性があります。これからご覧になる予定だという方は、お読みにならないようにお願い致します。

とにかく「凄い映画」だとしか言いようがないのですが、映画の冒頭はどちらかと言えば静かなタッチで始まります。ですが、序盤のいくらもたたないうちに「あれ?」というか、「これ、このまま続くのかな?」という不思議な感覚に襲われます。よくパニック物やアクション映画大作のことを「ジェットコースタームービー」などと言いますが、一見すると穏やかな日常(もちろん戦時下という厳しい状況ではあるのですが)だけが続くこの映画を観て、ぼくがそれに似た感覚を抱いたわけは、ひとつにはこの映画の説話やカットがひとつひとつ微妙に短いことにあると思います。

今短いと言いましたが、もちろん十分にキャラクターが演技をするだけの尺はあるのです。ただ、その場面がこちらの心情に対してわずかに短い。観ているこちら側が、「いい話だな」「素敵なシーンだな」と思い、胸に湧いた情感や余韻を十分に味わおうとした瞬間、その手前ですでにカットは次の場面に切り替わっており、観る側はそっちに意識を集中せざるを得なくなります。その潔さはいっそ清々しいほどで、その意味ではこの映画は観る者に「立ち止まること」(安心すること)を容易に許さない構造になっています。そしてそれが126分間ずうっと続くので、映画を観ている間中、たえず柔らかなハンマーで頭を殴られ続けているような気分になります。(変な例えで申し訳ないのですが、ある意味ゴダールの『勝手にしやがれ』みたいな感じというか)

でもその柔らかな感触は決していやなものではありません。そう、この映画の質感は(とても厳しく残酷な状況を描いているにもかかわらず)その郷愁を感じさせる絵柄とあいまって、優しく、あたたかいものです。基本的にイヤな人、不愉快な人は出てきませんし、イヤな人に見えた人物も、のちになっていろんな過去や多面性を備えた一人の人間であったことが描かれます。(唯一、「やな感じ」のする人はすずが写生しているところを捕まえて家にしょっぴく二人組の憲兵くらいですが、それもあくまでコミカルに処理されていますしね。)そして、人間を「イヤな人/いい人」という画一的な見方で見ない物語の世界観は、主人公であるすずの視線に他なりません。


ks2.jpg


すずは嫁ぎ先の家族と共に呉市で暮らし始めます。当時の呉は軍港です。厳しい戦時下の中、すずは明るく、あくまで愚痴をこぼさず、たくましく生きいきます。(その呉市の描写、軍港のほとりで生きる人々のリアリティと情感は本当に素晴らしい)でもこのすず、実は決して健気なだけのキャラクターではありません。というか、どちらかといえばこの人、かなりポンコツな女の子です。でも、このチャーミングなすずの性格がこの物語をとても開かれた豊かなものにしています。なにより、この映画の特質を語る上で決して忘れてはいけないのは、彼女が新妻であるという点です!(力説)そう、その意味ではこの映画は「若妻物」「新婚ドキドキ夫婦物」というジャンルでもあるのです!(とゆーか、そんなジャンルがはたして映画史にあるのかわからないですけれど)

年頃の女の子の揺れる心情から始まって、嫁ぐ際のとまどい、初めて夫婦となる緊張、実際に主婦となってからのおどろきや発見、そして失望……。この映画にはたくさんの「はじめて」がつまっています。映画を観ながらぼくらはすずと一緒になって、それを体験し、実感し、そしてその中にある生活の真の意味に気づいていきます。

ですが、同時にすずはたんに朗らかな性格なだけの女の子でもありません。家族やまわりからは粗忽者扱いされ、また当人もそれに対し腹を立てたり反発したりする様子がないため誤解されがちですが、この主人公は明らかに大きな才能を持っています。

幼少時、しきりに描くための鉛筆を欲する描写からはじまって、あの空襲のシーン、今まさに飛来する敵機の攻撃を受け、戦闘機が落ちていく空を眺めながら、「ああ、今ここに絵筆があれば」と想うシーンなど、まさに才能に魅入られ、喰われてしまった人間が持つ「業」としか言いようがありません。その意味において、この映画は「一人の才能」を巡る物語なのかもしれません。

そしてそれと知らず格闘を続けた彼女が初めて慟哭するのは、それを失い、決別したとき、決別せざるを得なくなったときです。その意味を悟り、やがて生とぎこちなく向き合いはじめた彼女が、映画のラスト、広島の地で下した決断をぼくらは涙と共に見守ることになるでしょう。

ぼくの身近な人間の年齢で比べてみれば、すずさんはぼくの母よりは年上で、ぼくの祖母よりは年下、ということになります。映画の中の人物にもかかわらず、あたかも実際に生きたひとりの人間であるかのように「ええと、現在この人は……」と、思わずその年齢を頭の中で指折ってしまうくらい、「すずさん」は126分間、ぼくにその生を垣間見せてくれました。

この映画を観ることができて本当に良かったです。……というわけで、『この世界の片隅に』についての感想でした!

公園 

2016, 11. 24 (Thu) 00:30


PK2.jpg


公園にはけっこうくわしいです。

と言っても駐車場があったりするような大きな公園ではなく、住宅街の狭間にあるようなごく小さな公園のことです。家から徒歩圏内2㎞~3㎞の場所にある公園はだいたい行ったことがありますね。というのも長年たくさんの子どもたちと一緒に遊ぶという仕事をしていたので、必然的に公園に詳しくなりました。せっかく遊ぶのにいつも同じ場所で遊ぶのはつまらないということで、近くに公園はないかと探しているうちにいつの間にか頭の中の地図に公園の場所が書き込まれるようになってしまいました。(食べ物屋さんとかは全然知らないのですが)でも最近はスマホで簡単に検索できますけどね。

そのせいか、普段何気なく歩いていても無意識に公園に目を向ける習慣が付いてしまいました。たまに新しくできた公園を見つけたりすると、「おっ」と思いますね。もっとも、幼児から小学生くらいの年齢の子の足で行ける距離となると、どうしても行く公園は近場に限られてくるわけですが。

公園で大事なのはもちろん場所もそうですが遊具です。子どもの好みは意外と厳格ですから、つまらない遊具ばかりある公園は見向きもされません。逆に楽しい遊具、面白い遊具があるとそこばかり行って遊びたがります。もちろん遊ぶときはぼくも一緒になって遊びますが、これが大変。鬼ごっこでもしようものなら、その日はいいのですが、翌日にすごい筋肉痛が……。やっぱり日頃から鍛えておかなければダメですね。

ただ気になるのは最近どんどん遊具が撤去されていっていることです。一昔前に比べてずいぶん遊具全体の数が減った印象があります。これは老朽化などが原因なのでしょうが、ひとつには「怪我をした」というクレームがあるからでしょう。いわゆる「メリーゴーランド」と呼ばれる、子どもたちが中に入ってくるくる回る遊具(とくに球形の物)は完全に姿を消してしまいました。遊具などもどんどん綺麗に、最新式のものに切り替わっており、たまに公園へ行ってみるとすっかり様変わりしていた、ということもあります。反面遊ぶ側としては若干物足りない感じもしますが、でもこれも時代の流れなのでしょうね。

まあ、子どもたちにすればまず外に行き、身体を使って遊べる!ということがなによりもうれしいことであって、遊具の新しい・古いなどにはまったく関心がないことですしね。ぼくも彼らに負けないよう少しは身体を鍛えて、せめて筋肉痛にならないようにしたいと思います!

髪が伸びた 

2016, 11. 23 (Wed) 00:30


HA.jpg


また髪が伸びています。

ふと気がつくと目元に落ちかかるうっとうしい髪が……。前回、切りすぎたとかブログでぼやいていたのに、髪を切りに行こうにもまた締め切りがあって家から身動きが取れないという以前とまったく同じパターンに。だからこうなる前に早く行っておけよ! と自分につっこみつつ、当分の間はこの状態で我慢するほかなさそうです。

でも美容室っていいですよね。すごくリラックスできる空間です。ぼくはもう十年以上同じ美容師さんに髪を切っていただいていますが、お任せするだけでいいので大変楽です。(もっとも、ここにくるまで相当の紆余曲折がありましたが……)雑誌を読むのもよし、おしゃべりするのもよし、眠るのもよし、自由にくつろげるところがいいですね。

でもこれって、実は自分の髪型にたいしてこだわりがなくなってきたせい、というのもあるかもしれません。考えてみれば、以前は「髪を切る」という行為に対しもっと実存を賭けていたというか、妙な緊張感を持って臨んでいたような気がします。でも確かに最近はそういうテンションみたいなものは欠けているような。ううむ。だとするともっとこだわったほうがいいのかなー。

ちなみにぼくの髪質は素直みたいで、わりと何でもできるみたいです。でもいじるのも面倒だし、パーマをかけるのもちょっと億劫なんですよね。

でもどっちかというと男性はわりと自分の髪型に対し早いうちから「着地点」が見えやすい傾向があると思います。女性と違ってそんなに髪を長くできないですし、バリエーションも女の人に比べたら少ないですしね。(ぼくが無知なだけで、実は世にはさまざまな男性用の髪型が存在しているのかもしれませんが)ぼくもかつてはさまざまな髪型にチャレンジし、その手痛い失敗を己の黒歴史として刻んできました。(痛くて懐かしい過去です。)そして今現在の髪型に落ち着いたわけですが……うーむ。はたしてこの着地点はこれでよかったのだろうか。としみじみ。

とりあえず現在のぼくにとっては、格好よりも書くのに邪魔にならない髪型がいちばんです。でも当分髪を切りに行けそうもないので、何とかこのままでがんばります!

風邪と予防 

2016, 11. 22 (Tue) 00:30


jw.jpg

最近、風邪を引きそうでこわいです。

ニュースによるとインフルエンザが流行の気配を見せているそうですが、ぼくも人事ではありません。この時期は風邪を引きたくはありませんからね。(もっともどの時期だって風邪を引きたくありませんが)自分なりに予防には気をつけているつもりなのですが、頭の奥が痛いところを見ると、じつはもう軽く引きはじめているのではという気も……。うう。とりあえず薬は飲みましたが、暖かくして、なんとかこれ以上悪くならないようにしたいですね。なにか栄養のあるものを食べようかな。

ぼくはしょっちゅう寝込むようなタイプではありませんが、それでも年に何度かは風邪を引きます。もっともこの歳になると多少なりとも自衛の方法もわかってきたので、以前に比べるとだいぶ楽になりましたが。やはり、うがいや手洗いは必須ですね。

ぼくの風邪予防法で「これをしたらずいぶん効果があるな」と思うのがネックウォーマーですね。首というのは身体の中でも特に熱を逃がしている部位らしく、ここを保護すると身体がぽっかり温まります。これはかつて作家の司馬遼太郎さんのエッセイに書いてあったものを読んで、なるほどと思い、それ以来実践しているものですが、司馬さんも風邪を引きやすい体質だったらしく、風邪予防について試行錯誤の末にこのことを思いついたのだそうです。もっともこれは古来からの人間の知恵らしく、西部劇などでジョン・ウェインなどカウボーイや西部の男たちが首にスカーフをしているのは別にかっこつけているわけではなく、首という呼吸器官を風や自然環境から守るためなんだそうです。(と、司馬さんの本に書いてあった)

当時若造だったぼくはこれを読んでいたく得心し、以来ネックウォーマーは風邪予防に欠かせないアイテムとなったわけですが、当時のぼくが司馬遼太郎さんの熱狂的な読者であったことを差し引いても、いい知識を教えてもらったと思いますね。読書をしていると、ときどきこういう形で思わぬ恩恵(?)を受けることがあります。

天気予報などを見ても、これからいよいよ本格的に寒い時期が始まりますが、風邪には気をつけてなんとかこの月末を乗り切りたいと思います!

アイスワイン 

2016, 11. 21 (Mon) 00:30


iw.jpg

アイスワイン、というワインをご存じでしょうか。

ぼくは日頃お酒をまったく嗜みませんが、このアイスワインだけは好きで時々飲んでいます。(そうたびたびではありませんが)何年か前にカナダにナイアガラの滝を観に行くツアー旅行に行ったとき、現地のワイナリーを見学した際にこのワインを知り、以来大好きになりました。その場で試飲したのですが、いつもこの手の試飲の時は殆ど手を付けないぼくが、思わず飲み干してしまうほど美味しかったです。じっさい、その場で購入してしまいました。

アイスワインはすごく甘いのが特徴です。聞けば特別な製法で作られているらしく、毎年少ししか生産できないのだそうです。氷結したブドウから作られるのですが、完熟して果糖分の高くなったブドウの実を氷結したまま搾汁すると水分が氷として残って糖分が凝縮され、芳醇な香りと甘い濃厚な味わいになるとのことです。ドイツとカナダが原産地として有名ですね。

ぼくはお酒は苦手ですし、そもそもこの手の嗜好品に執着する自分というものが嫌いなので、なるべくそうしたものと距離を置く生き方をしてきました。ですが最近はそうしたこだわりはあまりなくなってきたというか、気にしないようになってきたような気がします。もっともこれも後付けで、アイスワインがただ「甘いから」とという理由だけで好きになっただけという気もちょっとしますが(笑)苦いものって苦手なんですよね。でもその点アイスワインはすいすい飲めてしまうのがいいですね。反面、ちょっと危険かもしれませんが。

ただアイスワインって上述のようにあまり出回っていないんですよね。酒造コーナーなんて普段の生活で立ち入ることのないぼくが、これ目当てにときどきワインの置いてある棚を見渡したりしますが、未だかつて見かけたことがありません。美味しいアイスワインを手に入れるためには現地に行くか、インターネット上で注文するしかないのかもしれません。

これからいよいよクリスマスシーズン。グラス片手に良い感じにほろ酔い加減になる、なんてついぞ経験したことのないぼくですが、それまでになんとかアイスワインを手に入れ、映画を観ながらでもゆっくりくつろぎながら飲んでみたいですね。(『ゴッドファーザー』シリーズの三作一気見とか!)

体重再び 

2016, 11. 20 (Sun) 00:30


ss11.jpg
冬はやっぱりお鍋

先日体重を量ったらまた1㎏落ちていました。

これで夏から比べて体重は3㎏は落ちている計算になります。この夏から秋にかけてはむやみに忙しく、またプライベートでも様々なことがあったため無理もないと言えばないのですが、でもこれだけ落ちていくとちょっと妙な気分になりますね。いや、べつに身体はまずまず健康なんですけれど。(読書ができず、映画が観られなくてストレスが溜まっている以外は)

どなたにも自分にとってベストの体重があるように、ぼくにもだいたい目安とする自分の体重があります。50キロ台前半~半ばくらいがその目安ですが、やはりこのへんで体重が安定していますと体調は良いようです。あまり不摂生な生活はしていない方だと思っていますが、でもこういうのは油断が禁物ですしね。食生活も含め気をつけなければいけません。……ぼくの場合は暴飲暴食、というよりはどちらかと言うとあまり食べる気がなくなるという方なので、なにか定期的にエネルギーになるものを摂らないと。これからの季節、お鍋とかいいかもしれません。すき焼きとかしゃぶしゃぶとか好きですし、寒いときに食べるとおいしいですよね。簡単ですし。

痩せると言うことはカロリーを消費しているということなんでしょうけれど、人為的にそれをしようと思えば、やはりいいのは運動です。ぼくも走るのは好きなのですが、ただこれから寒くなって雪が降りだすと物理的に走れなくなるんですよね。ただ、これもただの言い訳なのかもしれません。近くの散歩コースを歩いていると、防寒着で軽快に走っておられる方と普通にすれ違いますしね。ううむ。やはり環境ではなく心構えが重要だということでしょうか。でも朝寒いんだよなー。

気がつくとあっという間に一年が過ぎようとしていますが、これから心身を整え、来年こそは規則正しい運動をし、自分にとってのベストな体重と体調を作っていきたいです! (少し総括が早すぎますが)

風景 

2016, 11. 19 (Sat) 00:30


ws.jpg


最近、底冷えする日が続いています。

身体の芯から冷たくなると言いますか、外に出て外気に触れた瞬間、肌がぴりっとする寒さです。外と言いましたが、これはお家の中も同じで、暖房を止めるとあっという間に温度は下がっていきます。雪が一度積もってしまうとかえってすごしやすくなるんですけどね。

集中暖房の家のいいところは部屋によって寒暖差が発生しないところです。以前、こたつについてのブログで述べたように各部屋ごとに暖房機で暖を取るわけではないため、今までいた部屋を出た途端「さむいっ」と感じることは基本的にありません。だからよく言われる「冬になると動きたくなくなる」という気持ちがあまりぴんときません。

もっともぼくはかなりの寒がりですので、一応部屋に暖房機がおいてあります。その日の寒暖に応じて付けたり消したりするという感じです。でもこれも一長一短で、ぬくぬくあったかいのはいいのですが、時折空気が暖まって頭がぼうっとしてしまうときがあります。そんなとき(大抵は原稿で煮詰まったときなどですが)、ぼくはちょっと上着を羽織り、外の空気を吸いに家を出るようにしています。そう、散歩ですね。

冬の空気はぴりりとしており、一瞬で気が引き締まります。息を白く染め、上着のポケットに手を突っ込んでてくてく歩いているうちになんだか気持ちが静まり、頭は鮮明になり、雑念が消えるというか、ある種自分自身を突き放すような晴れ晴れとした気持ちになります。この瞬間がぼくはたまらなく好きで、なんだかんだ言いつつ自分は冬が好きなんだなあと自覚するひとときですね。(もっとも外が吹雪だったりすると、そんな余裕もないわけですが)

雪が積もればあたりの景色も一変する。これが雪が降る前の最後の機会。……そんな風に思いつつ、目の前の道筋を眺め歩く毎日です。

ウインガーとサイドアタッカー 

2016, 11. 18 (Fri) 00:30


HG.jpg


先日の日本代表対サウジアラビア戦は2-1で日本代表が勝ちました。やったあ! 最終予選の順位も2位まで上がり、自力突破の目が見えてきました。とにかくホームできっちり勝ち点3を取っていくことが大事ですよね。

ゴールは清武選手とまた原口選手。原口選手は4試合連続ゴールです。すごいですよね。以前の原口選手は基本的にファイターではあっても、そんなにゴールを取りまくるような選手ではなかったような印象がありましたけど、ここにきて何か覚醒したかのようにゴールを挙げまくっています。埼スタになると俄然燃えるものがあるんでしょうか。(まあ、かつてのホームですしね)それにしても原口選手といい清武選手といい、ここにきてロンドンオリンピック世代が台頭してきた感があります。(あと大迫選手も)この調子でどんどん活躍してほしいです。

ウインガーやサイドアタッカーはサッカーにおける花形ポジションですし、古来多くの名選手がこのポジションで輝いてきました。ぼくももちろん彼らのプレーにはわくわくしてきましたが、それでも熱狂的に応援してきたというのとは少し違うように思います。サッカー好きの友達の中にはライアン・ギグスやルイス・フィーゴが大好きな子がいましたが、ぼくはどちらかといえばギグスよりはスコールズやキーン、フィーゴよりはジダンに惹かれていました。(あの頃のユナイテッドは良かった……)日本人にはお国柄か、生粋のウインガーやサイドアタッカーはあまり育たない印象がありますね。何かが足りなくて、何かが過剰という感じです。たぶんその「何か」が日本サッカーの特徴や本質なのでしょう。

最終予選は来年の三月までありませんので、代表の活動はしばしの休止ということになります。少し残念ですけど、それまでは個々の選手達がそれぞれのリーグと所属クラブでがんばっている姿を応援したいと思います!

サイン 

2016, 11. 17 (Thu) 00:30


SS1.jpg

先日、機会があってサインを書かせていただきました。

これは角川スニーカー文庫さんが行っているキャンペーンのひとつで、拙著『さよなら、サイキック』を取り上げていただいたものです。せっかくの機会ですから編集部より送っていただいたポスターに喜んでサインを書かせていただきました。(サインはイラストレーターのあすぱらさんと共著(?)です)よろこんでいただければ嬉しいのですが。でも、こういう手作業ってやっぱりちょっと緊張します。

ぼくのサインは簡単で、清野静を「せいのせい」とひらがなにして若干崩して書くだけです。(いろいろ考えたけど、結局これに落ち着いた)でもたったそれだけのことなのに、実際に紙にむかう段となると緊張するというか、すごく気をつかいます。書く際に使う筆は大抵サインペンですから、「やり直しがきかない」という思いが心理的な要素として加わるのかもしれません。せめて下書きができればいいのになあ、と思いますが、でも考えてみたら鉛筆で下書きした跡があるサインとか、消しゴムを使った跡があるサインとかって、なんかイヤですよね。

なぜ緊張するのかと言えば、やはり「よく見られたい」という想いがぼくの中にあるからでしょう。つまりは自分の自意識が「書く」という動作の中に顔をのぞかせるわけです。家に小包が届いて、玄関先で「宅急便でーす。受け取りにサインお願いしまーす」と言われて、自分の名を書くのに緊張のあまり手が震える経験ってありませんものね。

サインでひとつ思い出しましたが、以前、漫画家さんがサインを書くのはじつに大変な作業である、という話をきいたことがあります。なぜなら漫画家にサインを求める方は当たり前ですがその漫画家さんのファンであり、ファンである以上、直筆の名前だけで満足するはずがなく、そこにはぜったいに少しでもいいから色紙の空白にでもキャラの絵を描いてほしいという無意識的な願望や要請があり、その望みを叶えてあげようとすれば当然漫画家さんは丁寧に絵を描かざるを得なく、その結果、たった一枚の色紙を仕上げるのに膨大な時間が掛かってしまうから……というのがその理由らしいですが、納得です。たしかに漫画家さんのサインって、ぜったい字だけじゃなくて、イラストやキャラクターも横にちゃんと描かれていますもんね。うーむ。すごいなあ。

そんな漫画家さんの苦労を思えば、作家はまだ楽なようです。少なくとも「絵を描いて」とはぜったいに言われませんしね。ともあれ、こうした自意識との闘いと葛藤(?)の果てに生み出された清野静の直筆のサイン、もし機会があればぜひご覧になってみて下さい!(はずかしいですけど)

ゲーム 

2016, 11. 16 (Wed) 00:30


FCM.jpg

ゲームは好きです。

ただし、こう胸を張って言うにはやはりいくぶん忸怩たる想いがあるというか、ちょっと後ろめたい気持ちになります。というのも最近全然やっていないから。一番最近やったゲームといえばPSVitaでやった『ドラゴンクエストビルダーズ』ですが、序盤を少しプレイしただけでいっこうに再開できていません。すごく面白いんだけどなあ。

なぜゲームができないかというと、これは簡単で時間がないから。でもこれって妙な話です。子供の頃や学生時代なんて睡眠時間を削ってでも好きなゲームをしていましたし、少なくとも「時間がない」なんていいわけはしませんでした。(というか、なければ無理に捻出してでもやっていた)それを考えると、やはり今のぼくにとってはゲームをするという楽しみのプライオリティは下がってしまっているんでしょうね。

むろんやりたい気持ちはあるのです。真田丸を見た後は最新の『信長の野望』を真田家でプレイしたくなりますし、たまにネットでゲームのプレイ動画などを見ると、「面白そうなゲームがあるなあ」と興味を引かれます。ホラー系やゾンビ系のゲームも、最新のゲーム機でいったいどれだけリアルで怖くなったのか見てみたい気持ちもあります。(もっとも、あんまりこわいとコントローラーを投げ出してしまいそうですが)

でもこういう気持ちを抱いていても結局のところやらなかったり、たとえソフトを買ってもあまりプレイしなかったりするんですよね。ぼくもPS4を一応持っていますが、購入してから果たしていったい何回電源を入れただろうと考えると、ちょっと空恐ろしくなります。ああでも、Huluを見たり、ナスネで録画した番組を再生するためにちょっと使ったりはしていますけれど。

ちなみになぜこうしてゲームの話題を持ち出したかというと、今話題(?)の『ファミコンクラシックミニ』がぼくも気になっているからです。人気商品のせいか品薄状態が続いているらしく、まだ購入できていませんが、もし気軽に手に入るのでしたらたぶん買ってしまうと思います。なつかしいタイトル、熱中してプレイしたタイトルがたくさん収録されていますからね。

もっとも、これにしたところですぐに情熱が冷めてやらなくなってしまう可能性はあります。あるいは昔のゲーム好きの血が甦り、再び寝食を忘れてプレイするようになるのか。それは定かではありませんが、でももしできるのなら子供の頃の気持ちに戻ってまたゲームを楽しんでみたいと思いますね。(スーパーマリオとゼルダの伝説と悪魔城ドラキュラはぜったいやりたい)

というわけで昔の血がちょっぴり甦ってきた清野でした。

七竈 

2016, 11. 15 (Tue) 00:30


nk.jpg


川縁の土手を散歩しているとよく見かける樹の中に七竈があります。

秋になると真っ赤な実をつけるこの樹はナナカマドといい、主に街路樹として植えられることが多いため、北海道ではかなりなじみの深い樹です。秋から冬にかけて赤く染まる紅葉や果実は美しく、見るものの目を楽しませてくれます。なんでもその不思議な名前の由来は、「七回かまどにくべても燃えつきることがない」ほど硬く丈夫な木であるという事実からきているそうです。(これは北海道の方にはおなじみの知識ですね)

今調べてみると、花言葉は「慎重」「賢明」「私と一緒にいれば安心」だそうです。ううむ。意外というか、奥が深そうな感じです。

ナナカマドの実は本当に真っ赤で、びっしり実っているので見た目が可愛らしいのか、小さい子どもたちを連れて近くを歩いていると、よく「取ってー」と言われます。見た目はちょっとサクランボを小型にしたような感じの印象ですので、子どもたちの目には魅力的なものに映るのかもしれません。落ちたものの中から房になった奴を手渡してあげるとよろこびますね。

じつはこの実、やたら耐久力があり、なかなか腐りません。そのせいか冬になると鳥たちが食べる大切な栄養源となるらしいのですが、ぼく自身はあまり鳥たちが啄んでいるところは見たことがありません。でもツグミなども好んで食べるそうなので、なるほど、うちの近くの川縁は冬でも鳥の姿が多いのはそのせいか……と腑に落ちたり。

この時期は葉もすっかり枯れ落ち、公園などに行くと木々の麓に落ち葉が絨毯みたいに溜まっており、空風の中、枝だけになった樹が孤独に聳え、冬の青空を指している景色を見かけたりします。ああいうのってなんか良いですよね。一幅の絵になるというか、画家なら思わず画想をかき立てられそうなロマンチックな眺めです。もっとも詩心とぼしき一般人のぼくなどはコートを着てぼーっと立ち止まり、ただ「いいなー」と思うだけですが。

もっとも七竈も含め、あたりに生えるすべての樹々も、やがて降り積もる雪の白さの中に閉じ込められることでしょう。そうなればまたまったく違った冬の景色が人間の前に立ち現れるのでしょうね。

その時期が来るのがなるべく遅いことを願いつつ、今回は七竈の話でした。

災害が起こったら 

2016, 11. 14 (Mon) 00:30


HJ.jpg


先日、近くの区民センターに、地元の町内会による災害時の要支援者の講習に行ってきました。

これは地震や災害の時にご高齢の方や支援を必要とされる方を町内で助け合おうというもので、ぼくもささやかでも何か力になれるかもしれないと思い参加してみたのですが、なかなか勉強になりました。実際に専門家の方が来てレクチャーをしてくださいましたしね。ただ、(こういう組織の常かもしれませんが)連絡網や連絡手順は縦割りの感が拭えず、いざというときにどれほど即応性をもって対応できるかは若干未知数という感じがしました。

避難所というのも、ぼくがテレビ等で思い描いていたイメージでは、災害時、家にいられなくなったような場合に目指すべき安全な場所という印象がありましたが、たんにすぐ行けばいいというものではなく、まず行政側が指定する小学校などに避難所が開設されるのを待ち、そのアナウンスを受けた上で赴くのでなければ無駄足になるとのことでした。また要支援者の方の支援をする際は、「今、支援をした」という情報を一旦地域で共有する必要もあるらしく、果たして罹災時、てんやわんやになっている状態でそうした意思疎通がスムーズに行くかどうか、個人的にはやや疑問に思いました。

でもこういう取り組み、試みは続けていくべきだと思いますし、なによりご近所同士ですしね。なにより自分の防災意識を高める上でも行ってきて良かったなと思っています。もっとも、上述の要支援に関しては四の五言わず駆けつけた方が、いざというとき絶対速いと思いましたが。でも町内会という組織を前提に災害対策をする以上、こういう形になってしまうのはやむを得ないのかもしれませんね。ううむ。

ふだんは自他共に認める徹底したインドア派のぼくですが、大きな災害時はそんなこと言っていられませんしね。せいぜい非常食の乾パンや飲み水を確保するくらいしかふだんの心がけをしていませんでしたけれど、この機会にちょっぴり気持ちもあらたまったように思います。(でも本当は、災害なんか起こらないのが一番良いのですけどね。)

というわけで今回は少し真面目に災害対策のお話でした。

ファンタジスタと汗っかき 

2016, 11. 13 (Sun) 00:30


JO.jpg


昨日の日本代表戦、日本はオマーン代表に4-0で勝利しました。やった! ……といってもただの親善試合なのですが。大事なのは火曜日です。でも久しぶりの快勝ですし、やっぱり日本が勝つとすごく嬉しいですね。

長いことサッカーを見続けていると、どうしても好きなタイプの選手というのが出てきます。ぼくも子供の頃はスター選手というか、ボールを持ったときに輝く選手が大好きでした。ファンタジスタ系というのでしょうか。FWの一列下にいて、抜群のテクニックからパスやゴールを決める選手。具体的な名前で言うとやはりロベルト・バッジョ。少しタイプは違いますが、デニス・ベルカンプも好きでしたね。

それに対して、FWの選手はそんなに好きではありませんでした。ぼくがサッカーを見始めた頃って、FWってなんか野蛮というか、無骨なイメージがあったんですよね。ごつくて、ハングリーで、身体が大きくて……。今思うと美点ばっかりじゃん、と思うのですが、まあ当時は子どもですしね。逆に言うといまのFWは、みんなFWなのにスマートというかかっこいいですよね。ネイマールとか。体つきもアスリートそのものですし。重戦車クリスチャン・ヴィエリみたいなのは逆に少なくなってしまいました。

好きな選手の系譜で言うと、ぼくは労働者タイプの選手が好きです。汗っかきというか、オシムさんの言葉で言うといわゆる「水を運ぶ」タイプの選手です。マケレレ、カンビアッソ、アルメイダ、シメオネ(アルゼンチンの選手ばっかりですね)、ディビアッジョ等々……。日本代表で言うと誰でしょうか。今野選手や阿部選手、戸田選手、今なら山口蛍選手かなあ。でも山口選手はぼくの(いささか偏狭な)好みから言うとちょっと攻撃的というか、上手すぎるんですよね。へんな言い方になってしまいますけど。

今の選手はどのポジションの選手もみんな足下が上手くなって、両脚で長短のパスを普通に出せるくらいになっていますね。というか、最低限それくらいできないと試合に出させてもらえない感じです。それはそれでもちろんすごいのですが、たまに一芸に秀でたような尖った選手も見たいな、という思いに駆られるときもあります。むろん無い物ねだりであることはわかっているのですが。

ともあれ本番前にひとつ快勝できたと言うことで、日本代表の状態は上がってきてると思います。この調子でサウジアラビア戦も勝ってもらいたいですね! というわけで、勝祝いに二日続けてのサッカーのお話でした。

アメリカとサッカー 

2016, 11. 12 (Sat) 00:30


RB2.jpg


先日のアメリカの大統領選挙は共和党候補のドナルド・トランプさんが民主党候補のヒラリー・クラントンさんを押さえ、勝利しました。これによりトランプさんが第45代アメリカ大統領となることとなります。いや、すごいですね。ぼくもびっくりしています。ヒラリーさんが優勢だとの報道一色でしたから。(結局、当日ネット閲覧はしませんでしたが、CNNのニュースで選挙中継をテレビで見てしまいました)

ぼくはこれまでアメリカに行ったことがありません。それだけにアメリカという国には淡い憧れがありますね。一度行ってみたいなあ。特に行ってみたいのがグランドキャニオンやロッキー山脈などといった雄大な大自然です。(水曜どうでしょうとか見てたらすごく楽しそうなんですよね。)あと、映画好きの端くれとしてはやはりハリウッドでしょうか。ただ、以前に比べて入国審査は死ぬほど厳しくなったと聞いていますが。

本日はサッカー日本代表戦がありますが、アメリカのMLSもなかなの盛り上がりを見せているようです。以前はベッカムやアンリなどが在籍していましたし、現在もピルロ、カカ、ジョビンコ、ランパード、ダビド・ビジャなどおなじみの名選手が所属しています。ぼくもかつてはまだ欧州でやれる実力のある選手がアメリカに行くのはどうだろう、といくぶん懐疑的なまなざしで見ていましたが、でもこれだけ揃うとなかなか壮観ですね。観客も熱狂的ですしスタジアムも近代的、となればサッカー不毛の地とよばれたアメリカにも、もはやサッカーが完全に定着したといっていいのかもしれません。実際、現在アメリカではヒスパニック系の方がすごく増えていますしね。(それだけに今回の選挙の結果が気になるわけですが。)

アメリカとサッカーと言えば思い出されるのは94年のアメリカワールドカップです。バッジョがPKを外し、ブラジルが優勝したあの年です。思えばあの頃からアズーリを応援していたような気がします。バッジョをはじめ、シニョーリ、アルベルティーニ、バレージ、マルディーニ、パリューカ、ゾラ(試合にほとんど出ていなかったけど)……あの頃のメンバーはみんな好きですね。思い出すに、あの頃の選手はずいぶんそれぞれに個性的だったように思いますね。今の選手は滅茶苦茶うまいんですけれど、なんだかみんなアスリートっぽくなってしまっていて。

日本代表に話を戻しますと、今日の試合は親善試合ですから選手起用や戦術についても思い切っていろいろチャレンジして欲しいですね。なにせ本番は火曜日ですから。もちろんぼくもテレビで応援します!

お野菜 

2016, 11. 11 (Fri) 00:30


SD1.jpg


野菜はよく食べますね。

決して意図して、「よし、毎日野菜を食べるぞ」と思って生活しているわけではないのですが、なんとなく食事のたびに口にしているという感じです。少なくとも肉類を口にするよりははるかに高い頻度で食べているので、まあ健康にはいいのかもしれません。

好きなお野菜はなんでしょう。キャベツやレタスやピーマン、きゅうり、トマトといったあたりでしょうか。こうしてあげてみるとサラダによく入ってるような定番の青物のお野菜ばかりですね。でも好きなんだよなあ。

そんな野菜ですが、最近価格が高騰としているというニュースが流れています。ぼくはそれほどスーパーの野菜売り場の価格に精通しているわけではないのですが、たしかにこのところ高くなったような。聞けば野菜価格の高騰は今年の天候不順……日照不足や台風が原因だといわれていますが、そういわれてみれば今年は確かに災害が多かったですものね。北海道は特に台風も来ましたし。梅雨と台風は北海道には縁遠いものだと思っていたのですが。

お野菜の良いところは適当に料理してもそれなりに食べ物になるところです。これがお肉とかですと、一気に調理する際の心理的ハードルが上がるというか、失敗したらどうしようみたいな気持ちになりますが、野菜でしたら適当に切って炒めて失敗してもまあいいか、みたいな感じになれます。(でも考えてみたら、お肉よりお野菜の方が高いなんていう状況になりかねない、もしくはもうなっているんですよね。ううむ)

子供の頃あれだけ嫌いだった野菜がいつから好きになったのか、自分でも定かではありませんが、やはり人間、水やコーヒーやチョコレートだけでは生きていけませんからね。(と、最近やっと気がついた)お皿一杯に盛ったサラダをいつでもたくさん食べられるように、お野菜は安くなって欲しいです。……というわけで今日はみんな大好き、お野菜のお話でした!

男はつらいよ 

2016, 11. 10 (Thu) 00:30


OT.png


『男はつらいよ』は大好きです。

通称「寅さん」と呼ばれるこの映画をお好きな方はたくさんおられると思いますが、ぼくもこの作品(というかシリーズ)は大好きで、よく見返します。
好きなタイトルはなんでしょう。やはり名作と呼ばれる『寅次郎 ハイビスカスの花』『寅次郎 相合い傘』『寅次郎 あじさいの恋』『寅次郎 夕焼け小焼け』あたりでしょうか。上記のタイトルは全部DVDで持っていますね。

はじめてこの映画にはまった頃、幸せな時を過ごしましたね。なにせ48作もある作品を順番に見ていけるのですから人生でこんな幸せなことはありません。見ても見てもまだ続きがあるというこの至福の時! たしか夏の暑い盛りだったような記憶がありますが、一夏かけて「男はつらいよ」を一日二本ずつくらい見ていって本当に楽しかったですね。

もっともこの映画を楽しむようになれたのは、映画好きになってずいぶん後のこと、それこそいい年をした大人になってからです。子供の頃や青年時代は寅さんがテレビでやっていても「ふーん」という感じで冷たくやりすごしていましたし、その後、映画を熱心に見るようになった後ですら真っ先に興味があるのはハリウッド映画の古典やヌーベルヴァーグなど、いわば映画史を後追いするのに必死で、到底ださい日本映画(すみません。当時の印象です)、それもつい最近までやっていた松竹系の映画を見返そうとなどという気にはなれませんでした。今考えると大変もったいないことをしたと思いますね。でも、当時はその魅力に気づかなかったんだよなー。

役者さんも凄いですよね。渥美清さん、倍賞千恵子さん、前田吟さん、三崎千恵子さん、そしておいちゃん役を務めた三人の役者さん、森川信さん、松村達雄さん、下條正巳さんは本当に身近な雰囲気を画面全体から発散していて、見ているだけでそこに本当の家族が存在しているような、そんな気持ちになります。もちろん熱烈な笠智衆ファンとしては御前様も毎回チェックを欠かしません。あと、マドンナと呼ばれる美人の女優さんたち。でもよく見ると、「この人、あんまり寅さんと合ってないよなー」と思う方もけっこういるんですよね。でも、寅さんは彼女に熱烈な恋をして、奮闘し、そしてその恋に破れて柴又を去り、再び旅に戻っていきます。

そしてその旅先でのロケーションの美しさはたとえようもありません。(特にさりげなく映し出される自然の豊かさ)テキ屋であり、しがない旅暮らしをしている寅さんは決して観光名所ばかりを旅しているわけではないのにもかかわらず、その何気なくカメラに撮られる日本の田舎の姿は、僕たち見るものになにかどきっとしたリアルで生々しい印象を残します。

きっとそれは、それらがぼくらがもう見ることができなくなった「かつて」の光景だからなのでしょう。今は開発が進み、もうなくなってしまったであろう風景をこの映画はまるで真空パックのように当時の空気感ごと閉じ込めているように思います。実際、ぼくもシーズン後半になって作中の時間が現代に近づき、自分の少年時代の頃の風景や日常(例えばコーラの自動販売機とかアイスクリームとかバスのデザインとか)が出てきたりすると、不思議ななつかしさを憶え、何とも言えない気持ちになります。

今ではもうこういう作品を再び作るのは不可能でしょうし、役者さんも風景も今の日本からは姿を消してしまいましたが、『寅さん』は今後も日本映画史に燦然と輝き続けるでしょうね。ぼくも今はちょっと忙しいですが、時間ができたらまた寅さんを第一作からゆっくりと見てみたいですね!

ネット 

2016, 11. 09 (Wed) 00:30


ht.jpg


先日のインターネット回線の不調、調べてみたところモデムの故障によるものでした。長年使い続けていたモデムがとうとう動かなくなったみたいで、NTTに問い合わせて早速新しい物を取り付けてもらったところ、あっという間に復旧しました。あー、よかった!(というか、前よりも体感速度が滅茶苦茶速くなりました)

とまあ、今回のトラブルのおかげで約24時間インターネットから切り離されて生活したわけですが、いざネットが使えない状況に陥ってみると、普段自分がどれだけネットに依存しているか身にしみて実感しますね。ふだんのニュースを見るのはもちろん、調べ物ひとつするのでもネットに頼っていたんだなとつくづく思います。この手の実感は以前はよく海外に行ったときに味わっていましたが、最近はどんなホテルに泊まっても無料のWi-Fiが設置されており、ノートパソコンでもタブレットでも自由に利用できますからネット環境から切り離されるという機会は本当になくなりましたね。だからこそ、たまにこうしたことが起こるとその不自由さ、または普段の日常の便利さを体感するわけですが。

上はネットが繋がらないことに対しての不自由や不都合を述べたものですが、逆に、ネット環境が整っていることによるデメリットもあるようです。それはついネットに気を散らしてしまう、という点です。ぼくも昨日の一日でふだん自分がどれだけネットに気を散らしているかわかりました。うーん、これは本当に気をつけないと。

ぼくはサッカー好きですので、やはりスポーツサイトを閲覧していることが多いですが、ちょっと控えるように心がけないと。でもJリーグは現在オフシーズンですので(まだCSが残っていますが)、選手の移籍情報が毎日のように更新されて、ついつい見ちゃうんですよね。あ、あの選手にこのチームがオファーしてる、とか。あの選手が海外リーグに挑戦、とか。ううむ。悩ましい。

とはいえアメリカではいよいよ大統領選挙の投票が始まりますし、即時性の高いニュースはやはりネットに頼ってしまいますよね。トランプさんとヒラリーさん、いったいどっちが勝つのでしょうか。選挙速報を逐一チェックしたいけど、我慢できるかなあ……というわけで今回は便利だけど依存にも気をつけたいネットについてのお話でした。

機械 

2016, 11. 08 (Tue) 13:30


CD1.jpg


機械はあまり詳しくありません。

あまりと書きましたが、すみません。嘘です。ぜんぜんというべきでした。とにかく配線とかコードとか設定とか、その機器を正常に動かす前段階としてなにか準備が要求される家電製品全般に関しては疎く、強い苦手意識があります。(そもそも、あらゆる機器をひとまとめに「機械」と呼んでいる時点でお察しなのですが)

ストーブや電子レンジやトースターなど、とりあえず買ってきて壁のコンセントに繋いだだけで動くようなものでしたら問題はないのですが、それ以上のものになるともう駄目です。たとえばパソコンやスマホやタブレットなど、ふだん日常的に触れているような製品でも、いったん故障や不具合が起きてしまうとたちまち自分では直せない、使えないといった状況に陥ってしまいます。

こういう人間は得てして説明書をきちんとよく読まないと言われますが、自分を省みても当たっていると思いますね。ですが、こちらにも言い分はあります。(力説)だって、どうせ読んだってわからないんですもの。試しにおそるおそる説明書を開いてみても、意味のわからない専門用語にぶつかった段階で、その先を読み進める気力が失せてしまいます。説明書ってわざと難しく書いてるんじゃないか? と、思わず文句を付けたくなるほど機械に疎い人間にはわかりづらいんですよね。わからない人向けに、もう少し平易に、わかりやすく書いてくれてもいいのになあ。

こんなぼくですが、なんと恐ろしいことに「男である」という一事だけで、我が家においては「機械担当」ということになっています。それにしても、どうして世の女性方は男性はみんな生まれつき機械や配線や設定というものに精通し、それを操るスキルに長けていると思うのでしょうか。理不尽だ!(すみません。思わず心の叫びが)

まあ、最近はインターネットでいろいろ調べられたり、機材の設定そのものが簡易化されていたりと、以前に比べればずいぶん「機械の怖さ」みたいなものも薄れてきてはいるとは思います。もっとも機械が高性能、多機能になったぶん、操作や設定もより複雑になっていたりもするわけですが。

ちなみに、なんで突然こんな話をしはじめたかと言えば、むろん理由なしにこんな話題を持ち出すはずもなく、今現在、我が家においてインターネット回線がまったく接続出来ないという状況に陥っているからであり、その腹いせにこうしてワープロソフトを起動させて文章中でぼやいているわけです。うう。ていうか、ほんとに困ったよー。

このブログが正常にアップされるかどうかで、果たして我が家のインターネット回線の復旧状況がわかるということになりますが、とりあえずこのサスペンスフルな状況をお伝えしつつ、今回は機械音痴による機械への怨念と呪詛のお話でした!

マンション 

2016, 11. 07 (Mon) 00:30


MS.jpg


このところ、家の近くでマンションが続けて建設されています。

近くを通るたびに、まるで生き物のようにその嵩を増していくマンションに思わず立ち止まって空を見上げる毎日ですが、どうも建設中の建物はここだけでないようで、最近そこここで建設中の工事現場をよく見かけます。建築ラッシュなのでしょうか。毎日重機がひっきりなしに賑やかな音を立てています。

ぼくはマンションに住んだ経験が一度もないため、マンションには淡い憧れがあります。眺めが良さそうだし、暖かそうだし、暮らしも便利そうですしね。(場所にもよりますが)特に惹かれるのはその機能性の部分でしょうか。水回りやインフラの部分はやはり一軒家よりも圧倒的に優れていると思います。たまにモデルルームとか行くと、その部分を思わず魅入ってしまいますね。

一方、一軒家にも利点はあります。広いこと、あまり人に気がねしなくてもいいこと、あとはいつでも気軽に外へ出歩きに行けるということでしょうか。特にぼくみたいにあてもなく散歩したり、突然夜中にふらふら出歩いたりする人間にとっては、思い立ったらすぐ外の空気を吸いに行けるという環境はなかなか捨てがたい物があります。でもまあ、それはマンションであっても一階に住めば同じ条件ですしね。

音楽やテレビの音の問題に関してはよくマンションのデメリットとして聞きますが、ぼくはそんなに大音量で音楽を聞いたり、映画を観たりしないですしね。読書はぜんぜん音を立てないし、どちらに住むにしろあまり不都合はなさそうです。

ただ地震があったりすると、やはりマンション暮らしは少しこわい気もしますね。でもこれも最近の高層建築はきわめて厳格な耐震基準を国から要求されているわけで、へたすればむかしの一軒家より遙かに安全かもしれません。ただ地震のエネルギーを逃がすためにわざと揺れるように設計してあるということは聞きますから、乗り物酔いの激しいへたれのぼくにはきついかもしれません。ううむ。残念。

……などなど、マンションについての雑感を長々と書いてきましたが、そもそも何故こんな話を始めたかといえば、今、我が家の家の前には今朝方降った雪がどっさり大量に積もっているからです。あーあ。マンションだったら雪かきをしなくてもいいのになあ……と軽く現実逃避したところで、今回は夢のマンションついてのお話でした。

旅行と寒気と 

2016, 11. 06 (Sun) 00:30


NB.jpg
筆者の脳内イメージ


こちらでは連日厳しい寒さが続いております。

うっかり上着を羽織らないで外に出たりすると、尋常じゃない寒さが衣類の裾や袖の隙間から容赦なく入り込み、身震いするくらいの冷気が全身を包みます。視界は白く染まり、川べりに生えている木の枝も良い感じに雪化粧するようになりました。

ぼくは寒がりですが、機会を設けてはちょくちょく外へ出ます。この季節、外気に触れるとなんとなく頭がすっきりというか、鮮明になった気がするんですよね。もちろんちゃんと防寒着を着ていないと悲惨なことになるわけですが。

もっともぼくにとって「寒さ」とか「防寒着」という言葉で思い出すのはこうした日常風景ではありません。なぜか非日常……それも旅先での体験です。旅行先で寒く辛い思いをした、という記憶や体験はなぜかふんだんに持ちあわせております。その理由は様々にありますが、もっとも大きな理由はぼくがばかで学習しないからでしょう。

人間、不思議なもので、旅先が日本列島より南の位置にある国や地域だと気温は温かいと思ってしまう傾向があるようです。いや、それは間違いではないのです。ですがやはり衣類に関してはその時期の四季にちなんだものをちゃんと用意していくべきでしょう。ぼくはこれでいつも失敗しているわけですが、みなさんもひょっとしたら経験がおありなのではないでしょうか? 「ハワイ」とか「沖縄」とか素敵な地名と南国テイスト溢れるコピーや惹句にだまされてTシャツやハーフパンツばかりをトランクに詰めこみ、現地に降り立ってからその寒々とした天候に後悔したという経験が。(ぼくだけかなあ)

ぼくだって一応その月の平均気温などは調べていくのですが、現地の空港に降り立った途端、「……あれ?」と思わず軽いスーツケースの中身を思い浮かべ、暗澹たる思いに駆られるということを繰り返しています。最近また失敗したのは一昨年行った台湾でした。その数年前に観光で行き、そのときは結構暖かかった印象があったので思い切って薄着で行ったのですが、これが大失敗。台湾の最南端にある鵝鑾鼻(がらんび)岬という場所まではるばるバスで行き、吹きさらしの風を全身に浴びつつ、砕け散る太平洋の波濤を前に歯を鳴らしてがたがた震えるという大変貴重な体験をして参りました。
ていうか、いい加減学習しろよ、俺!

まあ最近はさすがに懲りたのか、旅先でそこまで寒い思いをするということはなくなりました。あったかい下着やシャツ、そして上着なんかもきちんと用意しておくという基本に立ち返ったためです。(最初からしておけよ、という話ですが)アウトドアメーカーの衣類を一枚持っていくと重宝しますよね。モンベルとかマムートとか。

今後も寒い日が続きますが、外出するときはしっかりと厚着をしていきたいと思います! というわけで、これからマフラーをして缶コーヒーを買いに行く清野でした。

Jリーグ日程終了 

2016, 11. 05 (Sat) 00:30


CD.jpg


先日、J1リーグの日程が終了しました。

まだチャンピオンシップは残っていますが、リーグ戦に関してはほぼ全日程が終了したと言ってもいいのではないでしょうか。セカンドステージ優勝と年間勝率の一位は浦和レッズ、逆に降格チームの中にはなんと名古屋グランパスの名が。あのピクシーも在籍していた、オリジナル10と呼ばれる名門がまた一つJ2に落ちてしまいました。

ぼくもまさかという思いですが、でも考えてみると、開幕当初から心のどこかではひょっとしたら……という気持ちはあったように思います。シーズン前からフロントがどこかぎくしゃくしているような感じでしたし、傍から見ていても、あまりうまくいっている感じはしていませんでした。月並みな言い方ですが、やっぱり「チーム力」というのはフロント、選手、スタッフ、それからサポーターの総合力だとつくづく思いますね。それにしても……うーん。やっぱり降格制度っていうのは厳しいですね。

選手はやはり流出してしまうのでしょうか。ガンバや広島のようにたとえ降格しても主力の流出が避けられれば、いまだかなりの戦力だと思うのですが。(というか、そもそも落ちるような選手層とも思えないのですが)でも、永井選手とか他チームからも人気がありそうですしね。

ともあれ今後はチャンピオンシップの準決勝と決勝を残すだけ。川崎フロンターレ、鹿島アントラーズ、浦和レッズの対決です。でも、(多くのファンの方もきっとそうだと思いますが、)ぼくもこの2ステージ制というものがだいっきらいです。

Jリーグが開幕した直後、サッカーに馴染みの薄い観客の関心を掴まなければならなかった初めの数年間は別ですが、こうして1シーズン制が完全に定着したあと、わざわざ2ステージ制に戻す必要があるのかその意味がわかりません。まあ諸事情がある事はだいたい想像がつきますが、来シーズンからは1シーズン通して年間勝ち点と順位を競い合うという、この最もフェアで合理的なシステムに再び戻ると言うことで本当によかったと思いますね。

J2に関してはコンサドーレ札幌が頑張っています。このままの勢いで、なんとか自動昇格、そして優勝を達成して欲しいです。コンサドーレはここ数年、チームとしての土台というか、クラブの基礎体力のようなものがついてきた実感があるので、なんとかJ1でがんばっている姿を見たいですね!

もうすぐ代表戦もありますし、このところ急に気温が冷え込んできましたが(雪は溶けちゃったけど)、サッカーに関してだけは目一杯熱くなって応援したいと思います!

初雪 

2016, 11. 04 (Fri) 00:30


sn.jpg


今朝、起きてブラインドを開けてみると、空からちらちらと(というほど繊細な量ではありませんでしたが)白いものが落ちてきました。

「あれ?」と寝ぼけ眼をこすってみましたが、見間違いではありません。このところ冷え込みが尋常ではなかったので、そろそろかなとは思っていたのですが、そうです。とうとう初雪が降ってきたのです。果たしてこれが根雪になるかどうかはまだわかりませんが、いずれにせよこの地に本格的に冬が到来してきたことはまちがいなさそうです。

もっとも毎年のことですから日々の生活のリズムやテンションは何も変わりません。ご家庭によっては車のタイヤを取り替えたり、暖房用の灯油を用意されたりといった作業はあるかと思いますが、それもこれも例年のことですしね。粛々と、というのは妙な表現ですが、淡々とした感じで毎日の暮らしは過ぎていきます。

一方、子どもたちはと言えばこれは大喜びです。ぼくは物書き、あるいはライトノベル作家としてデビューするはるか以前から長年子どもたちに携わる仕事に就いていますが、いまだかつて雪が降ってがっかりする子どもというのは見たことがないです。むろん、その理由は外で雪遊びが出来るからで、「また雪かきの季節かあ」といささかげんなりする大人たちをよそに小躍りしてよろこびます。まあ、自分の子供の頃の記憶や体験を手繰ってみても雪がちらつき出す季節はなぜか意味も無くわくわくしましたしね。(まあ、それでかまくらだ雪合戦だそり滑りだ、と外遊びに駆り出されるわけですが)

ただ、それもこれもしっとりと根雪が積もってからの話で、ウィンタースポーツの数々を楽しむのはもうちょっと先の話になりそうです。というか、実はここからが長くて降ったり止んだりという中途半端な時期がしばらくは続くんですよね。(一度積もっちゃった方がかえって寒くないというか、気温が安定するんだけどなあ)いずれにせよ、外出するときは引き続き防寒具でしっかり身を固め、暖かくして出歩くことになりそうです。

みなさんも風邪を引かれないように気をつけましょう! ということで初雪の降る初冬の一日でした。(と、ここまで書いて外を見てみたら完全に雪が溶けていた……)

増えゆくDVD 

2016, 11. 03 (Thu) 00:30


PE1.jpg


最近めっきり忙しくなり、映画が見られなくなってしまいました。

少し前まではそれでも時間に合間を見つけて観るようにしていたのですが、このところそれもままならなくなり、観たい映画が溜まる一方です。DVDの方も順調に未見の作品が増え続け、積んでいる山はその嵩を増してえらいことになっています。

Amazonはたしかに便利なのですが、一旦商品を注文した後、届くまでには(当たり前ですが)時間的なラグがあります。そのため、ボタンをクリックしたときには確かにあった、自分の中のその映画が旬な時期が届いたときにはすでになくなってしまっているということがたびたび起こります。これは配送時間も絡んでくるのでやむを得ないことなのですが、多少テンションが落ちてしまう点は否めません。

中には注文して届いたのはいいものの、なぜ自分がこれを注文したのかよくわからない作品があったり。いや、正確には一応はわかるのです。たとえば今ぼくの手元には『J・エドガー』『パブリック・エネミー』『欲望という名の電車』があるのですが、この三本はこのブログでもたびたび触れている『ザ・フィフティーズ』という本を読んでいる際、注文した物です。おそらくFBIの長官のJ・エドガー・フーバーの暗躍の下りやデリンジャー事件との関連、あるいは当時の新進スター、マーロン・ブランドのエピソードなどを読んでいるうちに、その時代の雰囲気や空気感を「映画で」体感したくなったのでしょう。ぼくには読書中そういうことがよくあり、これで泥沼にはまっていく訳です。(というか、全部一度観ている作品なんですけどね)

同様にその横にある『悪魔の手鞠歌』『病院坂の首縊りの家』『細雪』『吉原炎上』、このあたりはたぶん春日太一さんの映画の本を読んでいる内に強烈に観たくなり、注文した奴でしょう。(……しかし、濃いなあ)

一方、いくら考えてもさっぱり思い出せないものもあります。『スリーメン&ベイビー』『ゾンビハイスクール』『呪われたジェシカ』『アンツィオ大作戦』とかは、当時のなんで自分がこれをクリックしたのか、いっこうに思い出せません。手元にあるからには、ぼくが注文したことに間違いはないのですが。あ、『アンツィオ大作戦』は思い出しました。ガルパンの劇場版を観て猛烈に観たくなったんでした。

でもやっぱり、少々無理をしても映画は観る機会を設けた方がいいですね。たとえそれが一篇の作品を何度に分けるような見方であっても。へんな話、ぼくはある一本の映画を二十回にわけて見たことがあります。それでもぼくはこの映画を見た、と自信を持って言えます。

内容を忘れてるんじゃないかとか、そんな細切れに見て本当に映画を見たと言えるのか、という声があるのはごもっともですが、でもそれを言い出したらこの時代、映画なんて一本も観られませんからね。途中で止めてしまうより、あるいはどうせ一気に見ることが出来ないから……と最初からその映画を見るのを断念してしまうよりは、ぼくはたとえ細切れであってもその映画を観るという体験を優先した方が良い―――そんな風に思っています。

今や映画を観ようと思えばスマホやタブレットの画面でも観られてしまう時代ですしね。ぼくも忙しさを言い訳にしていないでもっと映画を観なくっちゃ駄目ですね! ……というわけで、今観ているのはなぜかチャップリンの『モダン・タイムス』。何度も見た大好きな映画です。だから未見の作品を見ろよ、と自分でつっこみつつ、今回は溜まりゆくDVDのお話でした。

餃子の王将 

2016, 11. 02 (Wed) 00:30


GO2.jpg


先日、表の通りを歩いていると鼻先にぷーんといい匂いが漂ってきました。なんだろうと思い、車道の向こうを見てみるとなんと『餃子の王将』があるではありませんか。あ、あの餃子の王将だと思った瞬間、急にお腹がすいてきて中に入ってみたくなりました。

ご存じのように餃子の王将は北海道にはお店はありません。テレビなんかではよく聞くお店ですし、安くて美味しいというお話なので、常々一度行ってみたいものだと思っていましたが、なんとこんなところにあるとは! と、わくわくわしながらお店に入ってみると、なんだかすごい混み具合です。ちょうどお昼時だったせいか、お客さんの行列が出来ており、見ると待合も待っている人でいっぱいです。ううん。残念。

結局、その日は食べるのを断念し、すごすごと帰ってきました。(こういうときって、なんかへこみますよね)その数日後、その近くに所用があるのを思い出し、よーし今度こそ、とその日一日の仕事のノルマを必死に机にむかって終わらせ、お腹いっぱいになっても大丈夫な状態にして、いざお出かけ。つうかお前どんだけ餃子食べたいんだよ、というツッコミはもっともながら、なにせこっちは関西にお住まいの方は全員面白いことが言える人間ばかりと信じ切っているような道民です。関西の餃子なんだから美味しいに決まっている、と自分の中の期待値をいっぱいにしてわくわくしながら再び『餃子の王将』に行くと、今日はお店は空いています。やったあ!

「ううむ、ここが『餃子の王将』かあ」と店内を眺め渡しつつ、数ある美味しそうなメニューの中からドキドキしながら「餃子定食」というのをひとつ注文します。待つこと数分。「お待たせしましたー」と店員のおねーさんが定食を運んできます。いよいよ餃子と対面の時……と思ったら量が多い!

結局、満腹になってお店をあとにしました。味? もちろんすっごく美味しかったです。ぼくはお昼は食べないか、近くで済ませてしまうことが多いですが、『王将』さんは機会があればまたぜひ行きたいですね。特に最近は少し食が細くなってしまっていますから、餃子をたくさん食べて、がっつりパワーをつけたいです。(書くには体力がないと)脚もよくなってきたことですし。

ただひとつ不思議なのは、なんであのお店はお水を飲むコップがあんなに小さいんでしょうね? ともあれ、人生初の経験をして大満足の11月最初の秋の一日でした! 

クリスマスの飾り付け 

2016, 11. 01 (Tue) 00:30


C.jpg


少し気が早いですが、我が家ではクリスマスの飾りつけをはじめました。

ハロウィンも無事終わり、晴れて十一月に突入したためで、オーナメントやツリーや電飾、サンタの格好をした動物の人形など、一年もの間、倉庫や物置でじっと日の当たる機会を待っていたクリスマス製品の数々を引っ張り出してきて部屋のあちこちに飾ったほか、家の外にもイルミネーションを取り付けました。夜になるのを待って早速灯りをつけてみましたが、やはり綺麗ですね。ああいう光を見ているとなにやらわくわくします。小学生気分にもどるというか。

正直、ハロウィンの前から飾り付けをしたかったのですが、いくらなんでもハロウィン前にクリスマス用品を飾っては、家を訪ねてきたちっこいお化けや魔女がびっくりするだろうということで我慢しました。(「あれ、来る日遅かったっけ?」みたいなことになったらかわいそうですもんね。)が、彼らに無事お菓子を配り終えた今、これでもうだれに気兼ねする必要はありません。(もっとも、古代ケルト民族のお祭りにどれほど日本のカレンダーを適合させる必要があるのかという疑問はありますが)まあ、なにか四季イベントがあるにつけ家の中や周りを飾り付けるのは、ひとつには我が家には普段から子どもたちがたくさん集まるという事情もありますけれど。

もっとも気の早いのはぼくだけではないようで、近くのスーパーなどに行きますと、どこも必ずクリスマスツリーやオーナメントの飾りつけがあり、その一画だけなにやら時を先取りしたような華やかな雰囲気を湛えています。小さい子なんかは食い入るように眺めていて、買い物籠を提げたお母さんに腕を引っ張られたりしているのがほほえましいですね。

そう言えば子供の頃、この時期オモチャ屋さんに行ったりするのが楽しみだったな……と思ったところで、ふと街から玩具店と呼ばれるお店が姿を消しつつある今、最近のお子さんはどのように欲しいプレゼントを決めているのか不思議に思ったり。お父さんに連れられてトイザラスやヨドバシカメラなどに直接行っているのか、あるいは案外、新聞のチラシのかわりにスマホの広告アプリで欲しいおもちゃを決めていたりしているのかもしれません。まあもっとも、ぼくが個人的に知るお子さんたちを見る限り、彼らの欲しいものは以前とそれほど変わっている感じはしませんけどね。(妖怪ウォッチはやはり強いですね)

サンタさんを招聘するにはいささか気が早かったような気もしますが、まあ北国は冬は早いので、とりあえずいいことにします! ……というわけで、初雪の降る前、クリスマスの飾りつけをした一日でした。