缶コーヒー断ち 

2017, 08. 19 (Sat) 00:30


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缶コーヒー断ちをしてもうずいぶんたつのですが、この状態にも慣れてきたようです。以前は缶コーヒーが切れようものなら、どんな夜中であってもコンビニまで買いに行ったものですが今はそういうこともぱったりなくなりました。今思うと、あれは単に机の前から離れて外の空気を吸うための言い訳だったのではないかとという気がします。煙草もそうですが、机の前から常に離れる理由を探しているのが物書きという生き物ですから。

さてでは缶コーヒーを止めて何か良いことがあったのかと言えば、あまり見当たらない・・・というのが正直なところのようです。むろん長い目で見たら健康には良いでしょうし、糖分も控えられて結構だとは思うのですが。カフェイン欠乏症に関しては、通常の煎れて飲むコーヒーの消費量を増えたことで相殺されている感じですが、うーむ。これって結局、いいことなんだろうか・・・。

とりあえず、朝、起き抜けに煎れて飲む最初のコーヒーは最高です。(煎れたまますっかり忘れ、煮詰めてしまうのはいまだに時々やりますが。)

涼しくなってきた 

2017, 08. 18 (Fri) 00:30

疲労が溜まっていたのか、軽く昼寝するつもりが気づくと夜でした。それにしてもずいぶん涼しくなりましたね。お盆を過ぎたあたりから急に気温が下がったような印象があります。これまでと同じつもりでエアコンを使い、薄着をしているとあっという間に風邪を引きそうです。みなさんも体調の管理にぜひお気をつけて。ぼくも気をつけてがんばります。



荷物 

2017, 08. 17 (Thu) 00:30


インターホンは鳴ったら極力通話口に出るようにしています。当たり前と言えば当たり前なのですが、ぼく宛の荷物の配達である場合が高いからです。以前古いインターホンを使用していた頃は、たとえ呼び鈴があってもリビングの一カ所でしか鳴らないため、ずいぶん宅配業者さんに迷惑をおかけしていましたが、大規模な工事をして、家のどの部分にいようが来客があればすぐに判るようにした結果、少なくとも在宅時に郵便物の宅配を受け取り逃すということはほぼなくなりました。うーむ。もっと早くやっておけばよかった。やっぱり業者のかたに、極力二度手間はかけさせたくはないですものね。

こちらは玄関先で受領印を押すだけであまり先方の顔は覚えていませんが、一方むこうはこちらの顔を覚えているのか、よく笑顔をむけられます。故あって、どういうわけか我が家は一般家庭としては少し変わった外観をしているので、そのせいで「ちょっとヘンな家」として余計に憶えていただいているのかもしれません。(冬とかがんがんイルミネーションを点灯させますしね)まあ特徴的なことで家を捜してもらう手間が省けて結構なことだと思っていますが、それでも荷物を受け取るときは恐縮してしまう自分がいます。いつも100パーセント郵便物を受け取れているわけではないですから。

その点、宅配ボックスなどはいいなと導入に向けて真剣に検討している最中ですが、まだ結論は出ていません。もう少し使い勝手と利便性(とサイズ)に富んだ製品が出てきて欲しいのですが、なかなか「これだ」というものが見つからなくて。でも郵便物すべてが宅配ボックス行きになってしまったら、郵便屋さんとのちょっとした挨拶ややりとりまでも省略されてしまい、それはそれで寂しいかもしれませんね。・・・などとちらりと考えたお盆シーズンでした。

リボンナポリン 

2017, 08. 16 (Wed) 00:30


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今日リボンナポリンを飲みました。これを飲んだのはいつ以来でしょうか。子どもの頃以来、ということはないのでしょうけど、ほぼそれに近いものがあります。子どもの頃はこれが好きでよく飲んでいたのに、次第に飲まなくなり、いつしか店頭で見かけることもまれになりました。今年の雪祭りに大通公園に行ったとき、ナポリンちゃんの雪像があって、「ああ、なつかしいな」と思い、その前で写真を撮ったのを憶えています。なんでも今年はナポリンちゃんの生誕(?)60周年記念だそうです。ううむむ。そんな以前から飲まれていたんですね。

久しぶりに飲むリボンナポリンは500㎖のペットボトルに入っていましたが、中身は子どもの頃に飲んだあのおなじみの味でした。今はこの手の炭酸飲料はいろんな製品があってよりどりみどりなんでしょうけれど、思い出やノスタルジー抜きにしてもときどきは飲んでみたいと思った夏の一日でした。

活字の魔力 

2017, 08. 15 (Tue) 00:30


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最近、書く方ばっかりであまり読書ができていません。その逆よりはいいとは思うのですが、やはりこれだけ活字から離れていると、恋しさというか、日常に物足りなさをおぼえてきます。そんな時、進んで手に取ったり、ページを捲ったりする本が結局自分が一番好きな本ということになると思うのですが、ぼくの場合、やはりそれは藤沢周平さんだったり司馬遼太郎さんだったりします。なぜかはわからないですけれど、凄くリラックスするんですよね。しいて理由を挙げれば、時代小説や剣豪小説は今自分が書いているものと距離があるというか、遠く隔たっているため、逆に安心して読めるという部分があるのかもしれません。あと、文章の端々にしみじみとくる部分があるんですよね。なんてことのない文章や描写なのですが、じんと胸に迫ってくるというか、読んでいて心地よいというか。

ぼくもだんだん年齢が上がってくると同時に、「いい文章」というものの定義・とらえ方が若い頃とはずいぶん違ってきているのを感じています。一言で言うと美文というか、装飾を凝らした文章よりは、平易でわかりやすい文章により惹かれる自分がいます。これは読んでいてもそうですし、書いているときもそうですね。書く方はまだ若干昔の手癖や習慣が残っており、ときどき美文調が顔を覗かせてしまうこともあるのですが、それでもやはり全体としてはわかりやすい、より開かれた方向へとむかっていると思いますね。心のより深いところに届く、優しい文章。ただそうすると、今度は文章の持つ豊かな叙情性のようなものが若干薄まってしまうという傾向を生んだりもするのですが……これはいささかお話が専門的になりすぎたようです。

ともあれ、読書はやっぱりたのしいですね。夜、ベッドやソファーにひっくり返り、自分の好きな作家さんの本をだらだら読む時間には何物にも代えられないよろこびがあります。考えてみれば単なる文字の連なりというか、白いページに浮いたインクの染みの集合体を頭の中でつなぎ合わせてありもしない世界を構築し、それで悦に入っているのだからこんなフェティッシュな作業もそうないわけですが、それでもなおこれだけ世に読書好きの人がいるということは、それだけこの行為に人を引きつける何かが宿っているせいなのかもしれません。

今の子どもたちにも是非読書の楽しさを味わってほしいのですが、ちょっとむずかしいですね。やっぱりこっちが身体を張らないと、子どもたちはなかなか興味を持ってくれません。(この場合、身体を張るとは音読のことを指す)ぼくも以前やったことがありますが、あれ、口が疲れるんですよね。でもすごく喜んでくれるし・・・。せめて短めの童話からでも読んであげて、身体を使った遊びとはひと味違う、活字の面白さを味合わせてやりたいと思う今日この頃です。