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『ミクと時のひなた』 舞台探訪 その6 

2018, 05. 31 (Thu) 22:25



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―――札幌市資料館(旧札幌控訴院)


舞台探訪、その6は札幌控訴院です。現在は札幌資料館として使われており、煉瓦造りの往時の姿をとどめています。建築は1926年。外観も内装も立派で、瀟洒で端正な大正モダニズムの香りが漂う重厚な建物です。

現実世界で再会したひなたと探偵が、ひなたの父・御形陽介の過去を紐解いていく際にふたりが語り合う場所・・・いわば推理小説で言う「種明かしの舞台」として、どこかよい場所はないか、と考えたとき、この場所が思い浮かびました。やっぱり物語の締めですし、印象的な舞台を用意してあげたいですしね。位置的には大通公園の端にあり、(反対の位置にテレビ塔がある)正面に立つとちょうど札幌の街の中心部を眺めることができます。

じつはこの場所、子どもの頃に一度見学に訪れて以来、ずっと忘れていた建物だったのですが、数年前、ネット上のとある記事でこの地を思い出すことになりました。それは能年玲奈さんことのんさんが、なにかのお仕事で札幌を訪れたときのもので、いくつかある訪問先を訪ねた撮影ショットの中に、この札幌控訴院で撮影されたお写真があったんですよね。確か、回り階段とステンドグラスを背景にしたお写真だったはずですが、それがとても綺麗で、そのときふっと懐かしい記憶が蘇ったというわけです。

記事を見つけました。こちらです。
https://colocal.jp/topics/art-design-architecture/siaftrip/20170703_98962.html



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控訴院というのは高等裁判所のことで、中に足を踏み入れるといかにも法を司る施設らしく、様々な機能が集約された建物となっています。正面玄関の上部には、目隠しをしたギリシャ神話の法の女神・テミス像がありますが、これは公平で厳正な裁判の精神と法の下での平等を示しているそうです。


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現在は資料館となっていますので、展示室や休憩所、喫茶スペースなど施設利用者・見学者に配慮された造りになっていますが、廊下や天井などはその当時のままで、いわゆる明治・大正の頃に造られた西洋建築物に目がないぼくみたいな人間にとっては、(特に二階)まさに眺めているだけで至福の空間となっています。


館内にいる職員の方に聞いたところでは当時政府は財政難で、予算緊縮からこれでも当初の建築案よりはずいぶん室内装飾をシンプルにせざるを得なかったということですが、それでも官製の建造物特有のどっしりした重厚さと、大正期の当時最先端のどこか柔らかなデザイン性が合わさって、建物全体に不思議な「居心地の良さ」が醸し出されている感じがします。ぼくが話をしたのはもう年配の学芸員のおじいさんでしたが、この控訴院の重要な建材のひとつである軟石について、熱く語ってくれました。ぼくとしては小説の書く際の資料というか、このシーンを描くときの大まかな雰囲気さえつかめればいいわけで、それ以上のまとまった知識は必要なわけではなかったのですが、そんなことは言い出せないほどこの方は熱心に札幌の歴史や戦時の状況について自分の体験も交えて語ってくれました。このところこうした年齢の方と話す機会が多く、いろいろ面白いお話を伺えるのでほんとうに楽しいですね。まさに言葉全体が宝の山、というか。



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結果的にこのシーンは、作品的にもとてもエモーショナルな一幕というか、ひなたが自分の抱いていた想いをいっぱいに解放させる良い場面になったかと思います。これも事前に取材に行き、この場所や土地に対してしみじみとした実感を持つことができたからかなあ、と今となっては思っています。繁華街から足を伸ばすにはちょっと距離のある場所ですが、もし機会があれば是非この札幌控訴院を訪ね、大正時代の豊かな雰囲気を感じてみてください。




『ミク時』と食べ物 

2018, 05. 09 (Wed) 22:30


『ミクと時のひなた』、いつもご覧いただいてありがとうございます。今作はぼく自身、はじめての「ウェブ上での連載」という形式であり、当初はどうなることかと気をもんでおりましたが、実際に始めてみると予想した以上に楽しんでいる自分がいます。うーむ。こんなことならもっと早くからやっていればよかった。

物語の方は佳境に入り、主人公のひなた前にずっと探し求めていた父親が現れます。これから終盤に向けさらに一山ふた山、大きな展開が続きますけれど、この稿では少し目先を変えて、この『ミク時』世界内で描かれる「食べ物」について述べたいと思います。この作品の中には(主にひなたのタイムスリップ先の過去で)いくつかの食べ物や飲み物が商品名と共に登場しますが、これはみな実際にある商品です。そのすべてがいわゆるご当地産、「北海道限定商品」であり、われわれ北海道民にとってはおなじみのもので、ぼくも日頃食したことがあるものばかりですが、他県にお住まいの方にはわからないものもあるかと思いますので、かんたんに紹介させていただきたいと思います。


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まずリボンナポリンです。

1980年のひなたが探偵と一緒に父の調査にむかうため、迎えに行った先の喫茶店で探偵・黛がスパゲティといっしょにナポリン飲んでいる描写があります。この探偵、察するにどうやら甘党のようで、実際に描くかどうかは別として、書いていて妙にこの手のシーンを思いつくことが多かったですね。こういうときは流れに任せてさっさと書いてしまうのが正解で、それが後になって思わぬ形でキャラクターに彩りや膨らみをもたらすことになったりします。

さてリボンナポリンですが、これはサッポロビールの製品で、「リボンシトロン」の姉妹品となります。調べてみると北海道では1911年から販売されているそうで、第一次世界大戦よりも以前から作られていると考えると目茶苦茶歴史がありますね。子どもの頃はよく飲んだ記憶がありますが、最近はあまり見かけません。中身はふつうのサイダーですが、ほんのり甘く味がついていて飲むと友達と放課後駆け回って遊んでいた少年時代がなつかしく蘇ります。

今年の2月、大通りの札幌雪まつりにいったとき、リボンちゃんの雪像があってそのかわいらしさに思わず写真を撮ってしまいましたが、そのときの記憶が残っていたのかもしれません。記憶つながりで言うと小学生の頃、学校の社会科見学でビール工場へ見学に行って、そのときジュースを飲ませてもらってすごく嬉しかったこともおぼえていますね。なにしろ子ども時分ですから、なんでも美味しく感じたなあ。

今では炭酸飲料自体をあまり飲まなくなってしまったので子どもの頃に比べて飲む機会はなくなってしまいましたが、それでもたまにコンビニの棚に並んでいるのを見かけるとノスタルジーにかられてしまいます。これからも身近にあって欲しい、リボンナポリンはそんな飲み物ですね。


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それにたいしてカツゲンはどこのお店でもよく見かけます。製造元は雪印メグミルクで、これまた北海道限定で販売している乳酸菌飲料です。地元の人間にとってはおなじみの飲み物ですね。作中ではひなたと探偵が車内で張り込みをしているときに、ひなたがカステラと一緒に買ってきてと頼むシーンで登場します。

味は・・・「ビックル」とかに近いかな。おなかに優しい感じの飲み物です。ぼくの子どもの頃は銭湯の冷蔵庫にコーヒー牛乳なんかといっしょにおいてあって、お風呂上がりによく飲んだ記憶がありますね。製品名の「カツゲン」にちなんでか、験担ぎに受験シーズンの受験生によく飲まれるという噂を聞いたことがあります。(「キットカット」と同じような感じでしょうか)


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ビタミンカステーラはかつて商店の棚によく置いてあった品です。そういやばあちゃんちにも置いてあったなあ。高橋製菓が作っているカステラで、子どもの頃は気づきませんでしたが、これも地元北海道産の製品だったのですね(旭川)。中身は正直普通のカステラですが、ぼくら子どもにとってはついつい手に取ってしまうような身近な食べ物でした。そのあと成長してからも時々食べていて、二十歳ぐらいの時、上述のカツゲンとこのミルクカステーラをいつもコンビニで買っていたら「いつも同じだね」と友達に笑われたことがあります。ぼくはどうもそういうところがあるらしく、打ち合わせに角川のビルに行くたびに「おーい、お茶」の500㎖のペットボトルを出していたら、そのいつも寸分違わぬ行動を当時の担当さんに笑われてしまったことがあります。




地元を舞台にした物語を書こうと決めたとき、せっかくだから地元民ならではのディテールやエピソード、土地勘がある者ならではの細やかな世界を描いてみようと考えました。特に本作は「タイムスリップもの」ということもあって、過去の札幌の街の細部や情報については事前にずいぶん調べました。誰にとってもそうかもしれませんが、「地元」というのはそこにいることがあまりに自明なあまり、その居心地の良さに甘えて土地や風土について調べたり考えたりすることをつい怠りがちになるものですが、ぼくにとってもこの物語に当たって自分の暮らすこの街を改めて見つめ直すことはよい契機となったように思います。

実際、子どもの頃の記憶を当たったり、昔の文献を当たったり渉猟したりすることはたのしく、書いている間中わくわくしながら机に向かうことが出来ました。それに対して、こうした地元の食べ物を作中に出す行為は、どちらかと言えば「余暇」というか、創作の上では遊びの部分にあたりますが、そうしたキャラクターの肉付け的な部分を含めても、これらのディテールはぼくにとって作品世界を目の前に現出させる上で大きな力となってくれました。




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ほんとうは道民のソウルフード(?)、「焼きそば弁当」を探偵が食べている場面とかも作中に入れ込んでみたかったのですが、その間がなく断念したのが心残りといえば心残りですね。いつの日か続きでも書くことがあったら挑戦してみたいですね。




『ミクと時のひなた』 舞台探訪 その5 

2018, 04. 28 (Sat) 20:30

 ―――伊達市開拓記念館


今回の舞台探訪は伊達市の開拓記念館です。作中の舞台となっているわけではありませんが、ひなたの持っている蒔絵の貝殻はこちらで見た貝合わせと貝桶がモデルとなっています。


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この開拓記念館に初めて行ったのはぼくが小学生低学年のときでした。伊達にはぼくの祖母が住んでおり、夏休みや冬休みになると帰省し、そこで過ごすというのが長年の習慣となっていました。ふだん札幌に住むぼくにとって伊達は小さな街であり、子ども心に「なにもないところだなあ」などと思っていました。もっとも緑や自然が多いぶん、遊ぶ場所には事欠かなく、またばあちゃんちはやたら広い上に雑貨屋を営んでいるということもあって居心地が良く(いい子にしているとお菓子が食べ放題だったということもある)なによりばあちゃんのぬくもりに接することがうれしくて、そこを訪ねることをいつも楽しみにしていた記憶があります。


そんな小さな伊達の街にあって、ガキンチョのぼくが好んで訪れた場所が、祖母宅から歩いて数分のところにある伊達市開拓記念館でした。すでに作品内でも書きましたが、伊達市はもともと奥州仙台藩の伊達家がルーツということもあって、この博物館には奥州伝来の伊達家にゆかりのあるたくさんの武具や甲冑、火縄銃などが展示されていました。歴史好きの子どもの目にはそれらはまるで宝物のように見えました。


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もっとも建物自体は緑の敷地の中に建つ無骨なコンクリート製のいかにも素っ気ないこしらえで、それと知らなければそのまま素通りしてしまうようなかなり地味な外観をしています。以前ネット上のどこかで、この博物館のことを「店構えは小さくて汚いが、入ってみると味は特上の寿司屋」という風に例えた紹介の記事を目にしたことがありますが、まさにそんな感じで、建物は古くて暗くてどうひいき目で見てもあまりぱっとしません。ところがいざ一歩館内に足を踏み入れてみると、歴史的・文化的に貴重な文物が無造作にごろごろ展示されており、知る者ぞ知る逸品が直接触れられそうなくらい間近で眺めることができるまさに「穴場」と呼ぶにふさわしい記念館でした。


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ふさふさの前立て



展示物の中でも有名なのはやはり伊達成実着用の甲冑でしょう。伊達政宗の家臣、伊達成実は片倉小十郎景綱と並んで伊達政宗の創業を支えた両翼として知られています。知恵者で参謀役の景綱に対し成実は猛将として有名で、そのかぶとにはふさふさした大きな毛虫の前立てがついています。これはよく言われているように毛虫が身体構造的に後ろに下がれない特性を持っていることにちなんで、「戦いで決して退却しない」という意味を持たせているとのこと。まさに戦場を往来した歴戦の武人である成実らしい意匠です。


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こっちはゲームの中の成実さん


実際に間近で見ると胴具足の表面には生々しい弾痕ががっつり残っていたりと、その力感に満ちた造りは一見の価値があります。(もっとも弾痕は戦場でついたものではなく、試射、つまり甲冑の制作時にどれほど防弾耐久力があるか実際に火縄銃で撃ってみた痕であるそうです)


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ちなみにこっちは蒔絵の貝殻です。一枚一枚丁寧に絵が描かれており、大変な作業であることが偲ばれます。輿入れの際の花嫁道具として重用された由緒ある品です。実際に貝に百人一首の歌が記されることはないのですが、インスピレーションの源にさせていただきました。


他にも様々な逸品・珍品がある博物館ですが、ぼくがなぜこうしたことを知っているかというと、ネットで調べたわけではなく、小学生時分、館内にいたおじいさんに展示物についての故事や由来を直接聞く機会があったからです。たぶん地元の名士か誰かだったのでしょう、当時すでに初老だったおじいさんから聴くお話はどれも面白く、ぼくら小学生はわくわくしながらその語りに耳を澄ませていました。その記憶が長い年月を経た今でも残っており、今回この作品を書くときに大きな力となってくれました。



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この作品を書くに際し、これら文物を眺めたくなり、昨年ぼくは久しぶりにこの博物館を訪ねました。建物は以前のままで、入場料を払って入った内部もさほど変化した様子はありません。ただ展示物を説明をしてくださる方は年配のおじいさんではなく、すでに若い女性の館員の方に変わっているのが印象的でした。時はやはり流れているのだな……と、先年祖母の葬儀を終えたばかりのぼくは改めて感じ入りました。帰り道、同じ敷地内にある迎賓館の変わらぬ朱の屋根と、その地に落ちた影の端で空を差して伸びる松の木の枝振りに、ふと少年時代の面影を見た想いがしました。



※その後、開拓記念館は平成29年11月に閉館したとのこと。展示物は新たに総合文化館として近年リニューアルオープンするそうです。開館したら是非行ってみたいですね。



物語と地震のこと 

2018, 04. 19 (Thu) 20:30



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この作品は地震から物語がはじまります。地震はとても怖いものであると同時に、ぼくら日本人にとってはいつ我が身に降りかかってもおかしくない災難として、常に身近な存在であり続けてきました。そんな地震に対する思いとこの作品が描かれるようになった経緯を、この稿ではかんたんに述べていきたいと思います。

あれはいつだったか。地元の町内会で、「有事の際の避難態勢の確認のための集会」という、やたら長い名の会合の案内が回覧板で回ってきたことがありました。

その日ぼくは子どもたちにお勉強を教えていたのですが、なんとか時間に都合をつけて抜けだし、小走りで会場にむかいました。正直、「めんどうだなあ」という思いを抱きつつたどり着いた会場(近所の区民センターですが)ではすでにご近所さんが集まっており、粛々と集会は始まりました。

年配の町内会長さんのあいさつのあと、地域の最寄りの避難所の確認や有事の際の緊急連絡網の整備、要支援者のお年寄りの安全や避難をどう確保するかなどが議題となりました。たぶん、このいささか唐突な「有事の際に備えるための集会」が企画された背景には、その半年ほど前に起こった熊本地震の影響があったのでしょう。九州熊本から遠く離れた北海道の地でも、地震は決して人ごとではないという思いはぼくらの中にありましたし、そうした危機感を共有する意味あいにおいても、この集まりに対する意識はみなさん高かったように思います。

集会はほどなく終わりましたが、この集まりに参加したことはぼくにとっても震災―――さらにそれにともなう避難や厄災後の日常―――についてあらためて考える契機となりました。ぼく自身、小さいお子さんをたくさんお預かりする立場ですし、災害時における避難や対応は人ごとではありません。「有事のことを、もっと真剣に考えないとな」という思いを強くしたぼくは、地元の区役所に行き、札幌市全域のハザードマップをもらうと、それを広げて暇さえあれば眺めていました。


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ご存じの方もおられると思いますが「ハザードマップ」とは、もし地震が起こった場合の避難所や避難先が記されているほか、その地区はどれぐらいダメージを受けるか、地図全体がドットによって細かく色分けされ、その色の濃淡によって地域の被害の軽重がわかるようになっているものです。これがけっこう面白いのです。いや、面白いと言っては語弊があるのですが、万一、大震災が起こった場合の街の様子や被害状況をありありと脳内でイメージできるように作られており、見ていて飽きません。なにより、これを眺めているだけで自然と防災意識がわいてくるから不思議です。おそらく市や自治体もそういう企図の下、作成しているのでしょう。

この辺の経緯は以前ブログに書いたことがあるのですが、このハザードマップを手に入れたことで、ぼくは地震についてさまざまに想像を巡らせるようになりました。もしこの街で、大地震が起こったらどうしよう? どこへ逃げる? 小さな子どもたちを連れて、親や家族や身内を連れて、いざ実際にそういう目に遭ったとき、一体自分はどうするだろう……? いざ助かったとして、その後自分はどうやって暮らすのだろう。家は? 住まいは? 仕事は? 地図の上で、想像は際限もなく広がっていきます。

震災というのはべつに一瞬で終わるわけではなく、その後に延々と続く日常こそがどうやらその本質らしい―――。半年前の熊本地震、さらにそれ以前からこの国で繰り返し報道されてきた避難所など被災地の様子によって気づかされた現実に思いをはせつつ、ぼくは妄想を続けました。もし札幌近郊で震度七の地震が起こったら我が家は持ちこたえられるかな? 地盤は結構緩いっぽいし、冬だと洒落にならないな。まじで凍死するかも。てか、保存食の賞味期限って切れてないっけ。モンベルの寝袋、たしか押し入れにあったよな……。


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地元の区役所の総務企画課にもらった一枚のハザードマップから始まった妄想の種は大きく膨らみ、気がつけばぼくの中ですでにこの物語は始まっていました。主人公は札幌に住む13歳の女の子にしよう。女の子にはおばあちゃんがいて、数年前に夭折した父がいる。父は作家で、この子は父と十分に会話することなく死別することになった過去の自分を残念に思っている。そこへ地震が起きて、過去へ飛んだ彼女は若き日の肉親たちと再会する……。

つい先日祖母の死を経験し、なにやらぽかんとしていたぼくの胸にこの物語はすんなりと染みこみました。なにより、なんら特殊な能力をを持たないふつうの女の子が、悪戦苦闘しながら哀しみと苦難を乗り越えていくという筋立てがぼくは気に入りました。そしてそこまで考えたとき、そのストーリーの根っこに「震災」があることは、もはや自分の中で揺らぐことのない必然となっていました。

むろん先の稿でも書きましたが、震災というこの重いテーマを書くに際してはぼくの中にも葛藤がありました。けっして興味本位で書くわけではない。でもこのテーマに正面から取り組み、書き切るだけの力量や文章スタミナが今のぼくにあるだろうか。失敗して無残なことにならないだろうか。地震や震災というものが、少しも劇的でないことはわかっていました。でもそこからこぼれ落ちていく膨大なものを、自分の筆は果たして拾い上げることができるだろうか……?

結局、ともすれば怯みそうになるそうした気持ちを抱いたまま、ぼくは少しずつ物語を書きはじめました。別に自信があったわけではありません。自分はなにか回答めいた結論にたどり着くことはないだろう。でも実際にそれを体験するこのひなたという女の子のまなざしに寄り添うことで、ともに悩んだり悲しんだりすることはできるだろう―――そんな風に考えたのです。ただひたすら一人称の持つ力を信じて文字と言葉を煉瓦のように積み上げていくこと。そのことのみを念じて書き出した物語は一年後、結末を迎えました。


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物語の冒頭、ひなたは震災に見舞われ、悲しみとともに世にも不思議な体験をします。そして、その後のさまざまな変遷を彼女とともにくぐり抜けていく都度、ぼくは何度も「なるほど、これが一人称の力か」と、あらためて物語があたかもひとりでに紡がれていくような自同律を噛みしめることになりました。ぼくのこれまでのキャラクターにしては珍しく、この子はほんとうによく泣く子で(まあ、それだけつらい目に遭ったのだからとうぜんですが)、困難に出会うたびに泣きっ面で棒立ちになります。でもそれは、いざほんとうに災難や不幸に直面したときのぼくらの真の姿なのではないだろうか・・・。

いまなお被災地には苦しんでおられる方たちがいらっしゃいますし、その意味でじっさいにそこに起こった事実は少しも風化しておりません。そんなことを思うにつれ、あらためてこの国を襲った災害の大きさを思い、同時に自分の中で捉えなおす一年となりました。

この物語に挑戦することができて、そして彼女に寄り添うことができて、ほんとうによかったと思っております。





『ミクとき』の登場人物たち その3 

2018, 04. 12 (Thu) 19:30


―――久我家の人々(祖父・祖母・叔父・叔母)


この稿では主人公であるひなたの家族について語っていきたいと思います。家族と言っても、物語が始まった時点ですでに彼女の父は亡く、母もまたすぐに死ぬことになる(少なくとも通常の時間軸の中では)ので、実質的にひなたは両親不在の状況に置かれます。これは児童文学(特にイギリスの)の世界では定型と言いますか、たびたび見られるシチュエーションであり、主人公が十全にその役割を果たすための、いわば舞台装置となります。両親が健在で、主人公が何不自由ない生活を送っているのなら、彼や彼女が旅立ったり、自ら物語を作り出していく余地や必然性がありませんものね。この作品においてもひなたは計らずして天涯孤独の身となり、見覚えのない世界にたったひとり放り出されることになります。

そこで登場するのが、久我家の面々です。「久我」はひなたの母親の旧姓ですね。この表札の掲げられた我が家を彼女は発見することになるわけですが、なにしろ四半世紀以上も前の世界ですので、自身の記憶と実際に目の前にいる若き日の肉親たちの姿の差に彼女は面食らうことになります。このへんの現実の光景と己の記憶を照らし合わせる際のギャップの面白さは「タイムスリップもの」の醍醐味であり、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』をはじめとしてわくわくする場面の一つですね。(ぼくも大好きな映画です)

ではこうして登場した彼らの人物像はといえば、これは大半、というかほとんどすべてが架空のものであり、あくまでフィクション上のキャラクターと言うことになります。以前お断りしたように、この作品はぼくの体験から引っ張ってきた……というか、根っこになって描かれた部分が多い作品ですが、身内のキャラクター像―――とくに過去(1980年)の部分はすべてフィクションと言っていいかと思います。べつに意図したわけではないのですが、書いているうちに自然とそうなっていきました。

ひなたのおじいちゃんに関しては人柄のいい、優しい人物をイメージしました。ぼくは祖父の記憶がほとんどないので、逆に描きやすかったですね。むしろぼくの中には少年期に読んだお話に出てくる、いわゆる「面白いおじいちゃん」―――いろんなことを知っていて、経験値と世間知に溢れ、優しくて、寛大で、両親のそれとはひと味違う不思議な世界を孫に垣間見せてくれる水先案内人のようなイメージ―――が創作の土壌にあるような気がします。「こんなじいちゃんがいたらいいなあ」という。憧れですね、一種の。リンネに出てくる久高のじいちゃんもこの延長にある人物のような気がします。

一方、ひなたの祖母に関してはわりと複雑な内面を持つ人物として登場します。これはやはりぼくのプライベートが影響していると思います。作中に登場する四人の家族の中ではもっとも実在の人物に近いキャラクター、というかぼくの記憶の陰影の濃い存在ですね。もっとも物語世界の自同律といいますか、書いているうちにキャラクター自身がどんどん実在感を持ち始め、最後にはきちんとした物語世界に独立するキャラクターとなってくれましたが。「若い頃の祖母を書く」なんていう贅沢はこの先一生なさそうなので、その意味ではいい経験が出来たと思います。

叔父と叔母は年若いひなたをさりげなく支えるような役回りですね。若いと言ってもタイムスリップした先の過去においてでさえ二人はひなたより年上なわけで、ひなたはそんな二人の姿から一家のあり方や変遷を絶えず遡行していくことになります。この過去の風景にくるまれる中、不断に時間を遡行し、やがて現代へと辿り着いていく感覚が、書いていてとても楽しかったですね。

ちなみにこの節子おばさん……節子おねえちゃんはわりとお気に入りのキャラクターで、書いているうちにどんどん筆が乗っていったのを憶えています。こういう非の打ち所のない優等生キャラっていいですよね。ただ唯一困ったのが80年代ファッションですが、彼女をストイックなキャラクターにすることで、なんとかその辺は凌ぎきることにしました。

生死不明の母の幼き姿を含め、過去で目撃するかつての幸せな一家の肖像は、ひなたにある決断を下させます。彼女がどうやって時間を改変させ、未来を変えようとするのか、その顛末を見守っていただければ幸いです。